概要
元々は「営団社募集サービスセンター」の名称で創業した会社であり、エニックスは子会社の名前だった。
「エニックス」という名前は、世界初のコンピューターとも言われる「ENIAC(エニアック)」と「不死鳥(フェニックス)」を組み合わせたのが由来である。
現在はスクウェアと合併しスクウェア・エニックスになっている。
pixivでは、スクウェア・エニックス以前のゲームや「月刊少年ガンガン」連載漫画のイラストなどに付けられるタグ。
ドラゴンクエストシリーズで有名な、主にRPGを発表しているゲームメーカーだが、自社内にゲーム開発機能は持っておらず、ゲームソフトの企画販売のみを行う専業パブリッシャーだった。
ゲーム開発は外部に委託しており、委託先のメーカーを子会社化するような事もしていない。
これには財務上の戦略もあったが、それ以上にエニックス創業者・福嶋康博初代社長が語った
「クリエイターを縛りつけてしまっては、決してクオリティの高い仕事をしてくれない。社員として拘束するより、フリーランサーとして高く遇する方が良いに決まっている。」という考え方に基づいたものだった(現在までドラゴンクエストシリーズのゲームデザイナーを務めている堀井雄二もエニックスの社員では無く、エニックスの協力で設立されたチュンソフトもエニックスの子会社では無かった)。
但し品質管理は自社でやっており、ドラゴンクエストシリーズのゲームデザインにはエニックス社員の千田幸信プロデューサーの提案も重要な役割を果たしていた。
ドラゴンクエストシリーズの有無に収益が左右されやすい状態を改善するために出版業にも着手しており、『月刊少年ガンガン』の成功からガンガン系列とも呼ばれる数多くの兄弟誌が生まれた。
株式会社エニックス
ゲームソフトウェア販売会社
1980年2月に、営団社募集サービスセンターの子会社として「営団社不動産」の名称で設立される。
1981年8月に「営団社システム」に社名変更。
1982年8月、「株式会社エニックス」に改名すると同時にゲーム事業への参入を決定。
賞金総額300万円の『ゲーム・ホビープログラムコンテスト』を開催し、入賞した13本のゲームソフトを一斉発売してヒットさせる。同時に森田和郎、中村光一、堀井雄二を初めとするゲームクリエイターを発掘した。
コンテストの宣伝には週刊少年ジャンプの協力を得ており、同誌を刊行する集英社とは「ガンガン」創刊以降も深い関係を保ち、今でもドラクエの関連書籍が集英社から出ることは多い。
当初はPCゲームが主体だったが、1984年にファミリーコンピュータに参入してからは家庭用ゲームに焦点を絞り、『ドアドア』『ポートピア連続殺人事件』やドラゴンクエストシリーズ(『ドラゴンクエスト』、『ドラゴンクエストⅡ』、『ドラゴンクエストⅢ』)を発売した。
1989年に、親会社に吸収合併される。
現:株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングス
1974年に「営団社募集サービスセンター」として創業。
当初は福嶋康博の個人経営会社だったが、翌1975年9月に株式会社となる。
公団住宅の空き情報誌配布事業で成功を収め、以後は寿司チェーン店の展開など様々な事業に着手していたが、1982年に子会社をエニックスに改名してからはゲームソフトの企画販売を主事業としている。
1989年、エニックスを含めて3社に増えていた子会社を吸収合併。「株式会社エニックス」に社名変更した。
1991年、「月刊少年ガンガン」創刊。当時は15年近く月刊漫画雑誌の創刊で成功例が出ていなかったが、その逆風を押し退けて成功を収め、以後多数の兄弟誌を創刊した。
ゲーム販売においてもスクウェアと違って任天堂に喧嘩を売るような真似はしていなかったため、PlayStationとゲームボーイの双方にソフトを供給して順調に売り上げを伸ばしていった。PlayStation向けには『鈴木爆発』、『せがれいじり』などカオスな作品もリリースしている。セガサターン及びNINTENDO64でのソフトリリースは2~3タイトルに留まった。
