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概要編集

本名:小橋健太(読みは同じ。)

身長186cm、体重115~120kg。


京都府福知山市出身。

高校卒業後京セラに入社、二年後プロレスラーになるため退職。

全日本プロレスに1度は書類選考で落とされるが通っていたジム会長の紹介で1987年6月に全日本プロレスへ入団。

(その時のトレーニングジムの会長はのちにプロレスラー、ミステル・カカオとして2000年にデビュー、マッチョ☆パンプの名でみちのくプロレスにも在籍。同時にプロレスの覆面やコスチュームの制作会社も経営。)

1987年2月16日 、 後楽園ホール『ハル薗田選手夫妻を偲ぶメモリアル・セレモニー』で行なわれたバトルロイヤルで菊地毅とともにデビュー。

1988年2月26日、 滋賀・栗東町(現・栗東市)民体育館にて大熊元司戦で本デビュー。同日、菊地毅もデビュー戦を行っっている。

SWS結成で天龍源一郎らが大量離脱し、ジャンボ鶴田が内臓疾患により第一線を退いた全日本プロレスを・二代目タイガーマスクこと三沢光晴川田利明田上明らと共に『プロレス四天王』として支える。

彼らのスタイルは凶器攻撃、流血、リングアウト・反則・ギブアップによる決着のない、ピンフォールによってのみ決着する上で「限界を超えるような技の攻防戦」を行うスタイルは『四天王プロレス』として認知される。

1996年7月、田上明を破って第16代三冠ヘビー級王者に就く(初戴冠)。

1998年6月、川田利明を破って第19代三冠ヘビー級王者に君臨。9月、 秋山準らと共にチーム「バーニング」を結成。

1999年に馬場が死去、死後、三沢が社長を継ぐも馬場夫人の馬場元子との軋轢から2000年に解任後、三沢・田上・小橋を含めた選手26人、練習生1人、大半の職員が全日本プロレスを離脱し『プロレスリング・ノア』を旗揚げする。これを機に「小橋建太」に改名。


プロレスリング・ノアでは2003年、選手権試合で初めて三沢に勝利。第6代GHCヘビー級王者に就く。以後、2年間王座を保持し13度の防衛に成功。

2006年6月、右腎臓に腎臓がんが発覚、翌月摘出手術に成功。

2013年5月引退。兼ねてから首と膝に深刻な負傷を抱えており、引退数年前から左半身に力が入らなくなっていた。自宅で昏倒したのをきっかけに三沢の主治医を担当していた医師に診てもらった際に「三沢以上に悪い。復帰などとんでもない、即手術か即引退かだ」と言われるほど首の状態が悪化していたという。それでも本人はスポット参戦くらいなら、と思っていたのだが次は首の手術に一部の骨を使った骨盤が何の負荷もかけていないのに割れたことで自分の限界を感じたという。


2010年秋に演歌歌手のみずき舞と結婚。2015年8月に第1子女児が誕生。


得意技編集

逆水平チョップ、剛腕ラリアット、バーニング・ハンマー、オレンジクラッシュ、ストレッチ・ボム、ハーフネルソン・スープレックス、スリーパー・スープレックス、ムーンサルトプレスなど

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