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谷岡ヤスジ

たにおかやすじ

オラオラオラー!谷岡ヤスジとは、日本の天才ギャグ漫画家だもんね。
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全国的に概要ー

1942年8月29日、愛媛県宇和島市で生誕。本名は谷岡泰次(たにおかやすつぐ)。宇和島のみならず、少年時代を旧一本松町(現在の愛南町に含まれる)で過ごす。

中学3年生の時に東京へ引っ越し、保善高校在学中の1959年に『中国小学生新聞』へ連載された「やっちゃん」でプロの漫画家としてデビューした。
高校卒業後は父親の事業である映画やテレビのエキストラの斡旋業の手伝いを行いつつ、漫画家のわちさんぺいに弟子入りし修行を重ね1966年に独立。

1970年から翌年にかけて、『週刊少年マガジン』(講談社)にて「ヤスジのメッタメタガキ道講座」を連載。シンプルな線で描く、70年代の性欲=バイタリティを存分に感じられるフリーダムでアナーキーでバイオレンスで破天荒なガキ共の行動は多くの人々に衝撃を与え、日活撮影所の手によって映画化されたことがある。また、東京テレビ動画(のちの日本テレビ動画)なるアニメスタジオが、彼の作品の世界観を元にした成人向けアニメ映画「ヤスジのポルノラマ_やっちまえ!!」を製作している。

その後は『週刊漫画サンデー』(実業之日本社)を中心に、主に大人向けの漫画雑誌で活躍した。
1999年6月14日、咽頭ガンにより死去(満56歳)。

現在においては、今の時代では味わえないバカエロ&グロな、いわゆる大人の昭和レトロという形で取り上げられることもある。

代表作だオンドリャーしまいにゃ血ィ見るどワリャー!

  • ヤスジのメッタメタガキ道講座
  • ヤスジのド忠犬ハジ公
  • ヤスジのドナンセンチュ
    • 講談社の文芸誌『小説現代』に掲載された。
  • ヤスジのはめっちょマン
    • 少年画報社の漫画雑誌『まんが笑ルーム』に掲載。同誌では新人漫画賞として「谷岡ヤスジ賞」が主催されていた。
  • のんびり物語
    • 『週刊モーニング』に掲載されたオールカラー漫画。あるどーでもいい日のことでした。

週刊漫画サンデー(漫サン)掲載作だもんね

  • じゃる気あんのか劇場(1970年-1973年)
  • アガキーマン→アギャキャーマン(1973年-1988年)
    • 担当編集者の凡ミスを谷岡が気に入ったため改名。また、作中で「1999年に自分は死ぬ」と予言しており、図らずも的中する形となった。
  • ヤスジのドよろずーマン(1988年-1996年)
  • ワヤやがな(1996年-1997年)
    • 漫サン掲載作唯一の4コマ漫画作品。
  • ノホホンごっち(1997年-1999年)


シデー余談ですこと

  • 保善高校の面接を受けた際に志望動機を聞かれて「漫画家になりたい為です」と即答し、「赤胴鈴之助」の模写を面接官役の教師に手渡すも「うちは漫画家を養成する学校じゃないから」と返されてしまった(結果は合格だった)。この教師は谷岡が高校を卒業する直前「君は10年後面白い漫画家になる」と高く評価しており、後にテレビ番組の対面企画で谷岡と再会を果たしている。
  • 彼の代名詞的ギャグである「鼻血ブー」を思い付いた当初「編集者から没にされるのではないか?」と心配になり父親に相談した所、「何も気にするな、面白いからもっと描いた方がいい」と励まされた。
  • 1969年に夏の甲子園で優勝した時の松山商業高校の4番打者で、大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)と阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)に在籍した元プロ野球選手の谷岡潔は従兄弟である。
  • 同じ四国出身の友人であるはらたいらと酒を飲んだ帰り道で銀行が目に留まった為はらに「あの銀行の大看板を取ってきてほしい」と無茶振りをした所、はらが嫌な顔一つせず本当に大看板を取ってしまった事があった。


外部リンクだ、クソして寝ろワンラ!!


オラオラオラ!関連タグだオラ!!

漫画家 愛媛県 鼻血ブー
はらたいら - 駆け出し時代からの友人の一人。はら、とりいかずよし、岩本久則、星川てっぷ、北山竜と競作した読み切り作品「夏の日の思い出」が『週刊少年チャンピオン』の1970年21号に掲載された事があった。
内田春菊 - 谷岡と共にぶんか社がかつて発行していた漫画雑誌『まんがシャレダ!!』のCMに出演(共演ではなく、別撮りした内田と谷岡の映像を組み合わせた構成だった)。

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