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スクウェアの任天堂出禁事件

すくうぇあのにんてんどうできんじけん

スクウェアが任天堂ハードにソフトを提供出来なかった期間のことを纏めた記事。
目次 [非表示]

概要編集

ファイナルファンタジーシリーズでお馴染みのスクウェアと、言わずと知れた超大手の任天堂

この両者には関係が悪化していた時期が存在した。

良好な関係に見えたそれが一気に破綻した事件は様々な噂に尾ひれが付いており、正誤のあやふやな話も多い


関係悪化の火種編集

スクウェアはファミリーコンピュータ家庭用ゲームに参入するもイマイチヒット作が出ず、これで最後にしようと世に出された『ファイナルファンタジー』の思わぬヒット及びシリーズ化等を経て任天堂の重要サードパーティの一つとなった。このため『ファイナルファンタジー3』の大量発注に追い付けなくなった際には任天堂からバックアップを受けて乗り切り、後に任天堂と共同開発した『スーパーマリオRPG』は開発費高騰に悩んでいたスクウェアに対し任天堂が開発費を負担した上でソフトを作らせる救済案としての性格も強かった。

つまり、サードパーティーとして任天堂はスクウェアを目に掛けていたというわけである。

 

しかしこれを切っ掛けに親密だった両社が互いにギクシャクしだし、後にスクウェアがメインのプラットホームをSONYプレイステーションに移して以降、任天堂との関係に曇りが見え始めた。


世間的には任天堂のゲーム機にファイナルファンタジーを出さなくなった事で任天堂が激怒した…と見られていたが、実際はハードを移行したから関係が悪くなったという事ではない。実際当時の任天堂社長であった山内溥「サードパーティはハードを選ぶ自由があるから仕方ない」とスクウェアの事情を了解していた。というか他のサードパーティは他社のゲーム機にもリリースしており、当時一社のゲーム機に出していたのは家庭用ゲーム機に参入して以降のスクウェアと後に合併するエニックスの二社ぐらいだった。

まして任天堂の系列や傘下というわけでもないスクウェアがプラットホームを移したとてとやかく言われる筋合いはなく、ここまではまだ大きな揉め事になる話ではなかったのである。

 




ここまでは





任天堂との絶縁編集

…ところが、この裏でスクウェアがエニックス(当時)をPS陣営に誘っていて、その際にNINTENDO64は駄目だ」と吹聴したという情報が任天堂の耳に入った。

しかもエニックスだけではなく、複数のサードパーティーに吹聴していたというからなかなかの豪胆ぶりである。無論、これらの影響で64のソフト数が少なくなってしまった原因の一つでもある。


これらの話が実際どういった形で任天堂に伝わったのかは不明だが、少なくとも複数のサードパーティ関係者に話していて伝わらないワケがなく、この行為の時点で不信感を持たれたとも考えられる(ただし、後に関係修復に奔走した和田洋一(スクウェア・エニックス初代代表取締役社長)はこれが根本的な原因ではないと読んで本質的な原因を探っていた)。

なお、エニックスは慎重方針だったようで、ソニーに対してはプレイステーションの販売台数の確約を条件として提示していた。


当時、任天堂はスクウェアに一定の資金援助も行っていたこともあり、山内はこれらの行為を義理を欠いたとしてか大激怒。これにより任天堂はスクウェアとの関係を長きに亘り断絶する形になり、スクウェアは事実上の任天堂出禁状態となった。


…これが、スクウェア全体による経営悪化に陥ったしくじり第一歩の始まりであった。


なお、この当時のスクウェアは他社からのヘッドハンティングが非常に多く、しかも他社で開発中のスタッフまで引き抜いていたくらいである(ただし、これは飯野賢治の発言で事実かは不明。これは「ドリームファクトリー」の事だとされる)。逆にスクウェアからの離脱組は『スーパーマリオRPG』の頃から存在し、その後ほとんどが任天堂を主要な取引先(セカンドパーティ)に選んでいる。ナムコ傘下として設立されたモノリスソフトも最終的にそのポジションに落ち着いた。また、雑誌「ゲームラボ」が当時掲載していた噂を扱うコーナーで「スクウェア社内ではソニー派と任天堂派で対立しているらしい」という不確かな噂を紹介していたが、実際のスクウェア社内は…(後述)


