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D-GenerationX

でぃーじぇねれーしょんえっくす

D-Generation Xとは、セクシーかつ卑猥で、最低にして最高にイカしたヤツらである。
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概要編集

D-Generation Xとは、アメリカのプロレス団体・WWEに存在したユニットである。

通称DX

D-ジェネレーションとは、世代を否定すると言う意味のショーン・マイケルズの造語である「de-generation」から取られている。

その名の由来通り、DXは従来のプロレスのイメージである「プロレスは健全なエンターテイメントである」というイメージを覆すような過激で下品なパフォーマンスを行なった一方、高度なレスリング技術を持ったメンバーが揃ったユニットでもあった。

メンバー編集

本名:ブライアン・ジェイムズ

父や兄弟もプロレスラーのレスラー一家出身で、デビューは86年。

WWFには95年に参戦した。

DX加入前は後述のビリー・ガンと共にニュー・エイジ・アウトローズとして活躍していた。

2000年に薬物所持が発覚しWWEを解雇されて以降は、TNAやインディー団体で活躍。

因みにインディー団体時代にビリー・ガン、XパックとD-ジェネレート・オブ・レスリングを名乗っていたこともあった。

11年にWWE殿堂入りを果たした父ボブ・アームストロングのインダクターを兄弟たちと務めたことがきっかけとなりWWEに復帰、近年はNXTの運営に携わっていた。

2022年にコストカットの名目でウィリアム・リーガルらと共に解雇されたが、ビンス・マクマホンのスキャンダルよる引退に伴いクリエイティブ部門の責任者となったトリプルHに呼び戻される形で役員として復帰する。

  • ビリー・ガン

本名:モンティ・ソップ

89年にデビューし、WWFには93年に契約を結ぶ。

DX加入前は上述のロード・ドッグと共にアウトローズとして活躍、DX解散後はチャック・パランボと共にビリー&チャックというホモカップルストーリーを展開したこともあった。

02年に解雇されたのちはTNA、インディー団体と活躍の場を転々とした。

12年のRAW1000回記念放送に他のメンバーと共に登場、その後NXTのパートタイムトレーナー契約を経てフルタイムでWWEに復帰するが、15年に出場したパワーリフティング大会にて、ドーピング疑惑で4年間の出禁をくらった煽りでWWEからも再び解雇される。

その後はインディー団体や新日本プロレスに参戦、現在はAEWに選手兼プロデューサーとして所属している。

  • Xパック

本名:ショーン・ウォルトマン

93年にWWFに入団、レイザー・ラモンことスコット・ホールからカウントを奪ったことで1-2-3キッドとしてデビューするが、成績が振るわず96年にWCWに移籍。

ハルク・ホーガンら率いるnWo に加盟するも、負傷で欠場しWCWからも解雇される。

WWF復帰後はDXメンバーとして活躍したのちは02年に復活したnWoに再び加入したが、台本を無視したため同年解雇。

その後はリングネームを変えながらインディー団体を転戦、新日本プロレスに参戦したこともあった。

19年に他のメンバーと共にDXとして殿堂入りし、翌20年にはnWoメンバーとしても殿堂入りしている。

現在はWWEタレント総括に就任したトリプルHの命を受け、各地のインディー団体を転戦しながら人材の発掘や推薦を行なっている。

  • チャイナ

本名:ジョアン・ローラー

通称世界9番目の不思議(8番目はアンドレ・ザ・ジャイアント

95年にデビューし、97年にWWFに入団。

女性レスラーでありながら屈強な肉体を武器に男子戦線で活躍していた。

DX脱退後もジェフ・ジャレットやクリス・ジェリコらと抗争を繰り広げ、女子初の男子王座戴冠という偉業を果たしたが、女優業進出を巡って上層部と対立、解雇された。

その後は新日本プロレスに参戦、蝶野正洋と抗争を展開したこともあった。

また、当時婚約していたXパックが抗争後にチャイナと意気投合した蝶野と抗争するというストーリーも企画されていたが、婚約解消に伴いお蔵入り、チャイナ自身も引退を表明した。

