概要
1974年1月28日生まれ
叔父は元国会議員、亡き父は元大阪市議という西成区を拠点とする政治家一家生まれのボンボン。
25歳の頃に父が急逝したため、地盤を継いで大阪市議となり活動していた。
大阪維新の会を嫌っており、大阪都構想の住民投票では反対派の旗振り役として活躍した。
腰が低く口調は丁寧なので真面目に見られるが慇懃無礼とも言うべき言動が目立つため、自民党内でも反感を抱く人がいる。
大阪市長選
2015年に大阪都構想が1度目の否決となったあとの大阪市長選にて橋下徹が後継として吉村洋文を候補として送り出した。それに対抗して柳本顕は反維新の代表として立候補したが落選。
2019年に2度目の大阪市長選が行われる際、前回同様反維新の代表として出馬を要請されたが参院選出馬のため一度は断った。しかし他の候補予定者も断っていったため、当時の自民党幹事長・二階俊博に恫喝されて参院選への出馬を辞退し、立候補する事になった。結果落選したうえ参院選出馬にも復帰出来なかった。
衆院選に立候補
2度目の市長選落選後、彼が拠点とする西成区が属する小選挙区大阪3区(自公連立の関係から公明党が拠点とする選挙区)の支持者からの「公明党が衆議院の議席を維持するために維新に擦り寄って都構想を賛成しているのを見てると、これ以上公明党を応援できない」「公明との選挙協力を辞めよう」という意見が相次いだ。
また柳本自身も市長選落選後、自民党に不信感を抱くようになった。
これらを踏まえて政治団体「大阪の底力」を設立し、次の衆院選総選挙出馬に備えて着々と準備を進めていくことになる。
この一連の行動を察知した公明党本部は自民党本部に「柳本が大阪3区から出馬しようとしている。もし彼が出馬したら公明党は全ての自民党候補を推薦しない」と警告したが、自民は軽く流していた。
だが、柳本顕は本気だった!
2021年10月初旬、第49回衆議院議員総選挙に自民党を離党して無所属で大阪3区に出馬する意向を自民党本部に話した。
これは2019年の参院選の出馬と大阪市長選を巡る一連の流れに対する意趣返しでもあった。選対や党本部にこれまで都合よく使い捨てにされた事も含まれる。
ようやく彼が本気だと知って自民党本部は大慌て。代替案として「2022年の参院選に比例候補として擁立する」ことを提案する。しかし参院選の比例は非拘束名簿式であるため、得票数が少ないと落選する可能性が高いこと、支持者を裏切る事から突っぱねた。
どうしても公明との関係を維持したい自民党本部は更なる代替案としてほぼ当選確実な「比例名簿近畿ブロック単独2位」という異例の待遇を提示する。
支持者、支援者だけでなく「仕方なく公明候補に入れていた有権者」「仕方なく公明以外の候補者に入れてた有権者」「白票を投じていた支持者」「今まで投票しなかった有権者」の票があれば勝てる選挙戦と考えていた柳本は当初この案も拒否する予定でいた。
結局党本部が(例えとして)柳本の頭を無理矢理抑え込んで大阪3区の出馬は取りやめさせた。
そのためせっかく用意した選挙関連品は使う事なく封印された。そして当選確実な中で行う演説には浮かない表情だった。大阪の小選挙区の自民候補が「比例は公明」と叫ぶ中、柳本は「比例は自民」と全うながら大阪自民から喧嘩を売ってるような発言で関係がギクシャクしていた。まあこれに関しては「自分のせいで落ちた人を少しでも比例復活で救う為に」言っている。
そして選挙日当日の投票締切とほぼ同時に当選確実と報道された。
しかしそれは大阪3区の自民支持の有権者に対する裏切りのみならず、大阪の小選挙区の自民候補にとっても怒りを募らせるものだった。ただでさえ日本維新の会の勢いが強くなり劣勢の状態にトドメをさすかのように大阪の小選挙区の自民候補15人は全員落選。比例復活も15人中2名のみという惨めな結果となった。比例復活を果たした大阪の議員(宗清皇一)は「一緒にやって行けない」と怒りをあらわにしていた。
2024年
石破茂が自民党総裁となった後に行われた、第50回衆議院議員解散総選挙では小選挙区・比例共に未出馬で約3年の衆議院議員生活に一旦の幕を閉じることに。中には比例単独で出馬するという報道もあったが石破総裁と森山幹事長に説得されて出馬を見送っている。
というのも翌年夏に参議院議員通常選挙が行われるにあたり、大阪選挙区の候補として出馬させて衆院選の小選挙区・大阪3区から遠ざけるという党本部の企みが見て取れる。
旧統一教会との関係
2022年7月に発生した安倍晋三銃撃事件で、政治全体が旧統一教会との関係が明るみに出ていく中で、第三次岸田内閣発足時に環境大臣政務官兼内閣府大臣政務官に就任した柳本も、大阪市議会議員時代や自民の一般党員時代(2015~2021年)に旧統一教会のイベントに頻繁に出席していたことが判明した。「衆議院議員になってからは一際関わってないし、今後は関係を断つつもりだ」と逃げ切ろうとする発言で事を収束させようとした。
しかし叔父の代から統一教会とは親密な関係にあり、特にその叔父は教祖を大阪に招待して親密ぶりをアピールしてきたのに、簡単に切り捨てられるものではない。
普通なら野党から批判の対象になり、スキャンダルのネタになりそうなのだが、日本共産党が軽く追及する以外はダンマリとしている。
理由としては「反維新」の象徴(アイコン)だから追及しないという事である。