このことを当時の業界関係者は「任天堂に後ろ足で砂を掛けて出て行ったようなもの」と例えているが、いずれにせよ相当な不義理であったことは間違いない。ともあれ逆鱗に触れたスクウェアへの拒絶っぷりは凄まじく、社長や広報室長、果てはニンテンドー・オブ・アメリカ(NOA)などの世界各地にある任天堂法人さえも拒絶していた程


後に合併するエニックスはPSで『ドラゴンクエストⅦ』をリリースする際にきちんとした理由と、今後も任天堂のゲーム機にもソフトをリリースする事を表明していた。発売時期にも気を配っていたらしい。このため、任天堂との関係がこじれるようなことはなく、その後ゲームボーイで『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド』を発表し、ゲームボーイのリバイバルブームに乗ることが出来た。


一方、この時のスクウェアは牽引力のあるファイナルファンタジーシリーズを武器に怖いもの知らずだったのか、プレイステーションに活躍の場を移して以降は鳴り物入りのCD-ROMを活用した『ファイナルファンタジー7』を筆頭に破竹の勢いでブイブイ言わせ、世間では「ハード普及の成功のカギはスクウェアが握っている」と言われたり、一部では「有力なサードパーティがファーストとの力関係の立場を逆転させた革命児」と評価された事もあって次世代機での道を華やかに、そして順風満帆に歩んでいた。


……が、世間の目に映る姿とは裏腹にスクウェアの社内には暗雲が漂っていた。




離反の代償編集

今となってはもう当たり前の話だが、既に『FF7』の時点で開発費がスーパーファミコンの頃よりも膨れ上がってしまい、『ファイナルファンタジー10』の頃にはソフトの売れ行きに反して経営悪化に悩まされていた。ちなみにこの流れについて山内はテレビの取材で開発費用の高騰を懸念しており、その例時として『FF7』の売行きに対し利益がでない理由を語っていたこともある。(以下は山内氏のコメントを簡略化したもの)

「(当時の)32ビットでゲームに特徴を持たそうとするとどうしても無理が行くんですよ。CD-ROMの場合、大容量なのに(値段が)カセットより安いことによってどんどん映像と音声の垂れ流しが発生してしまい、開発費用が鰻登りになる。ですから、FF7は利益が出なかったんですよ。」

ちなみに、『FF7』の開発費は約30億円以上であった。


そして、


「ファイナルファンタジーのネームバリューだけでは通用しない現実」

「身の丈に合わぬ異業種進出による重篤な危機」

「後ろ足で砂をかけて出て行ったことへのしっぺ返し(倍返し)」


の三重苦が襲い掛かって来ることとなる。


「ファイナルファンタジーのネームバリューだけでは通用しない現実」とは一体何か?

それは、映画『ファイナルファンタジー・劇場版』の約140億円程の巨額損失を出してしまった記録的な大失敗によって、本業であるゲーム会社としての経営への大打撃による経営難に陥った事である。この一件も含めてスクウェアは、かつての縁に頼ろうと任天堂に救済を求め関係修復を図った。が、これだけ不義理を働いた相手に任天堂の首脳陣は優しくも甘くも全くない反応を公では見せる事となる。(山内などは、「自分が目の黒いうちはウチの敷居は跨がせん」とすら発言していたらしい)

更に言うと、スクウェア内でも先述の「離脱組」が出るほどの社内対立が発生しており「FFシフト」と呼ばれるファイナルファンタジーシリーズを優先かつ主軸にする方針と2D開発チームの冷遇もあり、ついに離反されてしまったが故のファイナルファンタジーシリーズ以外の人気シリーズの停滞も起きていた。


ちなみに任天堂がここまで怒った本当の理由は先述の言いふらしの件だけではなく、スクウェアが子会社・デジキューブを設立した際に任天堂の流通機構を完全否定したため

任天堂は玩具屋の問屋組織を基礎にゲーム流通を組み立て、ソニーは音楽CD流通を活用。スクウェアはこれに加え、コンビニを流通チャネルに仕立てた。

試みは革新的だったが、IPOアピールの過程で、任天堂の流通システムがいかに「遅れた」ものかを喧伝してしまった。

その問屋組織、いわゆる初心会については横柄なやり方がソフトメーカーから不満が出ておりその点は山内も同様に問題視していたが、ゲーム機黎明期において自社で在庫を捌く体力がないサードパーティーを支えてきたことは事実であり任天堂もこれまでの付き合いと義理から中々改革に踏み出せずにいた(1997年に解散)。なおその支えられたサードパーティには勿論スクウェアも含まれている。

