済々黌
せいせいこう
1879年(明治12年)に設立された「同心学舎」を元にした学校でその後旧制中学校、戦後は高等学校として移り変わりながら県内でも最古の歴史を持つ高等学校。
校歌は「黌歌」、校長は「黌長」と表記する。
その長い歴史から多数のOBが県内外の有力者やローカル企業の経営者となっており、
卒業生は40,000人を超えると言われており、現在は1年あたり約2/3近くが国立大学、地元の熊本大学にも100人前後が進学する偏差値70の進学校となっている。
県内トップの熊本高校及び第二高校、第一高校とともに「四校」と呼ばれる県内公立名門校の一角でありその二番手を担う。
文武両道の気風が強いのか、運動部もそこそこ強いがスポーツ推薦は一切ないため、強い選手が入るかどうかは年度により異なるが、部活の参加率は高い。
スクールカラーは黄色で、男子の制帽に黄色い線が入っている。
「バンカラ」と呼ばれた校風の名残で、男子の詰襟の内側には襟カラーがない。
またいまだに昔のマンガに出てくるような古式ゆかしい応援団も存在するが、近年では学生の約半数を女子が占めるようになったこともあり、女子が応援団長を務める年度も何度かありそのうちの1人が現女優の鳥海まどである。
男子の制服は黄色いライン入りの学ラン、女子の制服は冬は緑のネクタイのダブルブレザーの下にジャンパースカート、夏は上下ともグレーのセーラー服に白いリボン。
出身高校への帰属意識が特に強い熊本県においても、特にここのOBは群を抜いた尋常でない愛校心の強さとネットワークの強固さが知られている。
同窓会組織も大元のものだけでなく卒業年度別、部活OB会、はては卒業後の在住地域や職業別の同窓会などまさに網の目のごとく組織されている。
2012年硬式野球部が甲子園に出場した際は黄色の帽子を被った大量の在校生や全国から集まったOB(1回戦で6千人以上)がスタンドを埋め尽くした。→その模様
また、この時は野球部の方もドカベンを参考にしたという珍しいプレーを行った事で話題となった。
上記の甲子園出場チームのエースであった大竹耕太郎がプロ入り→一軍昇格後は京セラドームの試合に関西地区同窓会メンバーが60人集まって黄色いタオルを掲げて応援、日刊スポーツに「謎の黄色い集団」と書かれる羽目になった。(参照)
くりぃむしちゅーの母校であり、在校時代のエピソードは度々彼らの持ちネタにもなっている。