概要
1971年8月21日生まれ、京都府綾部市出身、滋賀県で育ち京都大学を卒業。
内閣総理大臣補佐官(社会保障・税一体改革及び国会対策担当)、
内閣総理大臣補佐官(原子力発電所事故全般についての対応及び広報担当)、
内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構担当)などを歴任。
シンクタンク勤務を経由、2000年に衆議院選挙にて民主党公認で出馬し初当選、政治家デビュー。順調に党内での出世を果たしつつあった矢先、2006年に当時ニュースキャスターだった山本モナとの言い訳のできない不倫現場を写真週刊誌にスクープされてしまい、民主党政策調査会長代理を辞任。ネットでも格好のネタにされ「モナ夫」と渾名されてしまい、未だにこう呼ばれている。
しかし時の権力者に取り入るのがうまく出世街道に返り咲き、政権交代後は要職を歴任、2011年に菅政権で内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)として初入閣した。民主党の野党陥落後は幹事長となるが第23回参議院議員通常選挙の敗北の責任をとり辞任。海江田万里の党首辞任に伴い代表選挙に出馬、決選で岡田克也と争ったが敗北した。
2016年に所属政党が民進党へ移行する。
2017年に新党立ち上げも視野に入れて離党する意向を表明、2017年8月10日をもって離党した。
その後若狭勝らとの新党立ち上げの意向を表明していたが、希望の党立ち上げに合流。
希望の党解散後は自民党の二階派に党外のメンバーとして無所属のまま合流した。
無所属になって以降はtwitterなどでの発言も変化が見られるようになり放射脳批判の発言も増えている。
第49回衆議院議員総選挙では無所属扱いで出馬しながら12万7580票を獲得し自民公認候補に大差で勝ち小選挙区内でトップ当選。この実績を受けて2021年11月5日、自由民主党に正式入党した。