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大仁田厚

おおにたあつし

大仁田厚は日本のプロレスラー。政治家(元参議院議員)、タレント、俳優としても活躍。
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経歴

長崎県長崎市出身。
実家は風呂敷の製造・販売業。
地元の高校に入学するも退学、日本一周徒歩旅行を計画。しかし火事で家が全焼した知らせが入り断念した。

1973年に、ジャイアント馬場に憧れ全日本プロレスに「新弟子第一号」として入門し、1974年4月14日の後楽園ホール大会における佐藤昭雄戦でデビュー。
1981年に海外修業に出発、遠征中の1982年3月に、チャボ・ゲレロの持つNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に挑戦、奪取。
帰国後は当時ライバル団体の新日本プロレスで爆発的人気のあったタイガーマスクに対抗し、ジュニア戦線のチャンピオンとして活躍するが、1983年4月20日、東京都体育館での試合終了後、リングを飛び降りる着地時に足を滑らせ、全体重がかかった状態で膝を床に打ち付けてしまい、左膝蓋骨粉砕骨折をしてしばらく欠場。その後復帰するも馬場夫妻の勧告により1984年12月2日引退を賭けてマイティ井上と闘うも敗れ、翌1985年1月3日に後楽園ホールで引退式を行う。

引退後はタレントに転向するも長続きせず、事業家として一時成功するが、すぐ没落して借金まみれになり、土木作業員や配達員、女子プロレスのコーチを経て1988年12月に復帰。
翌年、手元にあった全財産5万円と借金を元手に自らの団体FMWを旗揚げ。
「テレビ番組が無ければプロレス団体運営は出来ない」と言われていた時代に、奇抜なデスマッチやパフォーマンス、様々なテレビ番組への出演により、人気を博す。
1995年5月5日に、弟子のハヤブサと対戦、2度目の引退をするが、1996年12月に一試合限定で復帰、なし崩しに出場するも1998年11月にFMWを追放される。(その後FMWは2002年2月に崩壊、当時の社長は5月に自殺する。)
その後フリーで活動する。

1999年4月、41歳にして高等学校を再受験し合格、駿台学園高等学校定時制課程普通科第3年次編入学、2000年3月卒業。同年4月、明海大学経済学部に入学したが1年で中退。2001年4月、明治大学政治経済学部経済学科(夜学)に入学。
同年7月29日に実施された第19回参院選に比例区で自由民主党から出馬、当選。国会議員と大学生の2足の草鞋をはく。(大学は4年で卒業する。)
2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙では初当選時に引き続き比例区での公認が内定していたにもかかわらず、6月23日に記者会見を開き突如政界からの引退を表明した。

得意技

全日時代

サンダーファイヤー1号 サンダーファイヤー2号 バック・フリップ・ホールド等

FMW以降

サンダーファイヤーパワーボム・・・カナディアンバックブリーカーからのパワーボム。全日時代のサンダーファイヤー1号・2号のアレンジ。
DDO(デンジャラス・ドライバー・オオニタ)・・・大仁田式のDDT

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