第49回衆議院議員総選挙
だいよんじゅうきゅうかいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ
前回の第48回衆議院議員総選挙は2017年9月28日に衆議院が解散されたことにより同年10月22日に投開票が行われ、与党自民党が284議席、公明党が29議席を獲得し連立政権を維持した。
衆議院議員の任期満了と、前年に総裁選挙で選出された菅義偉の任期満了がほぼ重なっていたため、2021年初めから様々な報道が飛び交っていた。
菅義偉が総裁選挙に不出馬を表明したため、総裁選挙で選出された岸田文雄新総裁のもとで選挙を迎えることとなった。また、10月4日に菅義偉内閣が総辞職し、続いて招集された臨時国会の内閣総理大臣指名選挙によって岸田文雄が新総理に指名された。野党は予算委員会の開催を強く要求したものの、与党が拒否し所信表明演説を行った後、10月14日に衆議院を解散した。
首班指名選挙などを行う都合上任期満了選挙が不可能となったため、任期満了日を超えて選挙が行われる憲政上初めての事態となった。
更に、首班指名後10日後の解散は衆議院史上最短である。議員在職日数は反対に日本国憲法下で任期満了を除いて最長の1454日間。
任期満了と同じ年に総選挙が行われるのは2009年の第45回衆議院議員総選挙以来12年ぶりである。
立国合併後の立憲民主党、国民民主党にとっては初めての国政選挙となる。
また立憲民主党と日本共産党は相互で候補者調整や応援を行い合うなど、協調路線をとり選挙に臨むこととなった、
現在も続く新型コロナウイルスの世界的パンデミックの最中に行われる予定だが、総務省によると「仮に緊急事態宣言下でも選挙は公選法の規定に基づき執行する」としている。ただし、投票所での入場規制などの対策を行う予定の自治体も存在する。
コロナ対策により地元での集会を思うように行えない候補も多数いた。
もともと満期での選挙自体が与党に不利になりやすいことや、運命のいたずらとはいえ東京オリンピックが失敗したこと、コロナ禍の不満、夫婦別姓に反対しているのが自民のみ、SNSで活発な野党支持運動、既成政党への不満といった点により、自民大幅減、公明微減、立民微増、維新増というような予想を報道各社は出していた。
しかし公示前後から波乱は多く、立憲民主党と共産の共同歩調は共産を嫌う労組系からの反発を招き労組系候補が降板。
結果は事前予想どころか各社の出口調査が全部大外れという異常事態に。自民党が15議席減らしたとはいえ261議席獲得となり、ほぼ現状維持の公明党とともに与党の圧倒的勝利となった。
しかし公示前に公明党の持つ大阪の小選挙区(3区)に自民党の政治家・柳本顕が無所属で出馬すると宣言し、自公連立が崩壊する可能性があった。(理由は「大阪都構想に協力する公明党をこれ以上応援できない」という大阪3区の自民支持有権者の声を聞いたからである)
公明党は柳本の行動を批判し、自民党本部が抑え込み当選確実な「比例近畿ブロック名簿・単独2位」という異例の待遇で事態の収束を図った。
その反動で大阪選挙区では候補を立てた15選挙区(4選挙区は公明)で日本維新の会に負けて全員落選。
(大阪2区で地盤を守ってきたベテラン・左藤章も維新の新人候補・守島正に約4万票の差をつけられて落選)
自民党比例近畿ブロックにおいては8議席が割り当てられたのだが名簿1位候補と2位・柳本を除いて落選した重複候補者から惜敗率上位6人が比例復活を果たす。しかし大阪の小選挙区の候補者は維新の得票数と自民の得票数の差が大きく惜敗率50~60%台となっており、辛うじて70~75%の惜敗率だった宗清皇一と谷川とむのみが大阪選挙区から比例復活当選をした。結果、大阪の自民からの衆議院議員は3名のみとなった。
2022年5月、落選した13人のうち、11人のリベンジを誓うメンバーで「挑戦(チャレンジャー)の会」が結成され、岸田総裁の叱咤を受けて議席奪還を狙う。
日本維新の会が30議席増の41議席と大躍進し、非自民票を一手に掻っ攫うことに成功した。
特にお膝元・大阪では19の小選挙区のうち15の選挙区で議席を獲得。特に10区は池下卓が立憲民主党の大物・辻元清美に競り勝ち議席を獲得。
足並みの揃わなかった大阪自民党の隙をつく形での攻勢で大阪の自民党議席を全て奪い取った。
