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みなもと太郎

みなもとたろう

日本の漫画家。貸本漫画を耽読の後販売の手伝いをし、紙芝居を一応作り、同人誌を作り、コミケで販売もするなどのマンガ史を一通り経験し、マンガ界の生き字引として全うした人物である。
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経歴編集

1947年3月2日生まれ。

本名は浦 源太郎(うら・げんたろう)。京都府京都市北区出身。


京都市立日吉ヶ丘高校美術課程の出身。

ちなみに高校生時代には京都で時代劇映画等の『仕出し』のアルバイトを行っていた。

また短期間ながら貸本屋にて巡回配本のバイトも行っており貸本文化(貸本漫画)の斜陽期を内部の立場からリアルタイムで覗き見程度ながらも見ていた人でもあった。


高校卒業後「デザインができる(≒絵を描いて暮らせる)」と吹き込まれ一時的に地元の呉服屋(反物屋および和服の仕立てメンテナンスおよびクリーニング業を兼ねる)に就職するが営業に回された(実際には改めて適正を見ると共に業種や会社への理解を深めてもらうための研修の一環としての一時配属であったものと思われる)結果、性に合わずに職を辞して単身東京へ引っ越した。


1967年9月、『別冊りぼん夏の号』に掲載された「兄貴かんぱい」で漫画家デビュー。ペンネームは本名の「浦 源太郎」の名前部分を読み替えたもの。


1968年、同人サークル作画グループ」に入会。聖悠紀らとともに同会を日本最大級の漫画同人にする立役者となる。


1969年、カンヅメになった旅館で、一条ゆかりの手伝いに来ていた夫人と出会い、1970年に結婚。共に落語好きというのが付き合うきっかけとなった。


1972年ごろより雑誌『希望の友』(潮出版社)に活動の軸足を移し「名作シリーズ(潮出版版世界名作劇場)」を手掛け、その集大成として1973年から翌年まで「レ・ミゼラブル」を手掛けた。

また同時期から学研の『科学と学習』にて「じたばたばーちゃん」「とんでも先生」を手掛ける。

さらに成青年雑誌にも活動の場を広げた。


そして運命の1979年。『希望の友』が改組して成立した『少年ワールド』(さらにのち『コミックトム』)において、あの運命にして(全く終らず終わりの気配すら見せず担当・出版社を泣かせた事でも有名な)伝説の超大河群像劇マンガ『風雲児たちの連載をスタート(1998年に編集部判断にて強制打ち切り、連載は『雲竜奔馬』にバトンタッチされたが前連載の長期化の反省から連載の手綱を取って作品を全面制御したかった編集側と、描くべきを描かねば気が済まないみなもととの軋轢が招じて2000年に打ち切り)させた。


潮出版社とのカラミから同系列の出版社でも仕事をしており、1992年には「豊くんの仏法セミナー」シリーズ(第三文明社)などを上梓している。


また1997年から2000年まで、松文館の成年漫画雑誌『姫盗人』の表紙を担当していた。


また映画「ラ・マンチャの男」に激しく感動し、出版社へ「マンガ化したいです」と言ったところ、「映画の原作がアメリカブロードウェイの何処ぞでやってるであり、著作権はその劇団が持ってるため、そこと英語で交渉しろ、さもなきゃ無理」と言われたので、だいたいあってる形にした「スターウォーズドンキホーテ」(1988年、コミックトム)という作品で雑誌掲載だけしてもらう。

その後、コミティアで、「同人誌の形でアレ売りませんか」と言ってきたので、弟子である坂本ハヤト協力のもと1997年、50歳にして同人誌即売会デビュー。以降コミックマーケットへは「みにゃもと」名義で参加している。


2001年大人となって各業界に散っていた、かつて少年だった人(ファン)たちの熱烈なる支持に推され『コミック乱』(リイド社)より「風雲児たち・幕末編」の連載をスタート。しかし、みなもとは2020年の前後より高齢による体調の不良を繰り返すようになり、同年より一時休載とあいなった。


そして2021年より肺癌の療養のため入退院を繰り返し、2021年8月7日、心不全のため死去。享年75(74歳没)。喪主は妻が務め、葬儀は家族葬として営まれた。後半生のライフワークであった作品「風雲児たち」はついに未完となった。