11年にTNAで復帰するも、16年に薬物過剰摂取が原因で死去。46歳没。

  • リック・ルード(マネージャー。1999年死去)

83年デビュー、87年にWWFに参戦しアルティメット・ウォリアーと抗争を展開する。

90年WCWに移籍して以降はダスティン・ローデスリック・フレアー相手に抗争を展開。

全日本プロレスや新日本プロレスにも参戦し、スタン・ハンセン蝶野正洋馳浩を相手に戦った。

その後、怪我により引退。

97年にECW経由でWWFに登場したり、WCWでnWoのマネージャーを務めたりもしたが、99年に心臓発作で死去。40歳没。

17年、WWE殿堂入り。

  • トーリー

本名:テリー・ポーチ

88年デビュー、98年にWWFと契約するまではインディー団体を主戦場としていた。

92年から93年にかけて全日本女子プロレスにもテリー・パワーのリングネームで参戦していた。

2001年に引退、以降はヨガのインストラクターとして活躍。

プロボクサーでWWFにはスポット参戦であった。

ボクサーとしては85年にデビューし、05年に引退。

10年にWWEに再登場、クリス・ジェリコとタッグを組んでマイケルズ、トリプルHと戦ったが、試合中にジェリコを裏切ってノックアウトした。

  • ホーンスワグル(マスコット)

WWE所属のミゼットレスラー(低身長症レスラー)

個性的なキャラクターと試合におけるコミカルな動きにより、一発ネタで終わることが多いミゼットレスラーの中で長期的に高い人気を持っていた。

16年にWWEから解雇され、17年にインパクトレスリング(旧TNA)に参戦している。

活動歴編集

第一次D-Generation X編集

元々は1997年にマイケルズがブリティッシュ・ブルドッグとの対戦でトリプルHとチャイナを引き連れて登場したのが始まりと言われている。

その翌日に保険屋としてリック・ルードが加入し、ルードを加えた4人が第一次D-Generation Xとなる。(但し、ルードは結成から2ヶ月ほどでWCWに移籍、メンバーを脱退することになる。)

結成後はマイケルズのライバルであるブレット・ハート率いるハート・ファウンデーションと抗争を展開。

その後はWWF(現WWE)のスーパースターからアナウンサーに至るまで、全方位に喧嘩を売るようなおちゃらけたパフォーマンスでヒールユニットながら爆発的な人気を獲得する。

しかし、マイケルズが以前から悩まされていた深刻な腰痛の治療に専念するため、98年に加入したマイク・タイソンに裏切られ、ダメージを負ったギミックでストーリーからフェードアウトする。

第一次DXはマイケルズのセクシー・ボーイキャラを活かした性的ジョークが多く見られる時期であった。

一方、第二次以降と比較すると実況陣から中高生レベルと称されるような幼稚な下ネタや放送禁止用語が多かった時期でもあり、このようなパフォーマンスがDXの憎めない悪役としてのポジションを確立させ、ファンから愛されるユニットにさせたのだろう。


第二次D-Generation X編集

マイケルズがタイソンの裏切りに遭ったレッスルマニアの翌日のRAWにて、トリプルHがマイケルズの追放と自身のDXニューリーダー就任を宣言。

同日にWCWを解雇になったXパック、第一次DX時代から協力関係にあったニュー・エイジ・アウトローズロード・ドッグビリー・ガンが新たに加入、第二次D-Generation Xが結成される。

ユニットの方向性は基本第一次DXと同じであり、結成後はファルーク率いる黒人至上主義ユニットネーション・オブ・ドミネーションやWWFオーナーであるビンス・マクマホン率いるコーポレーションを物真似でコケにするなどのパフォーマンスを行なっていた。

WWF対WCWの「月曜日視聴率戦争」の際には、メンバー全員で戦闘用ジープに乗ってWCWの興行が開催されているバージニア州のスコープアリーナに繰り出し、WWFの宣伝とWCWのネガティブキャンペーンを行うという、現在行おうものなら営業妨害として訴えられかねないパフォーマンスを行なっている。