これにより、ゲーム機だけでなく任天堂のビジネス方針そのものに難癖を付けた形となってしまい、任天堂の逆鱗に触れてしまったかららしい(和田洋一のnote参照)。

配慮というものに欠けたすれ違いが、おおよその原因だったと和田は予想している。

また、和田曰く「今はその名前はまだ明かせないが、複数の企業を巻き込んだものだった」とも語っており、先述の言いふらしというものとされる行為の影響とは我々の想像以上の形で任天堂からの信用を損なったものであった可能性を匂わせている。


当時はライバルと目されたエニックスが任天堂とは良好な関係を維持しており、それどころか『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』の発売時期の延長の理由のひとつとして「年末は任天堂の商戦期である為このタイミングで発売するのはお世話になった任天堂に対する裏切り行為になる」(実際に当時のエニックス社長である福嶋康博はPSでのリリースが決まった際に任天堂の山内のもとへ2度の挨拶と謝罪に赴いている。)と日経産業新聞でコメントしていることやSCEが99年のお正月のCMで「ドラクエが早く出ますように」と早く発売しろと催促したことにブチギレ延期をしたという都市伝説があるあたり、(しかもこのCMはSCEがエニックスに無断で制作・放送していた。)PSにドラクエを出すとはいえ任天堂派だったことが窺える。

筋の通った理由の説明かつビジネスとしての配慮を欠かさなかったエニックスと配慮に欠けたスクウェア。サードパーティとしての明暗を分けたとも考えられる。


一方この頃、任天堂は、強力な新カードを手にしていた。当初は小さなソフトハウスに過ぎなかった「ゲームフリーク」の大出世作『ポケットモンスター 赤・緑』の、口コミから始まった『スーパーマリオブラザーズ』以来の大ヒットとその波から社会現象が起こっていたのだ。ちなみに売上記録はなんとをあのFF7を超える程の最高潮に達していた。その規模は任天堂でも手に負えない程の怪物的成長であった。

それに伴って既に過去の遺物と思われかけていたゲームボーイが再び注目を集め、携帯ゲーム機の復活と地位が確実となる活気の中心に任天堂はおり、携帯ゲーム機では一強の地位にあった。


当然、任天堂を怒らせ、携帯ゲーム機が2D主流な上、2D開発に長けた離脱組が出たスクウェアはこのゲームボーイ再流行の波に乗れない状態であり、バンダイワンダースワンでの過去作移植リリースに留まった。なにせゲームボーイカラーに作品を出したくても任天堂からは出禁状態なのである。


なお当時のスクウェアは任天堂とは正規の交渉ルートも失っていた状況にもかかわらず、少なくとも2001年の社内プレゼンではゲームボーイアドバンスでの開発予定を発表していたらしい。前年にスクウェアに入社し最高財務責任者に就任していた和田は知らぬ間に任天堂との復縁ができていたのかと思っていたが、よくよく聞いてみると実際は全く復縁していなかった(後述)。

やはりというかこれを知った任天堂サイドの反応は冷ややかで、社長の山内は「何を言おうと相手の自由だが、こちらは契約する意思はない。将来的な可能性も低い」と突っ返し、今西広報室長は「スクウェアさんとうちとではゲームの認識が違う。よほどの事がないと一緒にやっていく事はないでしょう。他のサードパーティと同じというわけにはいかないですね。」と山内の発言程ではないが、かなり強烈な拒絶のコメントを発していた。

よってスクウェアの営業は本当にあらゆる場で任天堂から門前払いを食らっていた時期が続き、先の通り公の場での「スクウェアとまた手を組むことは?」というインタビューに対して任天堂は一貫して先のように「ほぼ有り得ません」とまで言い切ったとされる。


先述のデジキューブは経営難に陥った頃に株主総会で「任天堂に土下座してでも売上の良い任天堂ソフトを扱わせてもらうべきだ(デジキューブはPS本体とソフトをメインに扱っていた為)」という趣旨の突き上げを食らったが、デジキューブ社長が「土下座したぐらいで何とかなるものならいくらでもしてますよ!」という趣旨の回答を返していたことから、デジキューブ設立等における大失言や不義理な対応で山内がどれだけ憤っていたかは想像に難くない。