ところが、2001年に出版部門でエニックスお家騒動が勃発する。
少年漫画と少女漫画が同居したような中性的漫画雑誌と化していたガンガンの現状に不満を持った編集者達が少年漫画中心の雑誌に回帰させようとして、それにそぐわない作品は主力連載も含めて強引に打ち切ったり移籍させたりしたことが原因である。
最終的には反発した編集者と漫画家が離脱しマッグガーデンと一賽舎(後の一迅社)を立ち上げて独立する事態にまで発展。法廷闘争の末マッグガーデンの株式を一時的にエニックスが保有することで和解したが、この騒動によってエニックスの出版部門は大きく弱体化した。
2003年4月、スクウェアを吸収合併して「スクウェア・エニックス」になった。
当時のスクウェアは、映画事業での失敗をソニー・インタラクティブエンタテインメントからの支援で乗り切ったものの子会社デジキューブの損失に引き続き苦しんでいたが、ドラゴンクエストシリーズへの依存率が高いエニックスと違ってファイナルファンタジーシリーズ以外にも人気タイトルを持っていたため、エニックスはこのスクウェアを救済する事で収益の安定化を図ったと言われている。
出版部門が衰退したとは言え企業規模自体はエニックスの方が大きかったらしく、
合併比率は「エニックス1:スクウェア0.85」だった(これでも当初の予定よりスクウェア側に譲歩している)。
スクウェア側の和田洋一社長が合併会社の社長に、エニックス側の本多圭司社長が副社長に就任し、
エニックス創業者の福嶋康博初代社長は合併会社の筆頭株主兼会長(後に名誉会長)となった。
2008年10月1日、「株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングス」に社名変更。
同時に子会社「株式会社スクウェア・エニックス」を新設し事業を継承させ、純粋持株会社となる。
スクウェア・エニックスの福嶋康博名誉会長は持株会社の名誉会長も兼務する。
主なゲーム(括弧内は開発元)
- ポートピア連続殺人事件(堀井雄二)
- ウイングマンシリーズ(TAMTAM)
- 地球戦士ライーザ(九葉真、眞島真太郎)
- ドラゴンクエストシリーズ(チュンソフト、ハートビート、アルテピアッツァ、トーセ)
- ジャストブリード(ランダムハウス)
- 46億年物語(46億年物語プロジェクトチーム、アルマニック)
- ワンダープロジェクトJシリーズ(アルマニック→ギブロ)
- アクトレイザー(クインテット)
- ソウルブレイダー(クインテット)
- ガイア幻想紀(クインテット)
- ブレインロード(プロデュース!)
- スラップスティック(クインテット)
- 天地創造(クインテット)
- エルナード(プロデュース!)
- ミスティックアーク(プロデュース!)
- 南国少年パプワくん(ダフト)
- ハーメルンのバイオリン弾き(ダフト)
- 魔法陣グルグルシリーズ(タムタム)
- ダークハーフ(ウェストン)
- Paladin'sQuest(コピアシステム)※LENNUSの海外版
- いただきストリートシリーズ(トムキャットシステム、クレアテック、タムソフト※2作目から)
- スターオーシャンシリーズ(トライエース)
- ヴァルキリープロファイル(トライエース)
- ゆけゆけ!!トラブルメーカーズ(トレジャー)
- 七ツ風の島物語(ギブロ)
- 忍ペンまん丸(ダフト)
- バストアムーブ(メトロ)
- アストロノーカ(ムームー、システムサコム)
- プラネットライカ(是空)
- グレイトヒッツ(ウィズ、システムサコム)
- せがれいじり
- ユーラシアエクスプレス殺人事件(システムサコム)
- 鈴木爆発(SOL)
- グランディアシリーズ(ゲームアーツ)※2002年以降
- ドラッグオンドラグーン(キャビア)※合併後に発売された
- ロリータシンドローム
ガンガンに掲載された作品もいくつかゲーム化していたが、忍ペンまん丸を最後にゲーム化はされていない。
雑誌・漫画
漫画雑誌群「ガンガン」
その他
月刊コミックブレイドを刊行するマッグガーデンを傘下に加えていたが、合併後に手放した。