(因みに当時WCWは録画されたWWFの番組のネタバレを行うという手段で視聴率を稼いでいたが、このパフォーマンスはそもそも台本が存在しないパフォーマンスだったため、同時期WCWに参戦していた蝶野正洋は後年のインタビューにて、本当に突然だった襲撃にバックステージは大混乱に陥ったと語っている)

99年1月、HHHと「コーポレーション」代表のザ・ロックの試合後にチャイナがトリプルHにローブローをかましDXを離脱、2ヶ月後のレッスルマニアではリーダーであるはずのトリプルHがDXを裏切ってコーポレーション入りする。

残ったXパック、ロード・ドッグ、ビリー・ガンは同時期にコーポレーションを追放されていたケインを仲間に引き入れて巻き返しを図るも、さらに2ヶ月後にビリー・ガンがXパックを襲撃しコーポレーション入り。

Xパック&ロード・ドッグとコーポレーション入りした旧DXメンバーで「D-Generation X」の名称を巡って抗争が繰り広げられた。

結果はXパック&ロード・ドッグ組が勝利した。

その後、2002年にマイケルズが復活すると、トリプルHと揃ってDXのTシャツを着て登場。

DX復活かと思われた矢先、トリプルHがマイケルズにペディグリーを浴びせ、抗争を開始。

以降、ストーリー上トリプルHとマイケルズの仲が険悪になったこともあり、DXのストーリーは展開されなかった。

第二次DXは第一次時代の性的路線を継承しつつも、当時のWWFが掲げていたアティチュード路線に沿って「反体制的」なパフォーマンスを展開していた時期だった。


第三次D-Generation X編集

2006年、レッスルマニア22にてビンス・マクマホンとストリートファイトを行なったマイケルズが、試合中にDXの象徴的ポーズであるDXチョップを披露。

ジョン・シナとWWE王座戦を行なったトリプルHも、ダウンしたシナにDXチョップを披露、DX復活を匂わせる。

その後、6月のRAWで行われたトリプルHと男性チアリーダーユニットスピリット・スクアッドとの試合にて、トリプルHがスピリット・スクアッド相手に圧倒されている中、マイケルズが試合に乱入。

トリプルHと共にスピリット・スクアッドを薙ぎ倒し勝利、更にビンスを挑発してDXを再結成。

スピリット・スクアッド勝利後は得意の下ネタやビンスのモノマネをしたり、ビンスの黒歴史を公開したり、ビンスのプライベートジェットやリムジン、本社ビルの壁に「DX」と落書きしたり、果てはビンス親子やスピリット・スクアッドに汚物をぶっかけるなどしてコケにしては観客を爆笑させた。

一方、試合ではスピリット・スクアッドやビンスの刺客相手に勝利を重ね、9月のPPVでは遂にビンス親子に勝利し、抗争に終止符を打った。

その後は2007年にトリプルHがレイテッドRKO(ランディ・オートン&エッジ)戦で怪我を負って長期欠場に追い込まれたこともあってDXは活動が不透明になっていたが、11月5日のRAWで一夜限りの復活を果たす。

その後も不定期に大舞台にスポット参戦するユニットとなったものの、活動を続けていた。


第四次D-Generation X編集

2009年、療養のために休場していたマイケルズが復帰し再結成される。

再結成後はランディ・オートン率いる二世三世レスラーユニットレガシーと抗争したり、クリス・ジェリコビッグ・ショーのタッグを破り統一タッグ王座を戴冠するなど活躍していた。

(意外にも、DXの統一タッグ王者戴冠は今回が初であった)

統一タッグ王座を巡ってジェリコと抗争した後、12月にはホーンスワグルがメンバー入りする。2010年、マイケルズは自身の引退をかけてアンダーテイカーと対戦、敗北し現役引退したことでDXのストーリーも幕引きとなった。


2012年7月23日の「RAW1000」では、DXTシャツを着たマイケルズとトリプルHが登場、更にロード・ドッグ、ビリー・ガン、XパックがWCW襲撃の時に乗っていたジープで登場し、14年振りにDXの5人が集結、マイク・パフォーマンスを行なったほか、乱入したダミアン・サンドウにトリプルHがペディグリー、マイケルズがスウィート・チン・ミュージックをダミアンに食らわせ、ファンを魅了した。