なお、デジキューブの流通システムは店舗側に不利な縛り(定価販売かつ初期入荷で売れ残った場合のみ返品は認めるが、追加による入荷の場合は返品を認めない)があったのが衰退の原因の一つでもある。しかもデジキューブにおいても銃弾を撃ち込まれたり、社長監禁とデジキューブの創立の背景に纏わるキナ臭い事件が発生していた。

一方で、デジキューブが自社発売していたソフトラインナップはテーブル・スポーツ系のが殆どであり、その他は無駄にリアルに完全再現させた人気番組のゲーム化、中年向きの漫画作品のキャラゲー等と、はっきり言って万人向けとは言い難い作品ばかりで、当時の任天堂のと比べて明らかにオリジナリティーや革新性が殆どなく、全体的に親しみづらい存在であった。

また上記の件により任天堂関連のゲームソフトが取り扱えなかった件も痛手となり、加えて全体としての売上高もイマイチ伸びることもなかったのである。


こんな状況でありながら、スクウェアはFFブランドの力で奇跡が起きるとでも信じ切っているのであろう経営陣はまるで危機感を抱いていなかった。

「任天堂は結局FFを欲しがるだろうから、あっちからお願いに来るだろう」「それをきっかけに復縁出来ちゃったりして」などと良い気になっている上に脳天気なことを言い出す始末。これに和田は唖然としたという。


なお、証券マン出身の和田はビジネスにおける交渉のノウハウを熟知しており、この有様を「企業経営としては致命的な行為」「このままだと本当に任天堂から永久出禁になってしまう」「下手するとソニーのセカンドパーティになってしまい同業他社のようにマルチに出す事ができなくなる(選択肢が無くなってしまう)」と強い危機感を抱いた。

当時のスクウェアはゲーム業界では顔が大きくなりすぎてしまったのが逆に仇になっていたのである。


ちなみに経営難に関しては、和田が内部状況の調査と整理を行った事やSCEIからの援助を受けて立ち直っている。

この時点で倒産寸前であり受けない選択肢は無かったのだが、先述の山内社長の「サードパーティにあるハードを選ぶ自由」を、自ら選択肢を減らした結果がこの有様である。当時の経営陣はバランスシート(貸借対照表。損益計算書と並ぶ主要財務諸表)すら読めなかったというのだから恐ろしい。


こういう経緯もあり、和田は任天堂とソニーの両者の顔を立てる形で、まずは任天堂との復縁計画を立てる事を始めたという。スクウェア社内にあった頭の痛い問題を抱えながら、ネット上での風説も考慮した上で一発で事を決めないといけない重大な交渉だったとか。






そして和解へ編集

任天堂は山内の引退と、その後の任天堂の経営にはノータッチの姿勢・意思表明があり、スクウェアはエニックスと合併をしスクウェア・エニックス設立を経て、ようやく任天堂とスクウェアの本格的な和解への道が開かれた。


ただこの件については山内の在籍中に話は進んでいたという。実はエニックスとの合併前に任天堂とスクウェアとの間にペーパーカンパニーを挟んだ関係修復の計画(これは当時、山内のポケットマネーから出資されていたゲーム開発の出資制度「ファンドキュー」の認可目的だったとされる)があったという。和田の発言によるとある意味企業体質が試されていた節もあったようである(また、邪推かつ杞憂に終わった事ではあるも、任天堂から有力なスタッフをヘッドハンティングされるのではないかとでさえも想定していた)。

その名残は『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』の発売元が任天堂であった事にのみ残っている(その後のHDリマスター版では発売元はスクウェア・エニックスになっている)。


スクウェア・エニックスの社長に就任した和田は、自ら役員を引き連れて京都に出向き、過去のスクウェアの失言と態度の件を山内に丁重に詫びたと噂されていた。実際のところは和田は合併前のスクウェア時代に社長に既に就任した上で任天堂と何度も交渉を重ねており、専務クラスの重役まで行き着いた時にスクウェア(デジキューブ)の配慮の無さ等を詫びた上で山内に対面。和田の力量を試される質問があったという。

その後の酒の席では山内と縁のあったスクウェア創業者のこと等を聞いていたりしたらしい。


当然の如く、失言や態度に関してはスクウェア側経営陣も既に後悔しており、合併前は時既に遅し覆水盆に返らず状態であった事をスクウェア時代の社長が発言している。

ましてや社長自らが相手の本拠である京都に直接出向いた時点で、この一件はかなり深い溝で隔たれたものだったと言え、和田は山内の怒りの影響を「スクウェアは京都の地を踏めなくなっていた」と例えている。


