来歴
2000年に弁護士登録して活動。
2000年代は主にやしきたかじんや武富士の顧問弁護士を務めた。特に武富士では年々金融業への風当たりが厳しくなる中、スラップ訴訟を駆使して債務者や彼らに同情的なジャーナリスト達を逆に攻撃して会社の延命に貢献し、良くも悪くも一目置かれた。
政治の道へ
2011年、たかじんの紹介により橋下徹と知り合い、彼が立ち上げた「大阪維新の会」に入党。
同党から大阪市会議員選挙に出馬し、当選した。
橋下も遊郭で知られる「飛田新地」の用心棒を務めた経験からその筋では名の通った男であり、出会うべくして出会ったとも言える。
政界では無名のド素人もいいところであったが、バックボーンが近しい事もあってか橋下の右腕として重用され、大阪都構想の詳細な図案の作成にも携わった。
2014年には国政の「維新の党」から出馬。
小選挙区からは落選したが、比例で復活当選を果たし国会議員となる。
大阪の顔に
2015年5月、1度目の大阪都構想の住民投票が反対多数で否決され、橋下が市長の任期満了後引退するに伴い後継者に指名される。
同年11月、国会議員を辞職し大阪市長選に立候補。橋下が積極的に吉村を応援し「自分の後継者として申し分ない」とアピールしてくれたため、対立する反維新陣営の候補に大差をつけて勝利し、大阪市長に就任する。
2019年4月、2度目の大阪都構想の住民投票を目指した調整中、協力を要請していた公明党が反対に舵を切った。
任期中の都構想の進捗を危惧した吉村は日本維新の会代表で当時大阪府知事であった松井一郎と相談のうえ、知事と市長の立場を入れ替えて出馬する通称「大阪クロス選挙」にうって出る。
立場を入れ替えたのは、引き続き同じ立場で出馬すると出直し選挙とみなされて、任期が2019年11月になり、再度選挙を行わないといけないためであった。
前回と同じ、いわゆる反維新の対立候補との一騎打ちとなったが、相手に100万票の差をつけて勝利し大阪府知事に就任する。
2023年4月には再選を目指し、府知事選に立候補。反維新陣営の「IR反対」に対しては「すでに申請待ちの状態」のため、言われたら相手にする程度にし、目玉政策として教育の完全無償化を掲げた。
結果は他の候補の不甲斐なさもあり、次点に200万票差をつけて圧勝した。
その得票数は大阪府知事選史上最多である。
近況
2020年の新型コロナウイルス感染拡大にあたっては独自の「大阪モデル」を掲げ、それを広く周知すべくマスメディアに積極的に出演する事を選んだ。
橋下時代からの伝手もあってその多くが実現し、コロナ対策で最も名を上げた知事となった。この様子は、対策が悪手と看做され支持を落とした当時の安倍総理とも対比され、一部で「吉村総理待望論」が出たほどだった。
もっとも、好意的な反応ばかりではない。
特に同年8月に
- 「うそみたいな本当の話をさせていただきたい。ポビドンヨードを使ったうがい薬を使って、うがいをすることでコロナの陽性者が減っていく」
とする記者会見を行った際は、首都圏を中心に「トンデモ」や「似非科学」と批判するメディア・専門家・政治家などが相次いだ。
ネットでも「若手芸人・イソジン吉村」などと揶揄的な受け止めをする人間が少なからず見られ、にわかに東西対立の様相を呈した。
実際は大阪府系の独立行政法人であり、れっきとした医療期間である「大阪はびきの医療センター」との共同会見であり、「重症者が使用すると口内のウイルスが減り飛沫による拡散が抑えられる」という限定的な範囲での効果を示したに過ぎないものである。
そのため、後日の会見でも
- 「予防効果があるとは、ひと言も言っていない。ぼくが感じたことをしゃべり、『それは間違いだ』と言われたら、ぼく自身、言いたいことが言えなくなる」
と重ねて述べたのみで、謝罪も訂正もしていない。
ただし、府内を中心に「イソジン」などの買い占めが発生した事は事実であり、それについてはやめるよう呼びかけている。
また、緊急事態宣言を巡っても全国的な流れとは異なる判断を下す事があり、しばしば「逆張りをしているよう」などと評されている。
しかしこれも、「大阪モデル」が経済優先で確信犯的に急ブレーキと急アクセルを繰り返す政策を敷いているためであり、同様の立場を公言するドナルド・トランプやジャイール・ボルソナーロといった面々と比べればはるかに常識的で科学的なものである。
そしてなにより、地元大阪では変わらず根強い支持があり続けているという点は、強調してもし過ぎる事はないだろう。
とは言え、秋頃からは高齢者と若い世代の同居が首都圏より多い都市構造や、感染力の強い変異種の出現といった悪条件が重なる形で、大阪は感染者数が人口比で全国最悪となってしまった。
翌年には医療崩壊ラインを彷徨うまでになり、引き続き吉村の手腕が注目され続けている。
前後して、2020年11月に2度目の大阪都構想の住民投票を実施した。
懸案だった公明党からは賛成を取り付ける事に成功していたものの、以上のような状況から満足のゆく政治運動が行えず、結果は再び反対多数で否決となっている。
その引責で松井一郎党代表を辞任を表明した事から、後任として大阪維新の会の代表に就任した。
現在は3度目は目指さず、「広域行政一元化条例」というものを利用して大阪市の枠組は残したまま「骨抜き」にしていく方針に転換している。
SNS
SNSを利用しないわけではなく、むしろ公的な情報発信ツールとして積極的に併用している。
コロナ対策にも活用しており、Twitterでは府内の新型コロナ陽性者の数だけでなく「検査者数」「陽性率」「病床使用率」などを毎日事細かに発表している。
先述した機運も手伝って、2020年には政治家としては珍しくTwitterのフォロワーが100万人に到達している(ちなみにフォロワー数トップは師匠である橋下徹)。
また一時期、多忙による疲れが顔に表れていた事を受けて「吉村寝ろ」という掛け声がバズっていた。
余談だが、同じくメディアへの露出が多く主張も強い東京都知事・小池百合子とは同族嫌悪の関係にあるようで、あまり反りが合わない。
支持層もさほど被っておらず、ここでも東西対立の様相を呈している。
関連タグ
たむらけんじ…実は2015年の大阪市長選の候補予定者の1人であり、吉村とは親交がある。