残りの4選挙区は大阪都構想に協力した公明党に譲っているが反対多数で否決され廃案になった今、次の総選挙では維新が立てる可能性が十分にある。
東京でも非自民票を積極的に獲得し自民が立候補しなかった選挙区でもアンチ公明党票を獲得、立憲民主党の共産との共同を嫌う層へのアピールが功を奏したとみられる。
国民民主党は11と微増し、こちらも「旧民主党系支持層で共産との連携を嫌う層」を獲得。
反面、立憲民主党は14減らした96議席と敗北。立憲民主党と共同戦線を張った共産党も振るわず-2の10議席となった。
前述のように立憲支持だった労組系の離反が響いたとみられており、選挙期間中も麻生太郎に「立憲共産党」と煽られたことが話題となったが、評論家の田崎史郎はこれが「地方の共産嫌い層に響いた」可能性を指摘している。
社民党は一議席のみとなり以前からの衰退傾向に歯止めをかけることはできなかった。
れいわ新選組は小選挙区では全滅したが比例で代表の山本太郎を含む3人が復活当選。N国は比例でも全員落選、議席獲得がならなかった。
左派陣営(マスコミ含む)は今回の選挙をポリコレ選挙と位置づけ、選挙前報道においてはジェネレーションZ世代が選挙に参加することから、Z世代は「リベラルかつ環境やジェンダー問題に関心が強い、共産党アレルギーが無い」とされていた。そのためコロナに加えてジェンダー論を今回の選挙の争点とする風潮があったが、各種世論調査ではそのジェネレーションZ世代で自民支持が多いという、通説と逆の結果を示していた。
2010年代におけるリベラル派の失敗としてオタク文化の影響力を過小評価しすぎた点があり、かつて日本共産党が表現規制反対であった2000年代後半には冷戦を知らない若者世代から支持を受けることがあったものの、その後SNSでのフェミニズム運動を受けてか路線転換が目立ち、今回は選挙直前に発表した政策紹介ページやアベプラでの吉良よし子の発言参照から「表現規制に与するのか」と炎上。吉良は従来コミケの表現の自由を守ると公言していた過去があったため、裏切りとみたオタクが多かった。
さらに共産党や立憲民主党の一部候補のもとに萌え絵叩きの先鋒に立ったフェミニズム運動家が多数応援についたことから、オタクの反発を招くと同時に対抗馬候補達の「自分は表現の自由を守る」という宣伝のネタとされることとなった。この選挙と次の参院選でオタク票を棚ぼた的に自民党が掌握した。
今回の大きな特徴として各党とも「ベテランや高齢議員の相次ぐ落選や苦戦」が頻発したことが挙げられる。
自民党は80歳の野田毅が43歳の対抗馬に敗れ落選、79歳の小沢一郎も小選挙区で38歳の対抗馬に敗北(比例復活)。
一般的知名度の高い議員でも、石原伸晃や佐藤ゆかりが落選という波乱が起きた。
幹部クラスの苦戦や敗北も相次ぎ、自民党では幹事長の甘利明等が小選挙区敗北(比例復活)。
この責任を取り、甘利は翌日党幹事長を辞任。
防衛省政務官を担当した大阪1区の大西宏幸が維新の候補に負けてしまい、比例復活もできないまま政務官も退任することとなった。その後、Yahoo!の当人アカウントで維新関連のネットニュースに批判するコメを投稿していることが問題となった。
立憲民主党では副代表の辻元清美や代表代行の平野博文が落選(共に比例復活もなし)、枝野幸男も辛勝に追い込まれた。敗北の責任を取り枝野は党代表を辞任、福山哲郎幹事長も後に辞任を表明。
この結果を受けて立憲民主党は代表をはじめ幹部が総入れ替えとなった。
自民党も野田毅が引退を表明し、無所属扱いで出馬し彼を負かした西野太亮が加入。静岡でも元々の自民候補を下した細野豪志が正式に自民加入した。
これにより各党の世代交代や人員の入れ替えもより進むこととなった。
共産党に対しては支持していたフェミニズム運動家達から女性候補の比例名簿順についての文句がついたものの執行部の責任を問う流れにはならず、上層部も敗北ではないとの立場に立ち志位和夫の辞任はないと表明した。
結局は各党とも大きな課題や禍根を残す選挙となった。各メディアや評論家が予測や事前調査を大きく外すことも頻発し、選挙予測のあり方も問い直される選挙となった。
なお新潟県では激戦となった結果大量に比例復活し、全立候補者16人中11人が当選という珍事となった。佐賀県は2つの選挙区でそれぞれ2人が立候補で比例復活で4人全員の当選になった。
当選挙で平成生まれの国会議員が誕生した。
内閣
- 選挙時 岸田文雄内閣(100代)
- 選挙後