プロフィール
概要
有名なお茶農家の四男(6人兄弟)として誕生。
元アマチュアレスリング選手(バルセロナオリンピックフリースタイル100kg級日本代表)。
専修大学に進学し、大学卒業後は和歌山県庁勤務を経て新日本プロレスのレスリング部門「闘魂クラブ」に入門。全日本レスリング選手権大会フリースタイル100kg級で1989年から4連覇を達成(前年まで同級で6連覇していたのは、全日本⇒NOAHで活動した現在フリーの本田多聞。)
1992年、藤波辰爾のタッグパートナーという大抜擢を受け、プロデビュー。
1997年には小島聡と組んで、第31代IWGPタッグ王座に就く。1999年にはG1 CLIMAXで初優勝。同年、永田裕志と組んで第39代IWGPタッグ王座にも就いた。
2009年5月、後楽園ホールにおいて、当初予定されてなかった棚橋弘至の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。特大☆中西ジャーマンで棚橋からピンフォールを奪い、6度目の挑戦で第51代王者に就く。しかし、1回目の防衛線で棚橋に敗れて転落。
2011年6月には試合中に中心性脊髄損傷の大怪我によって1年以上の欠場を余儀なくされた。その後は精彩を欠くようになったが、新日本に欠かせない唯一無二の存在「野人中西」として活躍していた。
2020年1月、同年2月での引退を発表した。
引退後はコロナ禍などの外部事情も合わさり、紆余曲折を経て愛知県内のガスステーションに勤めながら、時折新日本プロレスの会場やトークショーなどで姿を見せている。
趣味はデビュー当時から一貫して「食べ歩き」。
体育科の教員免許を持っている。
エピソード
- 常識はずれなところがあり、天然エピソード、ズンドコエピソードには事欠かない人物である。
- バツイチ独身。ケンドー・カシン曰く、離婚理由は中西にあるらしい。
- 本人のキャラクター性からテレビへの露出が多い。なお、『さんまのSUPERからくりTV』の名物コーナーに起用された縁もあるのか、中西本人は明石家さんまのことを非常に尊敬している。
ケンドー・カシンとの関係
ケンドー・カシンとはすこぶる仲が悪い。中西サイドはともかく、カシンは全く関係ない場面、場所でも中西のことをネタにし続けている。ある意味仲がいい、というわけでもない。
- 新日本に両者が所属していた頃から、カシンは中西の悪口をことある頃に言い続け、試合にまで持ち込もうとしていたが、2人は階級が違うため、実質中西は延々と陰口を叩かれていたに近い。
- 「ブラック・キャットの関係者の女性に酔った勢いで迫ろうとして激怒される」「あのリック・フレアーにプロレスを教えようとした」など、カシンはことあるごとに中西について暴露している。ただし本当かどうかは誰も知らない。
- 矢野通曰く、「こっちからカシンについて何も聞かず、中西学のズンドコエピソードを上げればすぐに仲良くなれる人間」。それがカシンである。
- 中西はカシンとの不仲の原因を大雑把な自分と生真面目なカシンの性格の相違であるとしているが、カシンによると違うらしい。詳しくはカシンの著書『フツーのプロレスラーだった僕がKOで大学非常勤講師になるまで』を参照。
得意技
- アルゼンチン・バックブリーカー…最大のフィニッシュ・ホールド。後年はバックブリーカーの状態からジャーマン・スープレックスに移行する「マナバウアー」や、バックブリーカーで担ぎ上げた相手をショルダー・ネックブリーカーの形で落とす「ヘラクレス・カッター」などの派生技を開発した。
- ジャーマンスープレックス…一時封印したがカール・ゴッチ宅を訪問して少しアドバイスをもらってから「ゴッチ直伝」として再度使用。ロープに相手を投げつけて跳ね返って来た反動を利用してスープレックスに持って行くという独特の派生技を得意としていた。
- マッケンロー(同名のテニス選手のフォームにヒントを得て開発した、膝裏への低空ラリアット)
- スピアー (助走をつけて低い姿勢で相手の腹部へ肩、頭からぶつかっていくタックル)
- 野人ブルドッギング・ヘッドロック
- ミサイルキック
- ドロップキック