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概要編集

1976年1月3日から1992年12月19日まで、テレビ山口(1987年9月30日まではフジテレビ系列とのクロスネット。ただし後述の特番は放送)を除くTBS系列で放送された。前番組である『お笑い頭の体操』同様ロート製薬の1社提供番組でもあった。福島県では現在フジテレビ系列である福島テレビ(1983年3月31日まではTBS系列とのクロスネット)で放送開始から1983年9月24日まで放送されたのち、同年12月10日からテレビユー福島で放送された。また1989年10月からテレビユー山形1990年10月からチューリップテレビ、1992年10月から伊予テレビ(現在のあいテレビ)で放送が始まった。


ダービーのその名の通り、競馬クイズを組み合わせた番組。3組の出場者が、5人の解答者の中から正解すると思う解答者1人に持ち点を賭け、得点を増やしてゆく。


司会は番組の企画立案者でもある大橋巨泉が放送開始から務めていたが、セミリタイア宣言で番組を離れた事により1990年4月から最終回の前の回である1992年12月12日までは徳光和夫が務めている(最終回は巨泉が司会者に復帰し、徳光は5枠の解答者として出演)。


番組終了後は2000年に年末特番の『SAMBA・TV』、2004年に『ロンロバ!』の特番の中で一コーナーとして復活した他、2012年4月には内容を一部アレンジした『クイズダービー2012』(この時はくりぃむしちゅー上田晋也が司会を務めた)が特番として放送された。これらはクロスネット時代に放送されなかったテレビ山口でも放送されている。


後に同局の『中居正広の金曜日のスマたちへ』で放送当時のセットを復刻し、巨泉がゲストの回(2014年2015年の2回)で復刻版『クイズダービー』が行われた。二度目は巨泉が最後のガン闘病の前に行われており(3枠には2006年に亡くなったはらたいらに代わり、「ペンネームがひらがな5文字のクイズに強い漫画家」という共通点を持つやくみつるが座った)、身体面に対して万全の体勢で収録された。この収録の翌年巨泉は闘病の末にこの世を去る事となり、これが彼の人生最後の『クイズダービー』となった。


ルール編集

問題が読み上げられた後に5人の解答者に1~10までの倍率が指定される。正解できなさそうな解答者ほど倍率が高い。

3組の出場者が3000点の持ち点から正解できそうな解答者を1人指名し、持ち点の中から賭け点をコール。

解答者が正解すると指定された賭け点×指定された倍率の点数が得点となる。不正解の場合は賭け点が没収される。

全員不正解の場合は賭け点が全チームに返却される。

解答は筆記形式。

なお得点には10万点という上限があり、それ以上の得点を稼いだ時点でその出場者は早抜けとなる。

トップ賞や賞品といったものはなく、クイズが終了した時点での得点を1点につき1円に換算して賞金として出場者が獲得する。なお10万円以上の差額は募金に寄付される。

毎回最後の問題では倍率が2倍になる。

クイズ番組最高視聴率編集

最高視聴率は1979年6月30日に記録した視聴率40.8%(関東地区、2020年6月末現在も民放のクイズ番組としては歴代最高)。


この背景には、当時まだ現在のようにCM時間中などにリモコンで他局に変えてしまうザッピングの習慣が定着しておらず、ロータリー式チャンネル時代の名残で長時間1局に合わせられていた事が多かった事が挙げられる。

週休二日制が定着する前の、家族がリビングに集まる土曜日のゴールデンタイムに、TBSは19時ジャスト『まんが日本昔ばなし』、19時30分『クイズダービー』、そして土曜8時戦争と呼ばれた20時ジャストからは伝説の怪物8時だョ!全員集合と鉄壁のラインを築いていた。


この為他局にとってはとにかく数字の取れない時間帯で、NHKが『クイズダービー』の開始前からこの時間の裏にいたやはりクイズ番組である連想ゲームに大幅なテコ入れを行い、チート(民放がCMタイムがあるのに対し、NHKはフルに30分使える)を駆使して対抗を図ったが、勝ちきれず1978年に無念の枠移動(水曜19時30分)となった。また、フジテレビが得意のアニメで対抗を試みたが、パタリロ!も数字が取れず枠移動、そこで切り札としてタイムボカンシリーズをこの枠に移動させた(イタダキマン)が、こちらはシリーズまるごと打ち切りとなり、ついにはローカル枠となった。