人物・家族編集

みなもとの両親(父親が朝鮮で新聞記者をやっており、当時の朝鮮の事実上の為政者であった漆原松吉の娘美津江と結婚)が元朝鮮へ行った日本人で、第二次世界大戦の後、つてを頼って引っ越した(土地、家の所有権は父親名義であるが、母方の両親が居候している「ちょっと違うサザエさんのような」環境であった)ものであるため、京言葉が出ない。


早すぎたオタク即ち「知識の体系化ができる人」なので、東映時代劇を見まくって勉強し、演技をそれなりにこなせるようになっているみなもとは、当時その辺を仕切っていたヤクザの皆さんから、そのスジとみられていたそうである。

ちなみにみなもとの曽祖父漆原清三郎は本物の半可通(親分のいないヤクザ)だったそうである。で、清三郎の息子さん(長男もだけど三男)松吉は、大変良い人だったので、いろいろあって明石元二郎の配下となり、明石とともに世界を飛び回って「日露戦争プロパガンダ」に奔走したらしい。(その祖父の伝記を書いた「松吉伝」2003年)には、漆原の娘でみなもとの母である浦(漆原)美津江からの聞き書きがあるが、詳細は不明)


このように基本的に博覧強記の人でもあるため岡田斗司夫がみなもとと話をした際、いかなるサブカルチャーの話をしてもレスポンスを返し、「美少女アニメをいろいろ見てきたが、ポップチェイサーが一番面白かった」と、「ただしい評価」をしたそうである。岡田はその知識の多さに舌を巻いた。

また『VOW』の常連投稿人としても知られる。


創価学会の熱心な信者としても知られていた。但し、みなもと自身は基本的に「日蓮宗原理主義」(というか日蓮正宗の檀家集団であった頃の創価学会のうち穏健的な考えを範としていた人)であり、その作品は21世紀の創価学会の主張にそぐわない部分もあるため、面白いのに再販が難しいものになっている。(ただし、いくつかは電子書籍化されている)


作風編集

絵柄は典型的なギャグ漫画家らしい記号性と抽象性の高いものであるが、劇画調、(昭和の)少女漫画調、今時のアニメ絵調の作画もでき、それらを同一漫画内で描き分け、かつとてもマッチした画風である。

彼曰く「女キャラは気合い入れて描くが、男は適当。時間は1割。」とのこと。

ただし女キャラは女キャラでも脇役(モブ)やガチの悪役あるいはブスと設定されているキャラはやっぱり適当。なので、みなもと作品の気合いの入った女キャラは基本的にヒロイン枠キャラのみという事になる。


また自画像あるいはアバターは、自身の幼年向け代表格『とんでも先生』(学研「科学と学習」連載)の主人公のもの(の髭を剃ったもの)が使われる事が多い。


なおキャラクターの使い回し(スターシステム)をすることは少ない作家、と言われることもあるが、あくまで少ないだけで上述のアバターのように事例はある。

【みなもとスターのシステム用例】

・とんでも先生(とんでも先生)=みなもと太郎(風雲児たち、ほか)

・沖田総司(冗談新選組)=マリウス(レ・ミゼラブル)=吉田松陰(風雲児たち)

・近藤勇(冗談新選組)=ジャベール(レ・ミゼラブル)=大口後輩(あどべんちゃあ)

・芹澤鴨(冗談新選組)=テナルデ(レ・ミゼラブル)

・ホモホモ7(ホモホモ7)=土方歳三(冗談新選組)=坂本龍馬(風雲児たち)

・客引きおじさん(レ・ミゼラブル)=フケタ先輩(あどべんちゃあ)=前野良沢(風雲児たち)※風雲児たちでは、ちょっと若返ってフケタ先輩としても(モブゲストとして)登場。


主な作品編集

風雲児たち ホモホモ7 とんでも先生 レ・ミゼラブル ハムレット


アニメ大江戸ロケット」:客演絵師(キャラクターデザイン)で参加。作中、裃に「み」の紋が入った、みなもとの自画像らしきキャラが登場。

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