鳥嶋和彦(1952年10月19日~)
概要
ブシロードの社外取締役。
1980年代には『週刊少年ジャンプ』の名物編集者として知られた。
1990年代には『Vジャンプ』、『週刊少年ジャンプ』の編集長を務めた。
来歴
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逸話
- 元々弁護士を目指そうと慶應義塾大学に進学したが、覚える内容が多すぎて自分では無理だと断念。卒業する頃はオイルショックで不景気だった事もあり、数十社もの面接を受けたがことごとく不採用となった末、2社採用された内の集英社に入社した。
- 元々鳥嶋は漫画にあまり興味を持たず、ジャンプ編集部に配属されても右も左も分からない状態だった。そのため必要以上に集英社に居たくないのもあり、集英社と同グループの企業であり、集英社の隣に在った小学館の資料室で暇潰しに漫画を読み、ちばてつやの「おれは鉄兵(※ちなみに講談社「週刊少年マガジン」発刊)をはじめとする数々の漫画を読む内に漫画への理解を持つようになった。
- 集英社入社当初、平松伸二の「ドーベルマン刑事」を担当する事となったが、前任の担当者が事務的に応対していたのもあり平松はただ平坦に描いていたため、それでは平松の才能は伸びないと数週間かけてコミニュケーションを取り、それから色々とアドバイスをした事もありドーベルマン刑事の人気は徐々に伸びていったが、その件がきっかけで前任者の後藤広喜(若い頃は本人がスポ根漫画の実践者であるかのような「熱血指導」で担当漫画家を叱咤激励する手法で知られていたジャンプ編集者。バトル漫画の祖とも評される「アストロ球団」の中島徳博を見出す等の功績が代表的)と確執を生む結果となる。
- のちに鳥嶋をジャンプ編集長に昇進させる話が社内で挙がるも当時の編集長の後藤が阻止。この件でジャンプに見切りをつけた鳥嶋は「Vジャンプ」を立ち上げて初代編集長になる。
- そして後藤が指名した堀江信彦が編集長に昇進するも、逆にジャンプの売り上げが低迷してしまい、集英社の上層部はこの危機的状況を打破すべく鳥嶋にジャンプ編集長の座を打診する。当初鳥嶋は前編集長がやらかした事の後始末をするのが嫌で拒否していたが、ジャンプ編集長になるか集英社を去るかと半ば脅しに近い選択を迫られ、前編集長を金輪際ジャンプ編集部に関わらせない事を条件にジャンプ編集長になった。
- 鳥山明の出世作『Dr.スランプ』でメタフィクション系のギャグシーンで度々登場しており、鳥山の原稿に容赦なく「ボツ!」と駄目出しをする様は読者に鮮烈な印象を与えた。これが、編集者という本来裏方の立場が一般の漫画読者に意識されるきっかけとなったともされる。
- 『Dr.スランプ』では当初則巻千兵衛を中心としたストーリーの方針だったが、チョイ役のつもりで出した則巻アラレを気に入った鳥嶋は彼女を主人公にしたほうがいいと提案。「少年漫画だから女性の主人公は…」と乗り気ではなかった鳥山に女性主人公の読み切り漫画『ギャル刑事(デカ)トマト』を執筆させ、アンケート結果が悪ければアラレを外していいと宣言。結果評判が良かったためアラレが主役に変更された。
- 鳥山は恋愛描写が苦手なため、話の展開をラブコメにもっていきたがる鳥嶋と意見が合わなかった。
- 鳥山のうっぷんを晴らすかのごとく『Dr.スランプ』作中では憎たらしい奴として度々登場させられ、ついにはオリジナルキャラクター「悪の科学者Dr.マシリト」となった。鳥嶋はマシリトが初登場した際の原稿を見て激怒したが、締め切りの関係でやむなくそのまま通した。しかし実際のところそんなに仲が悪いわけではないらしく、まあこのあたりは仲良くケンカしな的なものなのだろう。
- 鳥嶋は1980年代までのジャンプの三原則であった友情・努力・勝利は読者に飽きられていると感じ、彼が影響力を持つにつれジャンプから撤廃していった。熱血が売りだったジャンプを軟派路線に導いた張本人...もとい功労者として漫画史に名を残すことになる。
- かつてデビュー当時の鳥山明のネームに『没(ボツ)』と断言して何度も描き直させた逸話は現在の漫画家の間でも語り継がれており、かつて彼が担当した漫画家(後述の「彼をモデルにしたキャラクター」を参照)も恨み辛みもあってか、彼をモデルにしたキャラクターを登場させるほど。鬼のような指摘もあって結果として成功した漫画家を輩出させてはいるが...。
- ビデオゲーム好きで、早い段階からコンピューターゲームに触れており、初めてプレイしたビデオゲームは「PONG」だったという。さらに業界人の視点からもまだ定着していなかった「ゲームクリエイター」をこれから頭角を現す新しい職業だと着目し、ゲーム業界にも一枚噛むことになる。当時ライターだった堀井雄二が恐らく彼が最初に知り合ったゲームクリエイターであったとされる。またWJに「ジャンプ放送局」や「ファミコン神拳」のコーナーを作り、同誌のメディアミックス路線を確立。同コーナーの仕事を通じてさくまあきらや堀井雄二をゲーム業界に導くきっかけを作った。
