株式会社近江兄弟社
軟膏薬「近江兄弟社メンターム」を中心に、医薬品・医薬部外品・化粧品等のスキンケア商品を製造販売する製薬会社。
明治38年(1905年)に創業者のウィリアム・メレル・ヴォーリズがキリスト教の伝道を志し滋賀県八幡商業学校に英語教師として赴任。しかし2年後の契約更改時に教師の職を解かれることになってしまう。
翌年の明治41年(1908年)に、建築家レスター・チェーピンと共に再来日。商業学校を卒業したばかりの吉田悦蔵と3人で、キリスト教伝道のかたわら生活の糧を得るために建設設計の仕事をスタートさせた。明治43年(1910年)には、同様の目的で村田幸一郎・吉田悦蔵らとともに製薬事業の「ヴォーリズ合名会社」を創業。大正9年(1920年)に設立した「近江セールズ株式会社」⇒近江兄弟社の前身となる。同時期にメンソレータムの輸入販売を開始。
のちに製造元であるアメリカ合衆国の「メンソレータム社」の創始者アルバート・アレキサンダー・ハイドとヴォーリズの出会いが縁で日本での製造・販売権を取得し、国内製造販売を行う。
1974年、原材料費の高騰と競合品との市場競争、不動産部門の採算悪化と1973年の第一次オイルショックの影響から近江兄弟社倒産。
再建のためにメンソレータムの製造・販売権を返還、商標権もメンソレータム社へ売却。
その後、近江兄弟社は大鵬薬品工業の資本参加などで再建、利用していた生産設備を活用し、「メンターム」販売開始。
因みに、
- 近江兄弟社は「公益財団法人 近江兄弟社」を設立、管財・伝道・出版・病院等の事業を経営。株式会社近江兄弟社の筆頭株主でもある。また、上記の建設設計事業は株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所に受け継がれている。
- 米メンソレータム社は1975年にロート製薬と技術提携、1988年にロート製薬が買収し傘下に収め、アメリカでの拠点となった。
- 大鵬薬品工業は2009年大塚ホールディングスの完全子会社となっている。
学校(近江兄弟社幼稚園・小学校・中学校・高等学校)
1922年、ヴォーリズと妻・一柳満喜子によって「清友園幼稚園」開設。満喜子が園長を務める。
1933年、吉田悦蔵を校長に近江勤労女学校設立。二年後近江兄弟社女学校に改称。
1933年、近江向上学園設立(1944年閉鎖、近江兄弟社女子青年学校に。)
1935年までには幼稚園・託児所等多様な教育事業展開。
終戦後、1947年から近江兄弟社小・中・高等学校・同定時制部を順次整備。
1951年、学校法人近江兄弟社学園設立。(初代理事長・一柳米来留、学園長・一柳満喜子)
2015年「学校法人ヴォーリズ学園」に法人名変更。
1983年から中高一貫教育が開始しているが、中学校から公立進学校に進む生徒もいる。
野球部は第75回全国高等学校野球選手権大会(1993年)に出場経験を持つ。