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みなもと太郎

みなもとたろう

貸本漫画を耽読の後販売の手伝いをする、紙芝居を一応作る、同人誌を作る、コミケで販売もするなどのマンガ史を一通り経験しているマンガ界の生き字引である。
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概要

1947年3月2日生まれ、京都府京都市北区出身。であるが、みなもとの両親(父親が朝鮮で新聞記者をやっており、当時の朝鮮の事実上の為政者であった漆原松吉の娘美津江と結婚)が元朝鮮へ行った日本人で、第二次世界大戦の後、つてを頼って引っ越した(土地、家の所有権は父親名義であるが、母方の両親が居候している「ちょっと違うサザエさんのような」環境であった)ものであるため、京言葉が出ない。

京都市立日吉ヶ丘高校美術課程を卒業後、東京へ引っ越す。
なお、学生時代には京都で時代劇映画等の『仕出し』のアルバイトを行っていた。
早すぎたオタク即ち「知識の体系化ができる人」なので、東映時代劇を見まくって勉強し、演技をそれなりにこなせるようになっているみなもとは、当時その辺を仕切っていたヤクザの皆さんから、そのスジとみられていたそうである。
ちなみにみなもとの曽祖父漆原清三郎は本物の半可通(親分のいないヤクザ)だったそうである。で、清三郎の息子さん(長男もだけど三男)松吉は、大変良い人だったので、いろいろあって明石元二郎の配下となり、明石とともに世界を飛び回って「日露戦争プロパガンダ」に奔走したらしい。(その祖父の伝記を書いた「松吉伝」には、漆原の娘でみなもとの母である浦(漆原)美津江からの聞き書きがあるが、詳細は不明)

1967年9月、『別冊りぼん夏の号』に掲載された「兄貴かんぱい」で漫画家デビュー。ペンネームは本名の「浦 源太郎」の名前部分を読み替えたもの。
デビュー当初から商業誌で活躍するかたわら、創作集団「作画グループ」のメンバーとして、同人誌を製作している。

絵柄は典型的なギャグ漫画家らしい記号性と抽象性の高いものであるが、劇画調、(昭和の)少女漫画調、今時のアニメ絵調の作画もでき、それらを同一漫画内で描き分け、かつとてもマッチした画風である。
彼曰く「女キャラは気合い入れて描くが、男は適当。時間は1割。」とのこと。

映画「ラ・マンチャの男」に激しく感動し、出版社へ「マンガ化したいです」と言ったところ、「映画の原作がアメリカブロードウェイの何処ぞでやってるであり、著作権はその劇団が持ってるため、そこと英語で交渉しろ、さもなきゃ無理」と言われたので、だいたいあってる形にした「スターウォーズドンキホーテ」という作品で雑誌掲載だけしてもらう。
その後、コミティアで、「同人誌の形でアレ売りませんか」と言ってきたので、弟子である坂本ハヤト協力のもと50歳にして1997年即売会デビュー。以降コミックマーケットへは「みにゃもと」名義で参加している。

岡田斗司夫がみなもとと話をした際、いかなるサブカルチャーの話をしてもレスポンスを返し、「美少女アニメをいろいろ見てきたが、ポップチェイサーが一番面白かった」と、「ただしい評価」をしたそうである。岡田はその知識の多さに舌を巻いた。

創価学会の熱心な信者で、「豊くんの仏法セミナー」シリーズなどを上梓。但し、みなもと作品は「日蓮宗原理主義」であり、21世紀の創価学会の主張にそぐわない物であるため、面白いのに再販が難しいものになっている。

VOW』の常連投稿人としても知られる。

作品

風雲児たち
ホモホモ7
ハムレット 他

参加アニメ

大江戸ロケット
客演絵師
 と、作品中になんとなく、紋の入る所に「み」て書いてある裃着た、みなもとの自画像らしきキャラが登場する。
みなもとはキャラクターの使い回し(いわゆるスターシステム)をほとんどしないが、この作品には、数少ない使い回しキャラだけ登場する。

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