15年のレッスルマニア31のトリプルH対スティング戦ではロード・ドッグ、ビリー・ガン、XパックがトリプルHの援軍に駆けつけるとハルク・ホーガンスコット・ホールケビン・ナッシュnWoメンバーがスティングの援軍に現れ、かつての「月曜日視聴率戦争」を演出し、ファンを沸かせた。

更に遅れてマイケルズが乱入、トリプルHにスコーピオン・デス・ロックを決めるスティングにスウィート・チン・ミュージックを決め、トリプルHの勝利に貢献した。


19年、ショーン・マイケルズ、トリプルH、チャイナ、Xパック、ロード・ドッグ、ビリー・ガンのメンバーでWWE殿堂入りが決定、式典には16年に死去したチャイナを除く全員が出席した。

決めポーズ・決め台詞編集

DXチョップ

センシティブな作品

股間を誇示するように両手でチョップするような形で指示すると同時に、腰をふるポーズ。

紛うことなき下ネタである。

また、頭上で腕をクロスさせてXを作るDXポーズもある。

しぶりんDX

後に小学生がDXチョップを真似したのが社会問題となって以降は、股間の前でXを作る形に変化させている。


「Suck it!」

決め台詞。

第一次DX時代の日本語訳は直訳の「しゃぶれ!」であったが、流石にまずかったのか第二次以降は「クソ喰らえ!」と訳されている。


お約束の決め台詞・決めポーズのパターンとしては、まずDXが頭上で両腕をクロスさせて"X"を作る決めポーズをやりながら入場してきて曲が鳴り響く中、トリプルHとマイケルズがそれぞれ反対側のコーナーのトップロープに上ってDXポーズを決める。

そして、リングの中央でDXチョップを3回連続でやった後、一瞬の間を空けてもう一度DXチョップを行う。この時、DXチョップを行うタイミングに合わせて2発の花火が"X"の文字を描くように打ち上がる。

その後、トリプルHがリング中央に立ち、マイクを持ったマイケルズがトリプルHの周りを小走りで何周か走り回った後に、独特の構えでトリプルHに向かってマイクを差し出し、トリプルHも独特の構えでマイクを受け取る。

そしてトリプルHが観客に向かって「Are you ready?(準備はいいか?)」と言って観客が大歓声で応えると、「No, 〇〇, I said ARE YOU READY?(聞こえねえぞ〇〇(会場がある地名の名前が入る)よ、準備はいいかってんだよ!)」と観客を煽り、より大きい歓声を呼び起こす(例えば会場がフィラデルフィアにある場合、「フィラデルフィアよ、準備はいいかってんだよ!」と言う)。

続けて「Then, for the thousands in attendance, and the millions watching at home.(いいか、会場にいる数千の観客、家で見ている数百万のファンよ)」と言った後に抗争中の相手の名前を言い、観客と一緒に「Woooooooooooooooooo Let's get ready to suck it〜〜〜〜〜!!」と叫ぶ。

そしてマイケルズがマイクを持って「If you're not down with that, we got two words for yah!(分からねえ奴には、この言葉を送ってやるぜ!)」と叫んだ後に観客に向かってマイクを向けると、観客が大声で「Suck it!!」と応えて締める。

以上がDXの入場からのマイクパフォーマンスでのお約束となっている。


余談編集

  • 19年のサバイバー・シリーズ直前のスマックダウンにて、RAW所属のスーパースターたちが襲撃をかけた際、遅れてトリプルH、マイケルズ、ロード・ドッグ率いるNXTロースターたちがどっかで見たことがあるジープに乗ってスマックダウン会場に乱入、RAW、スマックダウン両方のスーパースターを襲撃するという、いつぞやのDXを思わせるストーリーが組まれたことがある。

  • DXとタッグを組むことが多かったジョン・シナも、DX加入に興味を示している旨をインタビューで語ったことがある。マイケルズが引退したことによって幻の企画となってしまったものの、もし実現していれば、シナの人気ギミックであるワル学博士の本格的な復活も見られたかもしれない。

関連動画編集

テーマ曲「Are You Ready?」


実際のおふざけの様子

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WWE ショーン・マイケルズ トリプルH

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