概要
1959年3月17日に創刊。ライバルの週刊少年サンデー(サンデー)と創刊日が同じであった。
創刊号の表紙を横綱(3代目)朝潮が飾っている。
手塚治虫と大喧嘩してしまった(こちらも参考までに)事がきっかけで、劇画メインのリアル路線をとるようになっており、それがこの雑誌の特徴となっている。なお、手塚は、後に講談社と和解している。
創刊当初はサンデーにかなり差をつけられていたが、「巨人の星」「あしたのジョー」の大ヒットで部数は上昇、サンデーを追い抜く事に成功した。だが、この2作品が終了すると部数は伸び悩むようになってしまい、結果週刊少年ジャンプ(ジャンプ)に抜かれてしまう。そればかりかサンデーだけでなく週刊少年チャンピオンよりも売れない時期もあったそう。
ギネス世界記録まで残したというジャンプ黄金期を1990年代後半に終了させ発行部数を上回った事もあったが、2000年代初頭に再びジャンプに抜かれてしまった。
雑誌のイメージキャラクターはモグラの「ピモピモ」。1982年26号で初登場した。本誌の表紙ほか、「はじめの一歩」単行本のカバー背表紙で見ることができる。
特徴
ジャンプほど読者アンケート至上主義ではなく、単行本の売り上げなども考えた上で連載期間を決めるらしい。
かといって単行本の売り上げに関してもスクウェア・エニックスほど徹底しておらず、アンケートや単行本の売り上げ両方で打ち切り基準が曖昧な面もある。
表紙(と巻頭数ページ)にグラビアアイドルを中心とした女性タレントを起用することがしばしばある(ライバルのサンデーもしかり)。ちなみに初めて表紙を飾った女性は藤圭子である。1970年の事。
その延長線上として、グラビアオーディション企画である「ミスマガジン」を開催していた。詳細は該当項目を参照。
なお、これが高じてか、講談社はグラビア雑誌「DELUXEマガジン」を1982年8月から1986年1月まで、「DELUXEマガジンORE」を1986年6月から1991年6月まで、それぞれ刊行している。
また、1996年から2000年まで、ヤングマガジン単独でミスヤングマガジンなるミスコンが開催されている。
1990年代初頭~半ばはヤンキー漫画が多く連載されていたこともあってか「不良が読む雑誌」というレッテルを貼られていた。しかし90年代末期以降は『ラブひな』がヒットした影響で所謂「萌え」系の作品が増え、さらに同じ頃にはそれまでの『マガジン』では珍しかった『RAVE』や『SAMURAIDEEPERKYO』といったファンタジーバトルものが増えた。それでも依然としてジャンプより高い年齢層向けの雑誌と言えるかもしれない。
少年誌としてスクエニやKADOKAWAに比べるとグロテスクな描写は厳しい反面、性描写は比較的寛容な側面がある。
それがジャンプやスクエニ、KADOKAWAより高い年齢向け雑誌と言われる側面がある。
他方、引き伸ばしや完結能力が弱い指摘も多く、主力作品の引き伸ばしの酷さや東京卍リベンジャーズやダイヤのAなどでは編集部の姿勢が問題になった事例も多い。
又、ゲームやアニメ関連ではコミックボンボンの緒を引いている為なのか、同業他社や自社他誌の作品に比べて、アニプレックスやバンダイ制作関与作品が少なく、代わりにコナミやポニーキャニオンでの制作関与作品が多い(特に真島ヒロ関連)。
掲載漫画
連載中の漫画(連載開始時期順)
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休連又は不定期連載の漫画
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マガジンポケット限定作品
金田一少年の事件簿外伝犯人たちの事件簿
イジらないで、長瀞さん
ヘッポコ勇者に戦略を
トゥーマッチング!
殺人予告はあの頃
他の雑誌に移籍した漫画
連載終了の作品
週刊少年マガジンに連載されていた作品の内、ピクシブ百科事典に記事があるか、pixivへの投稿作品が確認できるものをまとめる。
一覧内の作品名は全てリンクにする。
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