ちなみに交渉においては山内の所にこぎつけるまでに任天堂の東京事業所や任天堂本社の一階にあるとされる一般応接ブースから始まり徐々に交渉の難易度が上っていき、ついに山内社長との会談の場に辿り着いた。


その時の山内社長の容姿等から「任天堂取引再開の最終局面。最上階にて謁見。登場したのは、銀髪に紫のスーツ、鋭い眼に甲高い声。 ラスボスは、氷属性のドラゴンだった。殺気を感じた人物はそうそういなかったので、以降組長を勉強させてもらいました。」と山内氏の死去時のコメントをTwitterで発表。

応接の場となった部屋を「竜王の間」と例えている。この会談に至るまでに無茶な要求がされる事はある程度は想定と覚悟はしていた模様。


和田と山内との交渉の際、山内はスクウェア創業者の宮本雅史を「エロひげ(山内が知る当時の宮本は髭を生やしていたらしい。同じヒゲというあだ名を持つ坂口博信の方ではない)」とアダ名し、「エロひげは元気か」と親しげな切り出し方をしつつも、アパレルという異業種に手を出していたことを「駄目だね」と皮肉っていていた事も明かしている(これは山内がかつて多角経営に手を出して失敗した経験則からの視点もある)。


和田の憶測ではあるが、どうやら山内と宮本雅史の間からは愛憎入り交じった確執のようなものが感じ取れたとの事。また、会談の際の和田が気になっていた質問「ポケモンの成功を山内はどう評価していたか」について、山内の回答は「あれ(ポケモンの急成長)は出来すぎ。任天堂とポケモンは距離を置くべき」と、当時の天狗っぷりなスクウェアとは真反対の1ミリも驕り高ぶらない評価をしていた。さらに山内は「でも、また当たったからね。世の中わからんもんやね」とニヤリとしたという。成功経験を驕らず、「運が良かっただけ」と言い切れる大物っぷりを改めて目の当たりにしたのだろう。



一般的に山内が社長から退いたからようやく関係修復の糸口が掴めたといわれることがあるが、以上のように在任中から関係修復は行われていた。そもそも「鬼の居ぬ間に関係修復を図ろう」という態度では任天堂からの信頼回復は得られないであろうことは想像に難くない。また、山内は「これまでにない新しいファイナルファンタジーをゲームキューブで出せないか?」と検討を要請していたこと実もある(ちなみにそれが後のクリスタルクロニクルシリーズへと繋がった)。


これを機にゲームボーイアドバンスの『ファイナルファンタジータクティクスアドバンス』で本格的に任天堂のゲーム機に復帰。さらにその後、引退した山内が設立した基金「ファンドキュー」支援で『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』が開発されており、旧スクウェアと任天堂の提携強化が進んだ。





以上、これらの一件は日本のビデオゲーム業界史上、有名なファーストとサードパーティーの間に起きた確執劇として知られるようになった。


そして(法的問題以外で)サードパーティがファーストを本気で怒らせたらどうなるのかが実際に発生した、恐らく唯一のケースである。和田によれば任天堂やソニーはかなり大人な対応をしていたとされ、交渉の取っ掛かりになって貰った任天堂専務からはかなり気に掛けて貰っていたこと、ソニーからも懐の深い対応もされていたという。


つまりあの時「革命的なファーストとサードパーティの力関係の逆転」と世間が見ていたのは任天堂を窮地に追い込みたかった久夛良木健を初めとした、SIE陣営を中心とした者達に魅せられた錯覚に過ぎなかったのである。実際に和田は関係修復に至った後に(恐らく)関係事情を知らない人から「上手く任天堂の弱みを突けましたね」と言われたこともあったという。

無論、弱みを突くどころか旧スクウェアは不利な要素を抱えたままで臨んだ生易しい交渉ではなかったのは先述の通りである。


その後の顛末はスクウェア・エニックスを参照。



確執の時から20年以上過ぎ、いよいよ本当の競演の日へ…編集

2015年11月、Nintendo Directで『大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS / Wii U』DLCキャラとしてクラウドが『FINAL FANTASY Ⅶ』から奇跡の参戦との情報を経て、遂に任天堂の顔であるマリオと対面する日が同年12月に来た。

