概要
ECWとは1992年にアメリカで結成されたプロレス団体。
ペンシルバニア州フィラデルフィアを拠点にしていたインディ団体だったが、それを強みに転換しテレビでは放送出来ないような過激な試合(ハードコアスタイル)を売りに全米級の人気を誇った。
その過激さからEC'Fn'Wという表記もされ、読み方はEC"Fuckin'"W。
これはアンチによる蔑称などではなく、団体のファンによる愛称。
この団体が特に人気を集めた要因として挙げられるのは、アメリカで二大団体として鎬を削ってたWWE(当時WWF)とWCWでも活躍し一時代を築き上げた名選手を多数輩出していること。
有名どころだけでもスティーブ・オースチン、故エディ・ゲレロ、TAJIRI、ダッドリーボーイズとメイン級から名脇役まで多彩。
歴史
誕生から衰退まで
ECWは、1992年に宝石商を本職とするトッド・ゴードンによってペンシルベニア州フィラデルフィアに設立される。
設立当初はEastern Championship Wrestlingの略称で、NWAに加盟する団体の一つであり、ジミー・スヌーカ、ドン・ムラコ、ティト・サンタナなど元WWFのベテラン選手たちが多く参戦していた。
が、ゴードンはプロレス好きではあったものの、プロレス業界においては全くのド素人であった為、NWAを解雇されて失業中だったポール・ヘイマンをプロデューサーとして迎え入れる。
以降は元々熱狂的なプロレスファンであったヘイマンが独特のブッキングを展開、当時ほぼ無名だったレスラーたちしか所属していないという状況をものともせず、ECWはプロレス界の革命児として一躍有名になる。
1994年8月27日、前年にWCWがNWAを脱退したため空位となっていたNWA世界ヘビー級王座を巡るトーナメントが開催され、ECWのエースであったシェーン・ダグラスが優勝。しかしその場でNWA王座ベルトを投げ捨て、もはやNWAなど無価値、ECW王座こそが真の世界タイトルだとマイクアピールし、団体もNWAから離脱。
9月より団体名もExtreme Championship Wrestlingに変更された。
1996年にはヘイマンがECWを買収して自ら社長に就任。
1997年にはECWオリジナルのPPVが開催され、ECWは全国展開を開始。
更に、WWFの会長であるビンス・マクマホンがECWに資金援助を行っていた縁で、WWFとの業務提携が成立、ECWのエース選手たちがWWFのリングに登場することとなった。
更に1999年にはTNN局と契約を成立させ、テレビ放送にも参入する。
しかし、このテレビ契約がECW失墜の引き金となってしまう。
TNN局との契約は、ハードコアマッチを売りにしているECWの企業イメージの悪さやヘイマンの経営能力の低さにより、TNNに圧倒的有利な内容となってしまう。
結果、TV放映権料がほとんど取れない上、局側の審査官によって細かく禁止の映像表現や放送禁止用語が設定されたためにECWはその過激さを奪われてしまう。
(因みに、ヘイマンはこれをアングルとして取り入れ、あるレスラーをTNNの回し者としてデビューさせて観客にブーイングを浴びさせるという形でTNNをディスっている)
更に毎週の番組制作費やPPVの広告費が収益を越え、自転車操業を繰り返したために赤字額はどんどん膨らんで行ってしまう。
極め付けにTNNがWWFの看板番組「RAW IS WAR」と契約したことをきっかけにECWとの契約を一方的に破棄。
当然テレビ放送は終了、PPVを開くたびに赤字は膨れ上がり、レスラーやスタッフにも満足に給料を支払えなくなり、とうとう2000年1月13日をもってECWの団体としての活動が停止、同年4月にECWは倒産し、ヘイマンも自己破産を申請。
その後の債務処理にて、債権者の一人であったビンス・マクマホンがECWに関する一切の権利を買い取った。
倒産後
(以下、Wikipediaより抜粋)
活動終了後、ポール・ヘイマンや一部のレスラーはWWFと契約するが、しばらくの間ECWは表舞台から姿を消す。
2001年3月にWWFがWCWに関する権利を買い取った時、ビンス・マクマホンに反旗を翻したシェイン・マクマホンが、ビンスを出し抜いてWCWを買収し、その後宣戦布告をするというエピソードが組まれた。
7月、ポール・ヘイマンはWWF・WCWに移籍していた旧ECW所属レスラーの一部を引き抜き、さらにECW崩壊後フリーランスになっていたロブ・ヴァン・ダムとトミー・ドリーマーを新たに加えてECWを復活させる。
ECWはステファニー・マクマホンをオーナーに迎えるとともに、WCWと連合して「アライアンス」を結成し、WWFに登場する一大ヒール集団となり、WWF正規軍との抗争を繰り広げた。
しかし、WCWから契約をテイクオーバーされるなどして移籍してきたレスラーのほとんどがファンから大きな反応を得られず、さらに「アライアンス」にWCWスーパースターとして新加入したクロニック(ブライアン・アダムス&ブライアン・クラーク)が、その試合内容の悪さから短期間でファームに落とされるなど、アライアンスの商品価値は急落する。
そのためわずか半年足らずでWWF対「アライアンス」の抗争は終止符が打たれることとなり、WWF認定の各タイトルとの王座統一戦に、「アライアンス」の王者全員が敗退し、更に11月のサバイバー・シリーズでのエリミネーション・マッチでWWF軍に敗れたことからストーリー上「アライアンス」のメンバーは全員解雇となり、団体抗争ストーリーが終了した。
そしてECWの名前は再び表舞台から消滅することになる。
