ピクシブ百科事典

エディ・ゲレロ

えでぃげれろ

WWE・WCW・ECWのアメリカ三大プロレス団体で活躍した一級詐欺師。Eddie Guerrero。
目次[非表示]

"Cheat 2 Win!!"
(「ズルしていただき!!」)

概要だって~の!!

生誕~若手時代

1967年10月9日にルチャ・リブレ界随一の名門、ゴリー・ゲレロを主とするゲレロ家の四男(末子)として生を受ける。
幼少期より類稀なセンスを発揮しており、3歳でドロップキックをマスターしたばかりか、7歳のころに当時4歳の甥チャボJr.と余興試合を行ったところ、あまりにも完成された試合を行い、親族が運営する屋台が売り上げが落ちたと言う伝説を作っている。
プロレスラーとして正式にデビューを果たしたのは1987年。
兄のチャボ(シニア/クラシック)、マンド、ヘクターの3人でユニットを組み、メキシコの名門団体CMLLに於いて星条旗つなぎを着た"グリンゴ"(売国奴ギミックヒール)として活躍。
妻にヴィッキー・ゲレロがいる。

1992年、新日本プロレスに素顔で参戦。
正統派のムーヴにキレのある飛び技を織り交ぜ、日本のファンを唸らせた。
またこの頃に、生涯の盟友となるクリス・ベノワディーン・マレンコと行動を共にしている。
この時期は日墨のマットを行き来しており、2代目ブラック・タイガーとして盟友のクリスとディーン、そして3代目タイガーマスク獣神サンダーライガーらと新日本のジュニアヘビー戦線を盛り上げた。


ECW・WCW時代

ECWへの移籍交渉が進む中、メキシコでのタッグパートナーが薬物の過剰摂取により急逝。傷心の中、1995年5月に単身ECWデビュー。
デビューして間もなく最高王座を獲得するなど、獅子奮迅の活躍を見せ、遅れて移籍してきたクリス、ディーンらと共にECWの一時代の礎を作った。
その3ヶ月後、その活躍を買われ当時のWCWへと移籍。ECWでのラストマッチでは"Please don't go"の大コールが起こった。
しかしその移籍したWCWでは不遇の時代を迎える事になる。

当時WCWではWWFから移籍してきたベテランヘビー級レスラーらによりメインストーリーが組まれており、エディらの若手、それこそジュニアヘビー級にメインストーリーが回ってくる事は無かった。
またこの頃よりWCW内での組織腐敗が発生しており、この扱いの悪さも手伝い2000年に親友クリス、ディーン、そしてWCWで知り合ったペリー・サターンの4人で「ラディカルズ」としてWWFへと移籍。

WWF時代、スターダムまで

移籍した直後は第2、第3の王座を巡るストーリーを担っていたが、持ち前のテクニカルさを前面に押し出した試合運びは、当時アメリカで流行っていた超ヘビー級レスラーのパワーファイトに飽きてきたファンに受け入れられるようになり、徐々にファンからの支持を受けるようになる。
またこの頃組まれたストーリーで、ラディカルズ内での王座争いがきっかけとなり、本格的なシングルプレイヤーへと転向。
ここからエディのスターダムが始まる。

WWF→WWE時代、念願の世界王座へ。そして…

シングルプレイヤーに転向したエディではあったが、2001年9月にアルコール依存症による飲酒運転及び事故により解雇。
解雇後は回復を待って日本マットに参戦していた。
2002年にWWEと再契約。当時同じ決め技(フロッグ・スプラッシュ)を使用していたロブ・ヴァン・ダム(RVD)と抗争を開始。
またザ・ロックが保持していた当時の統一ヘビー級王座に挑戦。敗れこそはしたが、念願の最高王座挑戦となった。
またこれが足がかりとなったか、甥のチャボ(チャビート)とのタッグ「ロス・ゲレロス」を結成。
上記の「ズルしていただき」(Lie,Cheat,and Steal)「Latino Heat」路線で一気に大ブレイク。
改造車ローライダー(設定上、会場の駐車場にあった車を盗んでいる)で入場、反則裁定を利用した小悪党じみた勝利などが大いにウケ、ECW時代を上回る人気を築く。
そして2004年2月。当時WWE王座を保持していたブロック・レスナーを下し、念願のWWE王者に。同団体で初のメキシコ系、そして最軽量のヘビー級王者になった。
(のちに最軽量記録はレイ・ミステリオが更新している)

しかしその後王座を失うと緩やかに人気を落して行ったが、それでも会場に姿を現わせば大声援を受ける試合運びを披露していた。
だが、2005年11月13日。突如としてスターダムにピリオドが打たれる。

遠征先のミネアポリスの宿泊先にて倒れているところを発見され、死亡が確認された。
享年38歳。死因は動脈硬化性疾患。
翌日のTV収録ではそれまで組まれていたストーリーを全て一時休止、エディへの追悼番組として放映した。
またテレビでは放映されなかったボーナストラックでは、当時の全所属選手が入場口下に集合し、ビンス・マクマホン会長の号令のもと10カウントゴングによる黙とうを捧げた。
選手間でも強い信頼を寄せていた事もあり全ての選手が悲痛な表情を浮かべ、特に盟友クリスを始めとして甥のチャビート、同郷のレイは普段からは想像もできない程の表情を浮かべていた。
日本でもこの一報は重く受け止められ、2ちゃんねるのプロレス板では長期間に渡り追悼ムードが流れた。
また、エディとタッグを組んだこともあるTAJIRIは、エディの死にショックを受け 後にWWEを退団している。

そしてその2年後、クリスもまた自ら起こした一家無理心中事件でこの世を去った。

関連動画だよ~ん!


WWF移籍直後に使用された入場曲。タイトルは「Latino Heat」。


ロス・ゲレロス時代の入場曲。タイトルは「We lie,We cheat,We Steal」

pixivに投稿された作品 pixivで「エディ・ゲレロ」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 4159

コメント