経歴
1943年3月8日、高知県香美郡土佐山田町で生誕。本名は原平(はらたいら)。
中学生の頃から漫画を描き始め、地元の新聞紙や雑誌等へ投稿を行っていた。高校卒業後に上京し持ち込みを続け、1963年に『週刊漫画TIMES』(同誌では後に読者参加型の1コマ漫画企画である『百万人のお笑い大学』の選者も務めていた)に掲載された『新宿B・B(しんじゅくベベ)』でデビュー。以降も数々の漫画雑誌や新聞等で多くの漫画作品を連載していた。
代表作に『モンローちゃん』(週刊漫画ゴラク連載作品)、『はらたいらのゲバゲバ時評』(漫画アクション連載作品)等。エッセイ本(少年時代の姿を描いた自著『最後のガキ大将』は『ガキ大将がやってきた』の題でTVドラマ化された)や対談本等も多く発表している。
2006年11月10日、肝臓ガンにより63歳で死去。
こぼれ話
フジテレビ系列で放送されていた『プロ野球ニュース』の週末版のメインキャスターを1977年10月から3ヵ月間務めた他、阪神タイガースのファンであった事から選手時代の掛布雅之が出したレコード『掛布と31匹の虫』の作詞とプロデュースをしたこともあり、漫画家・クイズ解答者以外にも多方面で活躍していた。
1984年には第6回日本雑学大賞を受賞しているほか、第13回ベストドレッサー賞の学術・文化部門を松平定知(当時NHKアナウンサー)と共に受賞している。
クイズダービーにおいての活躍
TBS系列で放送されていたクイズ番組『クイズダービー』に、本業への専念を理由に降板した黒鉄ヒロシと替わる形で1977年1月22日放送分から3枠レギュラー解答者として出演(レギュラーになる以前の1976年8月7日放送分には、馬場のぼるや藤子不二雄と共に出場者として出演したことがあった)。司会者である大橋巨泉からは「宇宙人」や「和製アラン・ドロン」等と称されていた。
番組内では27問連続正解を2回達成するなど驚異の正解率(.747でほぼ3/4)を誇り、「実は前もって答えを教えてもらっていた」と言われるほどであった。
関連項目
漫画家 高知県 週刊漫画TIMES クイズダービー 大橋巨泉 やくみつる
ラクガキ王国 -登場するラクガキの一種、ゲンペイのデザインを担当。
ベータマックス -SONYが発売していたビデオデッキで、「わたしはベータが好きです。」がキャッチコピーのテレビCMに出演していた。
ハウス食品 -1978年当時発売されていた、つけ麺を家庭で再現できるインスタント麺である『つけ麺』のCM(高瀬春奈と共演)に出演していた。
ロート製薬 -『クイズダービー』で共演していた大橋巨泉、篠沢秀夫と共に1984年放送の『新パンシロン』のCMに出演した。
竹下景子 -『クイズダービー』ではらと共に長きに渡って番組を支えた。竹下主演のドラマにはらがゲスト出演したこともある。
魚住純 -井上雄彦の漫画『スラムダンク』の登場人物。作中で「はらたいらに3000点」と言うシーンがある。
みなもと太郎 -所属している作画グループ発行の雑誌の企画内で、はらが女性キャラは横顔しか描けない事に触れていた。
谷岡ヤスジ - 駆け出し時代からの友人の一人
テレビ高知 -はらが高知県の各地を訪れる番組、『はらたいらのおらんく風土記』を放送していた。