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アンドレ・ザ・ジャイアント

あんどれざじゃいあんと

アンドレ・ザ・ジャイアントとは「人間山脈」の異名を持つ、元外国人プロレスラー
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概要と呼ぶには巨大すぎる!

本名:アンドレ・ルネ・ルシモフorロシモフ(André René Roussimoff)。フランス・グルノーブル出身。全盛期は身長が223cm、体重が236kgという文字通り超巨漢で鳴らした。
圧倒的な体格もさる事ながらそれに奢らない絶妙なプロレステクニックも持ち合わせていた。

ちなみに「東洋の巨人」と言われた、ジャイアント馬場より14cmもデカイ

生き様と呼んだら人口の辻褄が合わない!

元々はフランスでもいい所のお坊ちゃんで、普通の会社で働いていて綺麗なフランス語を喋っていたと言う。
18歳の時にパリでデビューした、南アフリカでデビュー戦を行ったなどフランス時代の経歴についてはよく判っていない。この頃は「モンスター・ロシモフ」のリングネームを使っており、後述の国際プロレスに来日した際にも、この名前でリングに上がっていた。

1970年にカナダ・モントリオールに移住し、現地ではジャン・フェレの名で活躍した。
この頃、国際プロレスに初来日を果たす(参戦)。
1973年にアンドレ・ザ・ジャイアントと改名し、WWWF(現WWE)のプロモーター、ビンス・マクマホン・シニアと契約。
しかしWWWFとは専属契約をしたわけではなく、マクマホン・シニアのブッキングでNWA・AWAはもとより、世界中の様々な団体を定期的にサーキットして回るようになる。これは「いつでも会える怪物」は一般層のファンにはすぐに飽きられる、というマーケティング上の都合からの判断である。そのお陰か、この世界サーキットを行っていた10年間が彼の全盛期であり、アンドレは全米の有名選手たちと闘った。

明けて1974年には、WWWFと提携していた新日本プロレスに本格参戦。それと同時に愛着のあった国際プロレスにも特別参加したことがある。また、新日参戦時期には伝説のスタン・ハンセンとの「田園コロシアムの一騎打ち」を抜きにしては語れない。

1984年、ビンス・マクマホン・ジュニアのWWF全米進出計画が始まるとベビーフェイス陣営の主要メンバーとしてサーキットに参加、以降は退団する1990年までWWF専属選手となった。この時期には、1987年の第3回レッスルマニアで、ハルク・ホーガンと激突した。

しかし、この頃から急増した体重を起因とする膝や腰の痛みに悩まされ始め、全盛期の動きの切れは徐々に失われて行った。体調不良のため1990年にWWFを退団。その後、更に増した身体の痛みにより試合を行う機会は減少したが、最後の主戦場とした全日本プロレスにおいては、主にジャイアント馬場とのタッグ「大巨人コンビ」で活躍した。

父親の葬儀へ出席するために帰国していた1993年1月27日、急性心不全のためにパリのホテルの自室で死去。長年に渡る過度の飲酒(全盛期はビール、レスラー後期から晩年はワインを愛飲していた)と、後年に殆どトレーニングしなかった事が原因と言われている。

後に生前の功績を称え、WWE殿堂入りの第一号レスラーとなった。

ファイナルファイトシリーズの敵キャラのアンドレ(ヒューゴー)のモデルでもある。

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