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堀井雄二

ほりいゆうじ

堀井雄二とは、日本を代表するゲームデザイナーの一人。作家。国民的RPG、ドラゴンクエストシリーズの生みの親として知られる。
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概要編集

早稲田大学在学中に、フリーライターとして本格的に活動を始める。

大学卒業後は『週刊少年ジャンプ』などの雑誌でいくつかの読者投稿コーナーを担当。この時、友人であるさくまあきらの紹介で『週刊少年ジャンプ』の編集者である鳥嶋和彦ともゲーム友達になっている。

1981年に仕事の管理の目的でパソコンを購入するもすぐにPCゲームの虜となってしまい、後に我流でプログラミングを習得してゲームを自作し始めた。


1982年に鳥嶋からエニックスの「第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」の取材を依頼された際、自作の『ラブマッチテニス』を応募して入選プログラム賞を受賞する。この時の受賞者には『森田将棋』で優勝した森田和郎や、後にチュンソフトを設立する中村光一がいた。これが切っ掛けで本格的にゲーム製作を始める。


1983年アドベンチャーゲームポートピア連続殺人事件』を発表、ゲーム業界の寵児として一躍有名に。その後、エニックスの要請で視察に赴いたサンフランシスコのイベント「Apple Fest」にて、RPGとの衝撃的な出会いを果たす。

帰国後はイベントの視察を共にした中村や鳥嶋らと一緒にWizardryUltimaなどにのめりこむようになり、アドベンチャーゲームを続々と発表する傍らで、自作RPGのビジョンを描く。


そしてチュンソフトを開発、エニックスをパブリッシャーに迎えて、1986年ファミリーコンピュータゲームソフトドラゴンクエスト』を発表。最初こそ未知のジャンル故に売り上げが振るわなかったものの、口コミによって徐々に評価が高まったことで売り上げを伸ばし、続編と併せて国産RPGの金字塔的存在として社会現象を巻き起こすまでに至った。

その後もドラゴンクエストシリーズは国民的RPGとして人気を博し、現在までにシリーズ累計出荷数と配信数は7,500万本を突破している(2017年時点)。


ドラゴンクエストの作者として名を馳せる一方でフリーライターの仕事も継続しており、ゆう帝名義で1985年から1988年頃までジャンプのファミコン紹介記事「ファミコン神拳」にゲームの裏技やレビュー等を載せていた。

また「本田一景」という別名義にて、ゴルゴ13の一部エピソードを始めとした漫画原作をいくつか手掛けている。


ゲーム作家(ゲームデザイナー)という職業を確立させた草分け的存在であり、テレビゲーム業界へ強い影響をもたらした人物の一人として高い評価を得ている。

2024年12月10日、これまでのゲーム作家としての功績が優れた文化活動と認められ、文化庁長官表彰を受ける。この報告に沿えて、かつてゲームが社会的地位の低さ故に世間の目の敵にされ続けていた苦労を語り、「長い歳月を経てゲームが国から文化として認められるようになりました。感無量です」とコメントした。


作風、人物像編集

非常に卓越したセンスの言語感覚を持っているとされ、ドラゴンクエストなどの氏の生み出した作品に見られるネーミングセンスや、独創的かつユーモアを含んだキャッチーさで語るべき言葉を的確に伝える節回しは「堀井節」とも呼ばれファンに親しまれている。

さくまの語るところによると、ゲーム中でアイテムを売る店に対して「道具屋」という名前を当てたのも堀井が初めてなのだとか。

一方で自分の作品には、「ぱふぱふ」「ゆうべはおたのしみでしたね」に代表されるお色気ネタを入れることに余念のない性分でもあり、ドラゴンクエストⅢではタイトル画面を削るほどまでにソフトの容量が逼迫していたにもかかわらず、ぱふぱふネタを頑なに削らなかったのは有名。


後述するインタビューや配信出演時もそうであるが、とても謙虚な人柄とユーモアある語り口で知られる一方で、1人のプレイヤーとしてゲームを見る目線は非常にシビアであり、

上記の「ファミコン神拳」では、紹介するファミコンソフトの内容に粗が多い時は容赦なくそれを指摘したりもしている。独断で採点するというコーナーでもメーカー側に一切の遠慮なく点数を付けたりしていた。


こうした厳しい姿勢は

「よその雑誌みたいに面白くないものをメーカーに遠慮して面白いと言うと騙されて買った人はがっかりする」

「つまらないゲームがそうやって売れてしまうと本当に面白いゲームがどんどん出にくくなったり、せっかく出ても問屋さんが仕入れなくなってしまう」

という担当者3人の共通見解から出ていたものらしく、当時ファミコンブームに乗って所謂クソゲーの氾濫が起こっていた事や、それによる問屋の買い控え、そしてクソゲーを掴まされるプレイヤー達の事を憂慮しての事だったようである。


また、上記の「ファミコン神拳」から派生して公式攻略本執筆にも携わっていたが、その際には多くの人にじっくり自分のペースで遊んでもらう事、謎を説いた結果を見る楽しみはプレイヤー自身のものであるとという事をとても重要視しており、「ヒントは書いても結果は書かない」という方針で、原稿は全部チェックしてプレイヤーが先にネタバレを知ってしまう事がないように徹底していたそうである。

ドラゴンクエストⅦ』では開発終盤に広報をエニックス任せにしてしまった為に、氏の考えるセーフラインを越えたネタバレが事前に出てしまい、激怒したというエピソードもある。


シリーズの生みの親として度々インタビュー企画が組まれたり、講演会に呼ばれたりもしている。

これらのインタビューや講演会では度々ユーモアのある作りとマニュアルを読まずにプレイし始めても自然と理解できる流れの重要さを説いており、周囲のスタッフにも特にゲームの導入部分で初めてのプレイヤーが迷ってしまう事が無いように口を酸っぱくして言っているそうである。

こうした氏の姿勢は世の中でユーザービリティという概念が広く知られるようになると、ゲームという分野を飛び出して他のアプリやインターフェイス設計などでも引き合いにだされるようになった。


メディア上での活動編集

元々「ゆう坊」というペンネームで活動していたが、

ゲームデザイナーへ転身した後、週刊少年ジャンプ上で連載されていた「ファミコン神拳」コーナーにて、1985年から「ゆう帝」というペンネームでライターを兼業している。


2010年以後になると、ネット上のドラゴンクエスト関連の配信に度々出演している。

ドラゴンクエストⅩ』ではゼネラルディレクターの立場で参加しており、同作の生放送にもちょくちょく出演。ユーモアあふれる語り口で直接プレイヤーへ情報を届けたりもしているが、やはりここでも上記のゲームに対するシビアさは健在で、『ドラゴンクエストⅩ』のスタッフはしばしば詰めの甘い所を指摘されるらしい。


主な作品編集


関連タグ編集

ゲームクリエイター

小池一夫:師匠@劇画村塾

さいとう・たかを/ゴルゴ13:脚本家「本田一景」として参加

さくまあきら:同門の強敵(とも)

もょもと:出し方は・・・?

ファミコン神拳メインライター

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