概要
本名:松野 行秀(まつの ゆきひで、1961年4月18日 - )。
1986年、大学を卒業し東宝芸能に入社。
1993年、同社の芸能部マネージャーになり沢口靖子、斉藤由貴などを担当する。東宝では、最終的にチーフマネージャーの役職に就いていた。
1995年、マネージメントを通じて仲を深めた沢田亜矢子と同年5月29日に入籍。同時に古巣の東宝芸能を退社し沢田の個人事務所を設立。社長兼マネージャーに就任した。
1998年1月、沢田が離婚問題についての記者会見を行い、「髪の毛を掴んで引きずり回された。」「生き地獄だった」と松野からのDVを受けたと主張した。松野側は、「事実無根」と反論したが、ワイドショーで連日報道され一躍時の人となった。
2001年3月、裁判での離婚が正式に成立。
マネージャーとしての生命を断たれた松野は、整形しホストクラブ「愛」などに勤務、露天で人生相談をしながら日本を巡業。その路線から基本的に一過性のものが多かったが、プロレスについては長く続けている。
プロレスでは2001年11月4日、IWA・JAPANに「ゴージャス松野」として参加。タイガー・ジェット・シンのマネージャーを務めた。試合後に放送されたみのもんたのトーク特番において、大仁田厚に挑発的な態度を取ったことに加えて、デーブ・スペクターの余計な一言で大仁田が逆ギレして、イスを投げつけられてフルボッコにされるも、デヴィ夫人ら共演陣が大仁田に大ひんしゅくコメントを浴びせたため、その場で和解した。相手が大仁田だったのでややマシだったが、前田日明、蝶野正洋、高山善廣、長州力なら確実に地獄行きになっていたという声もある。
2002年には演歌歌手兼霊媒師であり、同郷の田代純子と婚約を発表する。2019年現在も婚姻には至っていないものの、「相棒」と呼ぶなど良きパートナーの関係である。
2004年からはDDTプロレスリングに所属。
2008年、DDTの「コミッショナー」に就任。
2019年11月17日、「ベストボディ・ジャパン2019日本大会」に出場しモデルジャパン部門ゴールドクラス(50~59歳対象)で4位入賞を果たした。