あの確執の時代では、まずあり得なかったことである。


ちなみに2006年に放送された「HIDECHAN!'s Cafe」というラジオでの小島秀夫との対談で野村哲也は「(スマブラに)オファーが来れば喜んで差し出す」と言っていた。また「任天堂のゲーム機でキングダムハーツで一応出ているんですけどね」と半ば冗談なコメントも発言していた。


マリオバスケ3on3』や『MARIO SPORTS MIX』で既にサボテンダーモーグリシロマなどファイナルファンタジーシリーズのキャラ(若しくはファイナルファンタジーモチーフのキャラ)は出ていたものの、意外なことに任天堂の作品にファイナルファンタジーシリーズの主人公が直接出演するのは実は初めてのことである。


クラウド「こんな日が来るとは思わなかったな。」


ネコピーチ興味ないね


クラウド「Σ(゚д゚lll」えっ?」


これは『ニャニャニャ!ネコマリオタイム』でのDLCファイターのクラウドの紹介回で実際にネコピーチが発言したあくまでもネタ発言である。

和解して久しいとはいえ任天堂キャラクターにそれを言わせるとは…。


なお、クラウドの参戦ムービーには過去のスクウェアの出来事を揶揄しているとされるものもあり、「『FF7』の戦闘突入時の再現で任天堂キャラVSクラウドの構図が任天堂とスクウェアの対立」、「オーディンがミッドガルのステージをクラウドとシュルクの間で一刀両断するところが、モノリスソフトのスクウェアからの別れ」を表しているとされる。


大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL』でクラウドが続投することも決定した上に、『FF7』のHDリマスター版がニンテンドースイッチでついに任天堂のゲーム機に登場したのである。


さらには『聖剣伝説3』や『オクトパストラベラー』の新旧作品のスピリットが登場した。


そして、ヤツまで現れた。


……ついにはスクウェア・エニックスとタッグを組んだ夢の国からの使者がまさかのDLCファイターパス2のトリを務め、グランドフィナーレを飾ったのである。


そして、2021年10月には勢力図を書き換えた『FF7』と、勢力図に翻弄されてしまったゲーム機NINTENDO64が、同じニンテンドースイッチのメニュー上にも並ぶ日が来たのである。これにより任天堂とスクウェアの因縁はもはや過去の話となったのである。


また、移植・リメイクが諸事情で困難だった『ライブアライブ』のバーチャルコンソール化は任天堂側からの提案だった事や、リメイク版の海外販売は任天堂が引き受ける等、陰でサポートをしていたとされる事例もあった。


そして2023年11月17日、『スーパーマリオRPG』のNintendoSwitchでのリメイク版発売で「©Nintendo/SQUARE ENIX」のクレジット表記が…。

遂に長年の時を終えて、絶縁からの奇跡の再結成を果たした歴史的瞬間である。




泥を塗る発言をした人物についての流言飛語について編集

これに関しては、当時在籍していたファイナルファンタジーシリーズのプロデューサーであった坂口博信がプレイステーションに魅力を感じたことによってやらかしたと噂されたこともあるが(PSに魅力を感じていたこととそれにスクウェア自体が同調したのはほぼ事実)、そもそも彼が発言したという確証はどこにもない。


恐らく当時のスクウェアにおけるプロデューサーとしての発言力が強かったことによる(後に独立したブラウニーブラウンがマジカルバケーション「ヒゲのおきて」と暗喩していた程)ネット上での推測による単なる噂に過ぎないと思われる。過去には「ドラクエを“けちょんけちょん”にする」という思わせ振りな発言も伝えられたが、これは初代『ファイナルファンタジー』開発時、スクウェア社内での発言で、騒動の件とは全く時期が合わない。


後にスクウェアの鈴木社長(当時)が2001年に日経産業新聞において「プレステへの独占供給を決めた際にハードの選択ということならば仕方ないと山内社長は言ってくれていた」「しかし、その後の対応がマズかった。我々は「NINTENDO64はダメだ」と公言してしまった。」と発言しており、確執に至った原因の1つがスクウェア側の失言であったことは確かではあるが、この件については誰がいつどこで問題となる発言をしたのかは依然として不明。特定の誰かではなく「社内全体にそういう空気が存在していた」という感じであろうか。


