概要
1984年10月1日から1997年3月30日まで、フジテレビ系列(FNN加盟局)で放送された。
全国ネットニュース番組では初めてニュースキャスターが立ってニュースを伝えるスタイルをとった。全国ニュースとローカルニュースをミックスした番組であり、これは後継番組の『ニュース555ザ・ヒューマン』、そして2015年3月まで放送された『スーパーニュース』に引き継がれている。
タイトルデザインは『なるほど!ザ・ワールド』などのロゴを手掛けた山形憲一、テーマ曲は『クイズダービー』などを手掛けたたかしまあきひこが担当。"Supertime"のタイトルコールも特徴。
系列各局のタイトル差し替え
番組開始当初から数年間、本番組は系列局ごとに独自のタイトルに差し替えられていた(フジテレビと同じだったのはテレビ静岡・テレビ愛媛・テレビ西日本のみ。この3局もフジテレビと全く同一のタイトルではなく、「FNN」を冠しつつも各ネット局の名前も入った番組名となっていた)。
そのためキー局であるフジテレビでは番組タイトルを各局のものにわざわざ差し替えたオープニング用VTRも制作・提供していた。
さらに初代オープニングではタイトルロゴのサウンドエフェクトの挿入タイミングも局によって異なっており、先に流れる局(フジテレビを筆頭に、北海道文化放送、新潟総合テレビ、山形テレビ、長野放送、岡山放送、鹿児島テレビなど)と後で流れる局(関西テレビを筆頭に、秋田テレビ、富山テレビ、東海テレビ、テレビ宮崎など)とで分かれていた。
なお、スポンサークレジットは急なスポンサー降板に備えてフジテレビから送られていたため、系列局側の切り替え方によっては本来同じタイトルバックのはずがズレが生じる事もあった(ただし「映像はフジテレビのまま、スポンサーの読み上げを系列局側で行う」ケースなどもあった)。
もっとも、番組名が各局ではバラバラでは視聴者も混乱した(当時の前座番組であった『夕やけニャンニャン』のニュースコーナーでは「6時のニュース」等とぼかして表現していた)ために徐々にスーパータイムに改名していった。
しかし「最後までスーパータイムと名乗らず番組の放送を終えた局」も少なからずあり、関西テレビは『アタック600』(年末年始は『KTVニュース』として放送の時期あり、1986年3月31日から日曜は『アタック530』)として放送(あくまでも「アタック600に全国ニュース『スーパータイム』を内包している」という扱いとしていた)し、またテレビ大分では、1985年4月1日から1年間、日曜日は『TOSスーパータイム』として放送したが、1986年4月からは平日版同様『ニュースインおおいた』と名乗った。なお、『ニュース555ザ・ヒューマン』から『スーパーニュース』まではすべての系列局で統一されていた。
放送局の変化
- 鹿児島テレビは1985年3月31日までNNNのニュースをネットしていたため、同年4月1日からの放送となった。
- JNN/FNSクロスネットのテレビ山口は、この番組もしくは『FNNニュースレポート11:30』『FNNニュースレポート23:30』のニュースの放送をフジテレビから打診されたものの、JNN協定によりFNNに加盟できないことからFNS脱退に至った。
- 1991年4月1日、その日開局した岩手めんこいテレビが『mitスーパータイム FNN』の放送を開始した。
- 放送開始当初からネットしていた山形テレビは1993年3月31日にFNN/FNSを脱退、翌日1993年4月1日からはANNにネットチェンジして『ANN ステーションEYE』のネットに切り替えた。4年後の1997年3月15日から30日まで、さくらんぼテレビが開局前のサービス放送で『SAYスーパータイム』を放送(ただし表記は「スーパータイム」のみでロゴにはSAYもFNNを冠しておらず、ローカル枠も放送終了直前の1週間前に実施された)した。
平日最終回のエピソード
(平日版)最終回を迎えた1997年3月28日、最後のメインキャスターだった露木茂が、フジテレビの社員(ドラマプロデューサー)が婦女暴行で逮捕されたニュース原稿を読み上げた際、「『スーパータイム』の最終回で、身内の大馬鹿者のニュースをお伝えしなければならなのは大変情けないと思う」と前置きでコメントした。通常自局社員の不祥事を警察発表と広報からのコメントのみで済ませる中、これは珍しいケースである。
関連タグ
逸見政孝 幸田シャーミン 安藤優子 露木茂 アナウンサー ニュース