WWE
ECW自体は消滅したものの、その人気は根強く、DVDの売り上げも好調であった。
また、ロブ・ヴァン・ダムがたびたびビンスに対しECW復活を提言していた。
これらを受けてWWEは2005年6月12日に、かつてのECW所属選手およびWWE所属のECW出身選手を集めて、一夜限りのECWリユニオン・イベント「ECW ワン・ナイト・スタンド」を旧ECWアリーナで開催した。
翌年にも「ECW ワン・ナイト・スタンド」は開催された。
のだが、ダッドリーボーイズやライノといった旧ECW勢が退団してしまい、ECW所属ではなかった選手が出場することとなった。
この時点でECWのブランドに暗雲がうっすらと立ち込め始めるのだが・・・・
まさかの復活
2006年、根強いECW人気を受けてWWEは「RAW」「スマックダウン」に次ぐ第3のブランドとして「ECW」の復活を決定、ブッカーにはポール・ヘイマンおよび現役を引退してWWEのブッカーとなっていたトミー・ドリーマーが就任することとなった。
しかし、WWEが復活させたECWは、かつてのEC "Fuckin'" Wとは似て非なるものであり、保護者団体の圧力により以前のようなハードコア・レスリングを行うことができないでいた。
また、シェーン・ダグラス、ダッドリーボーイズ、レイヴェンなど、ECWの象徴ともいえるレスラーが当時はTNAに所属しており、WWEに出場できなかったことも違和感に拍車をかけ、視聴率の面でも苦戦を強いられることとなった。
WWEもテコ入れ策としてレネ・デュプリーをRAWから移籍させたり、ケビン・ソーンを新たに登場させたりしたが、テコ入れすればするほどにEC "Fuckin'" Wから遠ざかってしまっていた。
2006年末、ポール・ヘイマンがWWEから解雇される。
サンドマンやサブゥー、ボールズ・マホーニーなど、かつてECWに在籍していた者たちをECWオリジナルズと位置づけ、ビンスが彼らを露骨に嫌い、イライジャ・バークら若手(ニュー・ブリード)を送り込んで抗争に発展するというストーリーが組まれるなど、ストーリー面でもテコ入れがされてはいたものの、そこにはもはやかつてのEC "Fuckin'" Wの面影は残っておらず、WWEの第三番組として、将来を担う若手育成や中堅どころの浮上のきっかけとするためのポジション(現在のNXT)に収まっていた。
終盤は意気の良い若手の台頭や軸となるレスラーを中心にベビーフェイス・ヒールの区分けがしっかりなされており、徐々に評価を上げていた。
その影響か、視聴率も決して高い方ではないが、浮き沈みの激しい他番組と違い、安定した視聴率を保っていた。
その後、2010年2月に番組終了が発表され、同月16日の収録をもって最終回となった(翌週から新番組NXTがスタート)。
再びECWは歴史の表舞台から姿を消した。
番組終了以降、WWEではこれといった展開をしていなかったが、2012年5月にWWEに復帰したヘイマンによって、ECWの名試合を収めたDVDの発売、WWE公式WEBサイトでの特集など、様々なプロデュースがなされている。
その後
2012年にはトミー・ドリーマーが所属や参戦経験のあるレスラーを集めてハウス・オブ・ハードコアという団体を旗揚げし活動している。
日本プロレス団体との関係
日本及びメキシコのプロレス団体との交流を積極的に行っており、まだ日本のプロレスファンに知れ渡る前、W★INGプロモーションが新生W★INGとして活動を再開したさい、サンドマンやパブリック・エネミー等、当時のECW所属選手らを招聘しているが、杜撰な経営により活動を停止し、関係は途切れている。
その後、I.W.A.JAPANが元WWF(現:WWE)の極東担当マネージャーであった佐藤昭雄を専務取締役として招聘し、この佐藤のラインから業務提携を行い、トミー・ドリーマー、レイヴェン、スティービー・リチャーズ、ババ・レイ・ダッドリーなどのECWの選手が興行に参加した。
だが、佐藤が「FFF(プロレスリング統一機構)」の設立に関与し、I.W.A.JAPANを離脱をしたことにより関係が途切れている。
なお、佐藤が関与したFFFは旗揚げ前に頓挫しているため、ECWとは関係を持っていない。
その後、正式な団体同士の提携はなかったが、みちのくプロレス、FMWの選手がECWのリングに登場し、ECWの選手もFMWのリングに登場した。田中将斗はECW世界ヘビー級王座を戴冠し、海援隊のメンバーはbWoのメンバーであったなど、多くの選手が活躍を残している。
2016年10月にはNOSAWA論外がシェーン・ダグラス、トミー・ドリーマー、スペル・クレイジーらECW出身者を招聘して興行を開催している。
重要人物
ポール・ヘイマン
ECWの栄枯盛衰を見届けた経営者にしてブッカー。
登場すれば観客から「セイウチ!」とチャントされるでっぷりした体系がトレードマーク。
ブッカーとしては非常に優秀であり、WWEに移籍した後Smackdownのブッカーに就任した際は、極力ストーリーに頼らず試合内容で魅せるブックを連発し、ファンを唸らせた。
また、ビンス・マクマホンに勝るとも劣らない顔芸の名人でもある。
2005年にECW視聴率低迷を理由に解雇されたが、2012年に復帰したブロック・レスナーの法律アドバイザーとしてWWEに復帰。
現在はロマン・レインズのマネージャーとしてストーリに登場している。
真性のプロレスファンであり、特に小橋建太の大ファンとのこと。
ロブ・ヴァン・ダム
トミー・ドリーマー
レイヴェン
サンドマン
ダッドリーボーイズ