しかし1981年に土曜20時ジャストにフジのオレたちひょうきん族の放映が始まると、『全員集合』自身が苦しくなり、19時台の枠を充分支援できなくなり、1985年に放映終了となった。直後、『クイズダービー』に対してフジに『ハイスクール!奇面組』をぶつけられ、ついに『クイズダービー』にも土がつくことになった。


ちなみに、枠移動の後、水曜19時30分枠に君臨することになったNHKの『連想ゲーム』の数字を奪ったのも、フジテレビのアニメ(『うる星やつら』)だったりする。


主な出演者編集

司会者編集

大橋巨泉

徳光和夫(この番組が日本テレビ退職後初の仕事だった)

歴代レギュラー回答者編集

1枠編集

教授や作家など頭がいい人が多かったにもかかわらず男性大穴枠。


鈴木武樹

和久峻三(『赤かぶ検事』シリーズで知られる作家)

篠沢秀夫(「篠沢教授」の愛称で親しまれた)

北野大(ビートたけしの実兄として有名)

植草克秀(少年隊メンバー)


2枠編集

女性大穴枠。


五月みどり(番組開始当初の解答者の1人)

沢たまき

うつみ宮土理

南田洋子

長山藍子

宮崎美子

斉藤慶子(連敗記録第2位である24連敗を記録)

山崎浩子(元新体操オリンピック日本代表選手)

井森美幸(27連敗という、信じられない屈辱の記録を持つ)


3枠編集

男性本命枠。二人とも高知県出身の漫画家という共通点を持つ。


黒鉄ヒロシ(番組開始当初の解答者の1人)

はらたいら(27連勝という、神がかっていたとしか言いようのない記録を持つ。しかも2度達成)


4枠編集

女性本命枠。


萩尾みどり(番組開始当初の解答者の1人)

岸じゅんこ

竹下景子(三択問題に強く、「三択の女王」の異名を取った)


5枠編集

ゲスト枠。番組当初レギュラー枠だったが放送開始から半年で6枠から5枠に減らされた為、ゲスト枠に変更となった。

ガッツ石松(番組開始当初の解答者の1人で、出演当時は現役のプロボクサーだった)


変化が著しかったエンディング編集

エンディングは時期により変化が著しく、以下の通りになっているが、エンディングテーマBGMが流れる点は共通する。

6枠時代編集

テクストのみの次回予告、出場者募集のお知らせ、グリーンバックに『ROHTO ロート製薬』と続き「提供は、ロート製薬でございました」でナレーションを結んで、最後に番組タイトルを表示する。タイトルは下にずれて表示していた。

5枠化直後編集

イラスト入りの手書き次回予告から、番組タイトル、提供表示と続く。『ROHTO ロート製薬』はブルーバックになった。

クロスプログラム導入後編集

次回予告において、次回のゲストが登場し、出演に際しての意気込みを語るようになった。続いて提供表示、番組タイトル表示の順。

1989年6月以降編集

次回予告のあと、ホワイトバックに表示された2代目CIとスローガン『提供 健やかな明日のために RR ロート製薬』に併せ「健やかな明日のために。ロート製薬の提供でした」のナレーションが入り、最後に番組タイトルで締める。


関連項目編集

TBS クイズ番組 ロート製薬 競馬

草競馬 -作中で回答者が回答を書いている間に使用されていた曲。

井上瑤 -問題作成を行う構成作家チーム「チャーリー」の一員として番組に一時期携わっていた。

人生ゲームQDS 昭和のデキゴト -『人生ゲーム』シリーズのニンテンドーDS版で、『人生ダービー』と言うパロディ番組が登場する(司会者は大橋巨泉ではなく、オーハシコセン)。

とんねるずのみなさんのおかげでした…トークダービーというパロディコーナーがあった。内容は司会の石橋貴明(本家に出場者として出演経験がある)が解答者である後輩芸人のトークの面白さで正解か不正解かを決めるというダービーだった。

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