なお上記の通り、「サードパーティ間で発した失言」は遠因にすぎず、「デジキューブの経営戦略由来の失言」が決定的だったとされる。


ちなみにこの断絶の真相に限りなく近いとされる理由を明かしたのはスクウェア側のみ。任天堂側は両社間だけの問題としているのか、断絶当時に「当社とスクウェアさんとはゲームに対する考え方が違いますので…」と開発の捉え方の不一致としたコメント以外に公的には(引退して経営にノータッチとなった山内も)一切言及せずに現在に至る。


企業倫理にまつわるモラル無き失言であるため、任天堂が激怒するのは無理もないのだが。


このような経緯もあってか上記のペーパーカンパニー計画は、当時のメインプラットフォームであったプレイステーションのSCE(スクウェアの再建に手を貸した)までも敵に回すことを回避するための苦肉の策であったとの見方もされている。ただし後にSCE(当時)はスクウェア・エニックスの株を売却し主要株主から離れている。


余談編集

  • 当時のテレビ東京深夜のゲーム番組『GameWave』で、丁度絶縁状態中であった任天堂の宮本茂氏が「ゼルダの伝説時のオカリナ」開発が遅れている理由について、「『FF』を遊んでたから…(嘘)」という、FFに対するディスリともとられかねない冗談を言っていたことがある。
    • またその前頃の放送の『武蔵伝』発表時に、スクウェア社内の開発室で、既に任天堂と絶縁状態中であるにもかかわらず何とピカチュウ人形が複数置いてあった。もし、この時にSNSが発達していたらレスバの1つとして利用されたであろう。


関連項目編集

スクウェア 任天堂 山内溥 お家騒動


レーシングラグーン逆にスクウェア側が出禁を起こした事件でありプレイステーションマガジン徳間書店)に対して『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』の素材の提供を拒否した。原因はレーシングラグーンは公式でのジャンルは「ハイスピードドライビングRPG」だがプレイステーションマガジン側がレースゲーム扱いしこのゲームの記事を小さく紹介したため。プレイステーションマガジン休刊後にスクウェアと和解している(しかしプレイステーションマガジンの休刊の原因が他にもあったためスクウェア出禁が休刊の大きな理由ではないとのこと)。


ガイナックス:かつて庵野秀明が所属していた頃はとんでもなく荒れていた。彼が取締役に就く事になった際に内部状況を調査したら、財務状況、果ては版権が散逸している事が発覚している。


カプコン:『バイオハザード0』・『バイオハザード4』からバイオハザードシリーズをプレイステーションから任天堂のゲーム機での展開へ路線変更しようとした際にSCEの社長久夛良木健(当時)から呼び出され、物凄い叱責があったと元社員であった岡本吉起が自身のYouTubeチャンネルで明かしている。

一応バイオハザードはその後も任天堂のゲーム機にも無事発売されてるが、これがソニーによるサードパーティに対する囲い込みの強引な手段の常態化なのではないかと批判もある(その囲い込みは今でも独占タイトルという形でやっており、そのタイトルが他機種に出されるケースが多くなったことから、独占タイトルからマルチ展開にされるまでの時間を「ソニータイマー」と皮肉されることに)。


SHARP:2017年6月27日に、公式Twitterアカウントの「シャープ製品アカウント」(@SHARP_ProductS / 赤い方のシャープ)が「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」について内蔵されたソフトに1つ1つ値付け(サードパーティー製ソフトも含む)をして御丁寧にそれを表にしたものをツイート。しかも任天堂公式アカウントにまでリプライするという暴挙。しかも、その値付けはあまりにも酷く、中には0円扱いされたタイトルもあった(※後に該当アカウントは「誤解があった」として0円を「未購入」と訂正した画像で再アップしたが、共にツイート削除)ために、当然Xでは炎上してしまった。

その後、事態を重く見た「SHARP株式会社公式アカウント」(@SHARP_JP / 白い方のシャープ。前者の赤い方とは別担当者で、以前から緩いツイートで人気を博していた)より、該当アカウント(赤い方のシャープ)が不適切なツイートを行ったことを謝罪し、そのアカウントを運営停止措置処分を行った。

シャープと任天堂はゲーム&ウオッチの頃からの付合いがあるため、当該アカウントのツイートは相当失礼極まりないと判断したのは間違いないであろう。


スーパーマリオくん:これが原因かは不明であるが、『スーパーマリオRPG編』が突然の打ち切りとなっており、さらに単行本へ収録されたのが20年以上も経ってから(収録予定となっていた巻数からは30巻以上離れている)と2次災害を受けている。

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