- ちなみにジャンプ20周年記念作品である「ファミコンジャンプ」については「オールスター形式にすることで、メディアミックスに恵まれない作家にも公平に収入が入るよう枠組みを作ったまでは良いが、結果的にゲームとしてはお粗末なものになってしまった」という趣旨の述懐をしており「あれはクソゲーで申し訳なかった」と後年発言している。
- キャラデザに鳥山を起用させるなどドラゴンクエストシリーズの今があるのは鳥嶋の貢献を抜きにして語れない……が、キャリア後期に入ってからはゲーム業界とは距離を置いており、30周年のメッセージでは「最近のは知らんのですが」と述べている。
- ファイナルファンタジーシリーズについても、ファイナルファンタジー3を遊んだ後に坂口博信を呼びつけ、延々とゲームを批評したエピソードが語られている。坂口によるとこの出来事が以後のシリーズの舵取りに繋がったとのこと。そしてこの交流が後にクロノ・トリガーを生み出す原動力ともなった。
- そのクロノ・トリガーでは鳥山の描いたキービジュアルを起点とし、坂口の率いる開発チームがシーンに落とし込んで、シーンの合間を縫うようにゲームとして組み立てる、といった手法を徹底させた。今でこそゲームのプロモーションとしては常套手段となっているが、当時のゲーム業界としては漫画編集者という全く違う業界の立場からゲームの売り出し方に一石を投じた画期的な手法であった。
- 「ボツ!」は漫画作品だけでは無く、ドラゴンボールのゲーム化を手掛けるバンダイに対してゲーム機の性能の進化と共にグラフィックや動き等が向上している故の開発側のクオリティの甘さを見て、「知らないようだから言っておくけど、これを海賊版って言うのよ」とバンダイ側に開発中止を要求し担当者を青ざめさせた。バンダイ側も「既に億単位かかってるんですよ!」と食い下がったが、鳥嶋は「鳥山先生の年収はご存知ですか?それを軽く超えてるんですよ(ドラゴンボールというコンテンツの規模ともたらす利益はそんなものではないという意)」と一蹴した。この徹底したクオリティ要求は「ちょっとでも原作と違うところがあるとユーザーからクレームが来るのはいつも集英社の方である」「プレイする側の視線に立ってない」というのが理由であった。宮本茂のちゃぶ台返しの逸話に近い。
- ジャンプの編集長時代、尾田栄一郎を評価しておらず、「(尾田の漫画の)面白さがわからない」ONEPIECEの主人公・ルフィをふざけた奴と評し連載そのものにも反対の立場を取っていた。会議で「賛否両論の方がウケる」との声が出て連載を決め、ONE PIECEは鳥嶋の思惑とは裏腹に第1話からアンケートで1位を獲得。アニメ化もされジャンプを代表する漫画となった。しかし鳥嶋は今もONE PIECEには関わらないスタンスを取り続けており、インタビュー等でも「自身の漫画論に合わない」と答えている。
- 当時の社長命令で赤字に苦しむ子会社の白泉社の立て直しを依頼され、3年という任期で社長に就任した鳥嶋は、約100人の社員と面談し同社に欠けているものを分析。社員とのディスカッションを活発に行う鳥嶋塾を開催するなど経営改革に着手。その中でも特に赤字に苦しむ絵本・育児雑誌『MOE』『kodomoe』の2誌に対し黒字に出来なければ1年後に休刊と通達し編集方針の見直しを行う中、kodomoeから絵本『ノラネコぐんだん』シリーズが大ヒット。絵本に対しては軽視していた部分があった鳥嶋だが、ノラネコぐんだんシリーズのヒットを祝う会の席上で認識を改めたとコメントし頭を下げたという。その甲斐もあって白泉社は彼の任期内に黒字転換となった。
- 近年はアニメの製作委員会方式に異を唱えており、権利が分散していて本来の版元である出版社の発言力が弱くなること、大したコンテンツでなくとも安逸にアニメ化されてしまうことを批判的に見ている。集英社が『ケムリクサ』のパートナーシップに参加したのは氏の影響がある。
- ヒット作の編集者を担当し、ゲーム業界にも多大な影響を与えた彼をもってしても『ポケットモンスター』がヒットした事は驚きであったと語っている。結果的に集英社ではなく、小学館を中心にポケモンのメディアミックスが展開されていくが、近年ではVジャンプでもポケモンのゲーム情報が掲載されるようにもなった。
彼をモデルにしたキャラクター
上述の通り一番有名なのはDr.マシリトであろうが、編集をモデルにしたキャラが登場しやすいジャンプ漫画の中でも彼をモデルにしたキャラは特に多い。その後に彼が担当した漫画家が彼をモデルにしたキャラクターを作中に登場させており、手塚漫画のスターシステムのような扱いになっている。
- 「キン肉マン」眉なしのトリシマ(初期に『アデランスの中野さん』とコンビで出ていた)
- 「DRAGON QUEST -ダイの大冒険-」マトリフ
- 「とっても!ラッキーマン」トリシマン(「俺を出すな」と嬉しそうに怒るらしい)
- 「幕張」嶋鳥和彦(当時の作家陣では鳥山氏以上にえげつない扱いだった)
- 「桃太郎伝説シリーズ」および「桃太郎電鉄シリーズ」あまのじゃく
- 「桃太郎電鉄シリーズ」キングボンビー(その容赦の無さがモデル)
- 「Vジャンプ」読者コーナー 総統マシリト
- 「Dr.スランプ アラレちゃん」:Dr.マシリト
- 「そしてボクは外道マンになる」魔死利戸毒多 作者の平松伸二が劇画風なのもあり、今までの鳥嶋キャラの中で最も本人に似ている