概要
1932年に設立された航空発動機練習所が母体で、翌年には飛行場を設置。太平洋戦争に突入すると山梨航空機関学校となり陸軍の航空整備士養成所となったが1945年の終戦と同時に閉校となった。それから15年の時を経た1960年に別の場所(現在地)に山梨航空工業高等学校として復活し、日本航空工業高等学校を経て1979年に現在の名前に改称された。
日本では珍しい航空系高等学校で、普通科以外にも航空科がある。キャビンアテンダント、航空整備士、パイロットコースがあり、卒業後は系列の大学校への進学が優遇され、大手航空会社への就職も可能である。
日本航空の系列校と思われがちだが、まったくの無関係である。但し、日本航空へ就職した卒業生は多く、日本航空が発売している製品の差し入れも行われている。
設備
自前の滑走路(全長800mのため旅客機は不可)を保有しており、セスナ機や山梨県の災害ヘリが飛び立つ様子を見ることができる。10月に行われる航空祭は関係者以外の入場も可能で、滑走路や格納庫の見学ができる。
全寮制で、実家から通える距離でも強制入寮させられる。修学旅行以外にも航空科は2月に研修旅行がある。
スポーツ
野球、サッカー、バレーボール、バスケットボール、空手が全国レベルで、特に令和になってからは男子バレーボール、男子バスケットボール、空手が全国大会で優勝しており、甲府市にある山梨学院と共に山梨屈指のスポーツ強豪校に位置付けられている。
卒業生
その他
石川県輪島市に系列の日本航空高校石川があり、こちらも野球とラグビーが全国レベル。滑走路は能登空港のものを共有している。令和6年能登半島地震で校舎が損壊し、修復の目処が立たないことから野球部のみ1月から、その他の生徒も4月から山梨の本校で授業を受けることになった。