ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要編集

1945年2月16日生まれ、1993年12月25日没。

昭和後期から平成初期(1978年~1993年)に活躍したアナウンサータレント司会者


芸人あしらいの上手さで知られ、同時期に活躍した久米宏らとともにタレント的な人気を博したアナウンサーのはしり的な人物だった。元々はフジテレビの局アナウンサーだったが、1988年に独立してフリーになった。

息子に俳優司会者逸見太郎が、娘に女優タレント・レポーターの逸見愛がいる。


人物編集

大阪出身で元々大阪弁を話していたが、方言を矯正するための努力(アクセント辞典の丸暗記等)を重ね、ハンデを克服。アナウンサーになってからは関西弁を口にすることはなかった。なお、やしきたかじんはこの事で「大阪を捨てたヤツ」として敵視していたらしい(上岡龍太郎も同様の理由で彼を嫌っていたが、後述の理由で意見を改めている)。


若手時代は目立つ人物ではなかったが、大橋巨泉は当時からいずれ大成する人物と見込んでいたという。スポーツキャスターとして絶叫調のアナウンスで頭角をあらわす。30代に入るとニュース番組を主に担当するようになる。1984年の『夕やけニャンニャン』予告コーナー司会者に抜擢され、片岡鶴太郎とんねるずとの当意即妙なやりとりが注目を集めた。このコーナーで逸見のお茶目なキャラクターが認知され、真摯で真面目な人柄とのギャップで一躍人気司会者の仲間入りをする。


しかし、1987年には勤続20年に達したことでフジテレビ内で管理職扱いになりアナウンスの仕事が減ってしまい、「生涯一アナウンサーでありたい」という思いから翌年退社、フリーランスのアナウンサーとなる。「いっつみい」(苗字の「逸見」と「It's me」をかけたもの)の愛称で親しまれ、『たけし・逸見の平成教育委員会』等複数の冠番組を抱え、NHK・民放各局で司会者・キャスターとして活躍した。


また、東京進出してきた若手時代のダウンタウンをかわいがっていたという。こういった事もあり、ダウンタウンの二人は第三者から逸見が茶化されるのは嫌がったらしい。


一方で自身の冠番組『いつみの情報案内人 素敵にドキュメント』では、やらせが発覚すると自ら責任を負う形で降板を決意する程の徹底ぶりだった。


司会者としてどんな大物が出演していても捌けるという手腕の高さを発揮し、数多くの人気番組を支える等、その仕事ぶりは順風満帆に思われ、遠からず名司会者として大成すること間違い無しとする見方も強かったのだが…


スキルス性胃癌の発覚編集

しかし1993年初春頃にスキルス癌(※)に身体を蝕まれている事を、同年9月6日の記者会見にて発表。翌日より全ての仕事を休止した。

この時期は10月度の各民放改編の広報発表も済ませた直後で、その中には逸見が出演予定だった番組も多かったのもあって、彼が出演予定だった番組の出演者や番組内容などが急遽次々と差し替えられることとなった。


なお、休止した仕事(番組)の一つに上述したように逸見を嫌っていた上岡龍太郎とのダブル司会だった『逸見のその時何が!』もあったが、共演した上岡はこの番組で彼を再評価するようになり、わだかまりも溶けつつあった中でのあまりにタイミングの悪すぎる癌発覚だった。

そのため、逸見の降板が決まると「逸見さんが抜けるなら自分も抜ける」と上岡も降板を申し出ており、両名司会に続投予定だった後番組の『迫って!GABURI。』は司会が島田紳助が引き継ぐこととなった。


それから逸見は闘病生活に入るも、その年のクリスマスに48歳という若さでこの世を去り、自身も周囲も望んでいた生還と復帰は叶えられなかった。


没後の関係者の反応編集

古巣のフジテレビのニュース番組「スーパータイム」で訃報が報道された際、スーパータイムで逸見とキャスターを務めた安藤優子は本番中に思わず泣き崩れてしまった。

クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!』で共演した渡辺正行も電話口のインタビューで号泣してしまった。


『平成教育委員会』で同じく司会者として出演していたビートたけしは葬儀の際に本来は弔辞を読むはずだったのだが、弔辞も読めないくらい葬儀中はずっと号泣してしまうほど信頼関係は厚かった(『クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!』で共演した山城新伍が代わりに弔辞を読み上げている)。

明石家さんまは癌告白の記者会見を見て「この人はもしかしたら帰ってこないかもしれない」と不穏な予感がしたという。

まだ逸見が告白前に島田紳助はある番組で冗談で癌のネタを逸見に振ったのだが後にそれが事実だった事を知り、知らなかった事とはいえ凄く後悔したという。


※スキルス癌は進行が早く、早期発見をしないと治療が難しいとされている。


エピソード編集

同じくアナウンサーである古舘伊知郎とは、古舘が姉を癌で亡くしたことを知って連絡したことから交流が始まった。アナウンサーとしては両極端に位置する両者であったが、実は逸見自身も30代の頃に弟を癌で亡くしている。弟を亡くして以降、人一倍癌には注意していたが、奇しくも彼も癌でこの世を去ってしまった。


1985年に起きた日本航空123便墜落事故をギリギリで回避している。元々その飛行機に搭乗予定だったが、息子が「新幹線の方が安くて早く着く」と助言したことや妻が飛行機が苦手であったことにより、悲劇に巻き込まれずに済んだ。


上述の癌会見を行う前は胃潰瘍だと世間には公表していた。しかし、「嘘をそのままにしたくない」といった具合に彼の性格からか、癌会見をする運びとなった。


関連タグ編集

司会者 アナウンサー フジテレビ

幸田シャーミン 山城新伍 ビートたけし 逸見太郎

スーパータイム クイズ世界はSHOWbyショーバイ!! 平成教育委員会


ミラーマン・・・第12話でニュースキャスター役。

連続テレビ小説・・・『青春家族』(1989年度前半)で岩井一之(ヒロイン・阿川咲の伯父)役。

関連記事

親記事

アナウンサー あなうんさー

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 9332

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました