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ブッダ「見てよ 待合室におかれた…… この古いジャンプを……!」「ドラゴンボールジョジョスラムダンクダイの大冒険タルるートくんターちゃん幽白男塾と」

イエス「連載陣の豪華さで(※歯医者を)選んだのかい!?」

ブッダ「いや だって…… 見てよ このラインナップ…!!」「どこから読んだらいいのか…」


    中村光聖☆おにいさん』(講談社)6巻より


ジャンプ黄金時代

週刊少年ジャンプ』誌の発行部数が653万部の歴代最高記録に達し、全盛を誇った時代をジャンプ黄金時代と呼ぶ。


大雑把に言うと『北斗の拳』の連載開始(1983年9月)くらいから『スラムダンク』の連載終了(1996年6月)までのおよそ13年間。『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』(鳥山明)の連載時期にほぼ重なると考えてもらってもわかりやすいかもしれない。


1980年代はジャンプが本格的にメディアミックスに踏み出した時代である。名物編集者・鳥嶋和彦の手がけた『Dr.スランプアラレちゃん』(Dr.スランプのアニメ版タイトル)はTVアニメ歴代3位の視聴率36.9%を記録した。当時のジャンプ漫画原作のアニメは概ねゴールデンタイム(夜7~8時台)で放送されたため、アニメとの相乗効果でさらに幅広い世代に人気を得た。またファミリーコンピュータスーパーファミコンの作品紹介のコーナーをジャンプで見かけるようになる人も増えたことでソフトの発売本数も急増し、特にスクウェアエニックス(現在は両者合併しスクウェア・エニックス)は一躍有名になった。特にドラゴンクエストのマッシュアップとして連載が始まった『ダイの大冒険』は黄金期の一翼を担う大ヒット作品となった。


この時代を担ったジャンプ漫画は、友情・努力・勝利のジャンプイズムを体現する、男らしく硬派な作品が目立った。その筆頭は『北斗の拳』である。このヒットによって『タッチ』『うる星やつら』を大ヒットさせた週刊少年サンデーに対抗して青春ラブコメ路線を取り込もうとした編集部の方針は一新され、ジャンプは独自のカラーを持つことになった。


主人公3人

画像上から空条承太郎ジョジョの奇妙な冒険)、剣桃太郎魁!!男塾)、ケンシロウ北斗の拳


ただし、上記の鳥嶋らによりラブコメ路線も継続され、『電影少女』『きまぐれオレンジ☆ロード』といった秀作も輩出している。スポーツ漫画では『キャプテン翼』、『スラムダンク』が代表的作品で、日本ではそれぞれサッカー、バスケブームの呼び水となった。『ウイングマン』、『聖闘士星矢』、『幽☆遊☆白書』などの美形キャラの異能バトルもの、『ハイスクール!奇面組』、『ついでにとんちんかん』、『まじかる☆タルるートくん』などのギャグ・コメディ漫画のヒット作も目白押しであった。


この時代の展開のテンプレは、道着を着てマッチョな主人公とその仲間たちが最初は身近な悪と戦い、そのうち修行をおっぱじめて(その過程で高確率でビーム技を覚える)死亡遊戯に影響をうけた「塔を登って行き、各階に待ち構える格闘家と対戦する」というような敵の待ち受けている館を突破し、爾後武術会に参加し優勝するといったもので、最初はギャグやラブコメ、日常物として始まってもこのテンプレからは逃れられなかった。史上まれなドラゴンボールの成功経験に編集部がことごとく酔っていたというべきか。そのため作者本来の適性を無視した作品を描かされることも多く、その場合たいていが短期打ち切りのうえ移籍を余儀なくされている。


魁!!男塾』、『ジョジョの奇妙な冒険』、『シティーハンター』、『ろくでなしBLUES』、『花の慶次』など、青年層を狙ったアクション作品も多く掲載されたが、これらは少年読者にも受ける(アンケート順位を上げるため)ようコメディ要素もふんだんに盛り込まれた。


ピークは上述の653万部を達成した1995年(ただし実際の発売は1994年末)の3-4号となる。また1980年代中盤には連載作品の約半分がアニメ化を果たしていたこともあった。


当時の連載作家事情

この黄金期に連載されていた作品は、現在でも新作ゲーム映画スピンオフが発表されているようなビッグタイトルや名作がひしめきあっており、それ故生き残り競争も過酷をきわめた。10週打ち切りも(既にアニメ化経験のあるベテラン作家陣ですら)頻発。下記リストにあるような著名な作品の作者ですら、最終的に打ち切りに終わった(例:『聖闘士星矢』の車田正美、『魁!!男塾』の宮下あきら、『ジャングルの王者ターちゃん』の徳弘正也、『とっても!ラッキーマン』のガモウひろし、『シティーハンター』の北条司、『キャプテン翼』の高橋陽一など)程の、群雄割拠の時代だった。


当時の代表作家だった『キン肉マン』のゆでたまご曰く、作家達のライバル意識も強く「彼ら(ライバル連載陣)がクライマックスを迎えるときには、あえてクライマックスをぶつけて潰しにいくということもありました」と当時の競争の厳しさを振り返るほどである。(参照ケンドーコバヤシとの対談より


「ジャンプ」は当時から読者アンケートの人気順に掲載される形式だったが、1巻の発行部数が100万部を超えるレベルにあった全盛期の『BASTARD!!』すら、作者自ら「ジャンプの掲載順が巻末を爆走してる」と自虐ネタにするほどだった。『よろしくメカドック』をヒットさせた次原隆二は打ち切り作品を続出し、最終的にはジャンプを離れていった。「男坂」など豪快な打ち切られっぷりで逆に伝説を刻んだ作品すらある。


その後秋田書店新潮社徳間書店日本文芸社漫画ゴラク)などの他出版社に続編やスピンオフが掲載された作品や、連載は打ち切りに終わったものの、後年になって集英社や他出版社で続きが描かれることになった作品もある。(上述の男坂など)


当時の読者事情と影響

ドラゴンボール』のフリーザ編が佳境を迎えていた当時の青少年の熱狂ぶりは本当に凄かった。当時はネットスマホも存在しなかったため、誰もが最新号のジャンプを求めて、本屋に血相を変えてダッシュするしかなかったのである。中にはジャンプを買うためだけに学校をサボったという者も数多くいた。


入荷数の少ない田舎の本屋や駄菓子屋だと、放課後には少年たちの間で、だいたい「全力疾走VS自転車」の流れで、「ジャンプ争奪戦」というバトルが繰り広げられることとなった。


とりあえず「ジャンプを読まずば若者にあらず」そんな時代だったのである。たかがマンガ雑誌。されどマンガ雑誌。当時のジャンプをリアルタイムで熱狂して読んで育った「ジャンプ黄金期世代」は、まことに幸福であったと言えるだろう。ただしその幸福と引き換えにしたモノもあまりにデカかったのだが...。


なおこの時期はジャンプが大きいお友達(成人読者)や、高校大学生ぐらいのお姉様方(いわゆる同人女とか腐女子と言われる皆様)に読まれ始めた時代でもあったが、彼ら彼女らはどちらかというと個々の作品のファンとしてジャンプを読んでいた側面が強く、彼らの視点でジャンプ黄金時代が懐古的に語られることは少ない。ただし、『銀牙-流れ星銀-』などのように年長読者に人気の作品は、アンケート人気が芳しくなくとも単行本売り上げは好調であった。


またこの黄金期を語る上で欠かせないのがハガキ投稿コーナー、ジャンプ放送局であり、全盛期には毎週4万通もの応募ハガキが来たといわれ、ここまで勢いがあったハガキ投稿コーナーは過去にも類例がない。コミックスも発刊され、24巻まで刊行された。


黄金期の終焉とその後

「ジャンプ」は看板作品であった『幽遊白書』と『ドラゴンボール』、『スラムダンク』の連載終了(それぞれ94年と95年と96年に完結)を機に、発行部数に陰りを見せて400万部台にまで落ち込み(ジャンプ黄金期の終焉)、ライバル雑誌の「週刊少年マガジン」とほぼ並ぶようになった。同時期のマガジンは『金田一少年の事件簿』『GTO』『サイコメトラーEIJI』といったドラマ化されたラインナップを持っており、ジャンプでは消極的だった実写メディアをうまく活用していた(詳細はマガジン黄金期を参照)。


ジャンプは1997年34号から、20年以上経過した現在も連載中の看板作品である『ONEPIECE』の連載が始まるも、連載初期は爆発的な人気は得られなかったために部数低下の歯止めはかからず、1998年新年号には415万部にまで落ち込み、ついにマガジンの445万部を下回る。ここで1973年以降、約24年間守り続けた発行部数トップの座を明け渡した。


”暗黒期”とも称されたこの時期のジャンプの看板作品が『るろうに剣心』である。当時の少年漫画では珍しい明治時代を舞台とし、三十路間際の暗い過去を抱える剣士が主人公という異色作であったが、作者の和月伸宏は「三枚の看板漫画が連載終了して部数が暴落、不甲斐ない、悔しい思いがあった。自分がジャンプを牽引するつもりで描いていた」とインタビューで発言している。また『剣心』との二枚看板でジャンプを牽引した『地獄先生ぬ~べ~』の作者(原作担当作画担当かは不明)は「黄金期だったら自分たちは世に作品を残せていなかった。なんでもやらせてくれたのでタイミングが良かった」と本音を放っている。他に『封神演義』、『BOY』『幕張』など暗黒期のジャンプ作品は少年漫画の王道とは外れた個性の強い作品が目立つ。こうした中、黄金期には鳴かず飛ばずで埋もれていた高橋一雅高橋和希名義で連載していた『遊戯王』がカードゲーム路線に舵を切って人気を爆発させ、土方茂が本名の小畑健で連載開始した『ヒカルの碁』もヒット、ジャンプは復活の糸口を掴んでいく。『NARUTO』、『シャーマンキング』、『BLEACH』、『テニスの王子様』などの人気作も後に続き、2003年にジャンプは週刊少年誌売上1位を奪還。しかし、これはマガジンの部数が急落した結果であり、この間のジャンプの雑誌売り上げはほぼ横ばいであった。


2010年代に入るとジャンプの部数は再び下降線を辿り、2017年には実に39年間維持していた200万部を割るまで落ち込んでいる(1978年新年号で200万部突破)。

その後の2020年代では連載終盤に入ったONEPIECEがかつてのドラゴンボールを思わせるようなロングランヒットを見せているほか、社会現象レベルの大ヒットとなった鬼滅の刃のブーム、その他にも呪術廻戦といったヒット作が現れるなど、ジャンプの存在感自体はある程度維持されているという状況である。ただやはり90年代の黄金期に匹敵する勢いとまではいかず、また出版業界全体の流れとして電子書籍化も進んでいるという事情も絡み、紙媒体の漫画雑誌が今後ジャンプ黄金期に迫る部数を記録することは困難と言わざるを得ないだろう。


「ジャンプ黄金期」に連載されていた代表作

これらの作品は現在多くがJCとしては絶版、文庫版・完全版などで再販されていることが多い。


ギリギリで入らない連載作品の例

  • リングにかけろ(1977年2号 - 1981年44号)※黄金期直前の看板漫画。美形キャラによるバトル物のはしりでもある
  • 封神演義(1996年28号 - 2000年47号)※スラムダンク終了の次号から連載開始
  • 遊戯王(1996年42号 - 2004年15号)※カードバトルに転向したのは98年以降
  • 世紀末リーダー伝たけし!(1997年33号 - 2002年37号)
  • ONEPIECE(1997年34号から連載中)

こちら葛飾区亀有公園前派出所』はジャンプ黄金期以前からの連載作品であるが、ジャンプ史上最長の40年の連載期間を記録し、しかもジャンプコミックスの中でも初の三桁の巻数(200巻)を誇った。


こうしてみると、意外にも『ONEPIECE』が連載開始した1997年34号の頃も、黄金期の連載作がそこそこ多く残っていたことが分かる。


しかし、こち亀も2016年42号に完結、これをもって他誌に移籍した作品以外のジャンプ黄金期の連載が全て終わり、ひとつの時代にピリオドが打たれた。


その他

よろしくメカドック』の作者でもある次原隆二が2009年に週刊コミックバンチ誌(新潮社)で80年代のジャンプ黄金期のジャンプ編集部を題材にした『少年リーダム~友情・努力・勝利の詩』(当時の編集長だった西村繁男の『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』が原案)を自身の連載作を中断して1年間連載している。


関連タグ

週刊少年ジャンプ 少年ジャンプ

ファミコンジャンプ ファミコンジャンプⅡ バブル期 バブル崩壊 友情・努力・勝利

氷河期世代(団塊ジュニア世代ポスト団塊ジュニア):ジャンプ黄金期がリアルタイム(週ジャン仮想読者層のド真ん中)だった世代。時はジャンプのみならずファミコンなどの黄金期でもあり、大変豊かな少年時代を過ごしたといえるだろう。そして経済大国日本の未来を担うとされた、のだが…

ジャンプ放送局:連載作品ではないが、黄金期に非常に人気を博した読者投稿コーナー。黄金期の末期の1995年12月に13年の歴史に幕を下ろした。

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