概要
1955年生まれ。富山県出身。
東京工業大学を中退して埼玉医科大学に入学した異色の経歴の持ち主で、埼玉医科大学時代の同級生にガデュリン・ディガンの魔石等で知られるゲーム開発者・作家の羅門祐人がいる。
日本のパソコンゲームの創世記において
と並ぶ、プログラム技術の高さで知られた名プログラマーで、アクションやシューティングがメインだった中村光一や芸夢狂人と異なり、森田和郎は代表作である森田将棋や、アスキーのオセロプログラムコンテストで連覇したオセロゲーム、中村光一がドアドア・堀井雄二がラブマッチテニスで応募したエニックスの第1回ゲームホビープログラムコンテストで大賞を受賞した森田のバトルフィールド等、敵側にパターンではなく明確な思考ルーチンをもたせたゲームを得意とした。埼玉医科大学在学中に立ち上げたゲーム会社ランダムハウスにおいても、獣神ローガスといった思考系SLG要素をもったゲームをリリースしていた。
※Wikipediaに記載されていた時期があった為、ランダムハウスの立ち上げに羅門祐人が参加していると云う情報が流れていたが、後に羅門祐人本人が立ち上げに参加していない事を公表している。
また、プログラム技術の高さにおいても、思考ルーチンの他に、パソコンのスペックが業務用基板よりも完全に劣っていた時代(そもそもパソコンにスクロール機能が無いのが普通だった)に、パレット変更を用いたテクニックで滑らかなスクロールを実現したアルフォスをリリースするなど目をみはるものがあった。また、森田将棋開発にあたり、そのプログラム技術を惜しみなく公開した事から、将棋ソフト界隈では技術は公開するのが当然という風潮となり、『Bonanza』『GPS将棋』『Blunder』など、多くの将棋ソフトが森田に倣ってソース公開された。これが、プロ棋士と対等、あるいはそれを凌ぐ高レベルの将棋ソフトが生まれる土台をつくったとも云われている。
パソコンゲームからコンシューマゲーム機に舞台を移すと、友人の羅門祐人と共に制作したファミコンの隠れた名作RPGミネルバトンサーガや、ジャストブリードを制作。ランダムハウスから業務を移管し、自身も代表取締役を務めた悠紀エンタープライズにおいてはサムライスピリッツ零の開発に従事した。また一生涯の仕事となったコンピュータ将棋関連の仕事も続けていた。
しかし、2013年6月に将棋雑誌(『週刊将棋』6月5日号、『将棋世界』7月号)にて2012年7月27日に亡くなっていた事が報道された。時あたかも、現役プロ棋士とコンピュータソフトの公開対局「第2回将棋電王戦」で、現役棋士が初めて公にソフトに負けた直後のタイミングであった。森田和郎の死が思わぬところから公表された事を知った羅門祐人は、代表を務めた森田和郎の死に際し会社としてなんら告知を行わなかった悠紀エンタープライズの姿勢を批判した。恐らく、『週刊将棋』が電王戦の取材に及んで、初めて死去が明らかになったと思われる。