経歴
プロ入りまで
神奈川県桐光学園高校出身。甲子園では10連続奪三振や1試合22奪三振を記録するなど、怪物左腕として騒がれ、2013年のドラフトでは、東北楽天ゴールデンイーグルス、北海道日本ハムファイターズ、横浜DeNAベイスターズ、中日ドラゴンズ、福岡ソフトバンクホークスの5球団が1位指名し、抽選の結果、楽天が交渉権を得た。背番号は1に決まった。
NPB時代
ルーキーイヤーの2014年は、星野仙一監督の意向で、高卒新人では田中将大以来となる開幕1軍に抜擢され、4月2日のオリックス戦でプロ初登板を飾るが敗戦投手となった。先発投手としての起用であったが序盤は死四球を出して自滅というパターンが多く、シーズン途中で2軍落ち。再昇格後は中継ぎもこなした。結果的には4勝8敗と負け越したが、プロで生きていく術を学んだ。
2015年は新たに監督となった大久保博元の意向で、救援投手へ転向。さらに抑え候補のキャム・ミコライオの故障離脱により、クローザーへ抜擢される。3月28日(開幕第2戦)の日本ハム戦でプロ初セーブを挙げると、順調にセーブポイントを重ね、10代では史上初となる30セーブを記録した(当然ながら、1シーズン30セーブ到達者では史上最年少)。これにより、楽天における絶対的守護神としての地位を確立していく。
2016年は58試合登板1勝4敗30セーブ防御率3.32、2017年は62試合登板3勝3敗33セーブ防御率1.20の成績を残すが、2018年は長年の酷使がたたって不調に陥り、救援に失敗するケースが多く、2軍降格後クローザーから中継ぎに降格された。9月16日の対千葉ロッテマリーンズ戦において通算100セーブをマーク、9月27日の対ロッテ戦で先発に復帰、5回を無失点に抑え勝利投手になった。私生活ではこの年のオフに石橋杏奈と結婚したが、石橋自身は福岡出身のホークスファンである。
2019年は前年の不調を払拭するかのようにセーブ数を積み重ね、38セーブで自身初となる最多セーブのタイトルを獲得した。その一方で8敗と負けも多く、この内の6敗は同点の場面で登板して打たれたものであった。
2020年は再び先発起用で挑戦。しかし先発登板で3勝止まりと結果を残せず「先発投手としての適性なし」と判断され、レギュラーシーズン終盤の10月から中継ぎ復帰。2021年からは投手出身の石井一久監督の下でクローザーに固定された。
その後も2021年に通算150セーブ、2022年には32セーブを記録して2度目の最多セーブのタイトルを獲得。2023年には自己最多となるシーズン39セーブを記録した。
MLB時代
2023年シーズン終了後に、海外FA権を行使してメジャーリーグに挑戦することを表明。
同年開催の第5回WBCで侍ジャパンのチームメイトであったダルビッシュ有、元阪神のロベルト・スアレス、同大会で韓国代表として出場した金河成といった日本でもお馴染みの選手が多数在籍する名門球団、サンディエゴ・パドレスへと移籍することが決まった。背番号は引き続き1を使用。
シーズン中は、クローザーではなくリリーフとして起用され(既にチームにスアレスという絶対的守護神がいたため)、64試合に出場、4勝2敗9ホールド、防御率3.73、WHIP1.16という成績だった。序盤こそ火消し等の重要な役回りで登板する機会が多かったが、酷使による疲労がたたってかシーズン終盤は打ち込まれる機会も増え、控えに回ることも多くなった。ポストシーズンにも登板したが、地区シリーズ(ドジャース戦)4戦目のほぼ敗色濃厚となった局面での登板であった。
投球スタイル
オーバースローから、スライダーとチェンジアップを主体に直球とカーブを混ぜた投球術で三振を奪う。