全国高校野球選手権大会
ぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかい
毎年8月に朝日新聞社と高野連が主催で、阪神甲子園球場にて行われるため単に「甲子園」というとこの大会を指すこともある。
昭和から現代にいたるまで高校生のスポーツ大会の中でもトップクラスの知名度を誇る。この大会で活躍した後に卒業を控えた高校生がドラフト会議で指名される可能性は極めて高く、日本のプロ野球選手達にとって登竜門ともいえる重要な大会である。
少年野球を取り扱う野球漫画ではほぼ必ず登場し、物語の展開にも大きく関わってくることが多い。
1915年、「第1回全国中等学校優勝野球大会」が豊中グラウンドで行われたのが最初。
1917年から会場を阪神電気鉄道が所有する鳴尾球場に変更。
1924年の第10回大会から阪神甲子園球場を使用。
1946年(第28回大会)はGHQに甲子園を接収されていたため、阪急西宮球場で行われ、
第40回記念大会の1958年と第45回記念大会の1963年も甲子園球場と西宮球場を併用した。
以後は阪神甲子園球場のみで行われている。
因みに、
- 1918年(第4回大会)は米騒動の為中止。
- 1941年(第27回大会)は太平洋戦争の為地方大会の途中で中止。(再開は1946年になるまで文部省主催で全国中等学校野球大会が開催されたが、記録として残されていない。)
- 2020年(第102回大会)はCOVID-19の感染が流行した年であり、遠距離移動を避ける目的で、(観客を高校球児の関係者に絞ったうえで)地方大会のみ実施。ただし、選抜高校野球出場校による高校野球交流試合が同時期に甲子園で無観客で開催。また、2023年11月~12月にかけて当時の高校球児たちが発案した「あの夏を取り戻せ 全国元高校球児野球大会」が甲子園球場にて開催された。
かつては地区別に地方大会が行われ、1958年の第40回大会から1973年の第55回大会までの5年おきに行われた記念大会では1都府県1代表で行われていた。戦前は台湾(1923年~1941年)、朝鮮(1921年~1941年)、満州(1921年~1941年)でも地方大会が行われた。
現在は東京と北海道は2代表、府県1代表で行われ、記念大会では出場校が多い地域は2代表で行われる場合がある。
外地を除けば各地方で最低1校は優勝しているが、北海道・沖縄は平成中期、東北は何と令和4年になるまで優勝校が出なかった。
※記事のある出場校、特記すべき高校を掲載。校名は出場当時の名前の場合もある。太字は歴代優勝校。
関東・甲信越
作新学院 宇都宮学園高等学校(現:文星芸大附属高校) 佐野日大 國學院栃木
早稲田実業 堀越高校 成立学園 帝京 関東第一 國學院久我山 国士舘高校 桜美林高校 日大三高 日大桜丘 二松学舎大学附属高等学校
慶應義塾高等学校(旧・慶應義塾普通部) 東海大相模 横浜高校 桐蔭学園 法政大学第二高校(法政二高) 湘南高校
松商学園(旧・松本商業学校) 岡谷工業高校(旧・長野県諏訪蚕糸学校)
東海・北陸
中京大学付属中京高校(旧・中京商業学校/中京商業高等学校/中京高等学校)・・・最多勝利数78勝、最多優勝7回、最多連勝22連勝。
愛工大名電(旧・名古屋電気) 県立旭丘高校(旧制・愛知一中) 東邦高校
豊川高校
日生学園第二高校(現・青山高等学校) 四日市高校 三重高校 海星高校
中京高等学校(旧・中京商業高校/中京学院大学付属中京高等学校) 県立岐阜商業(旧・市立岐阜商業学校) 市立岐阜商業 岐阜高校 大垣商業高校 関商工 岐阜第一(旧・岐阜短期大学付属岐阜)
静岡高校(旧制・静岡中) 常葉菊川
近畿
龍谷大学付属平安(旧制平安中、平安高校)・・・夏33回出場で最多。
鳥羽高校(旧・京都第二中学校) 京都学園高等学校(旧・京都商業学校/京都商業高等学校) 立命館宇治高校(旧・宇治高等学校)
大阪桐蔭 PL学園 履正社高校 大体大浪商(旧・浪華商業学校、浪華商業高等学校、浪商高等学校) 興国高校 明星高校 関西大学北陽高校(旧・北陽高等学校)
関西学院高等部(旧制・関西学院中学部) 報徳学園 東洋大姫路 県立芦屋高校 甲陽学院高校(旧制・甲陽中) 県立神戸高校(旧制・神戸一中) 育英高校 滝川 滝川第二 社高校
九州
小倉高校(旧制・小倉中) 三池工業 西日本短大付属高校 福岡工大城東
佐賀商業 佐賀北高校
大分上野丘高校 日田林工 津久見高 柳ヶ浦
長崎商 海星高校 長崎日大 波佐見 清峰
日南学園 延岡学園 都城 高鍋 宮崎商 都城商 小林西
沖縄水産 興南 沖縄尚学 八重山商工
外地・満州<1941年まで>
※記事のある人物のみ。