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概要

1970年生まれのゲームクリエイター


小学時代に登場したテクノバンドYMOに衝撃を受け、電子音楽を始めるためにパソコンを購入。その後プログラマーとしての才能を開花させ、小学校高学年の頃に作った『十和田湖殺人事件』でゲームコンテストに入賞している。


城西大学付属川越高等学校を中退後、1988年にゲームメーカー・有限会社インターリンクに入社。

その後売り込み先の一つだったHAL研究所スタッフの勧めで翌1989年に友人達と共にゲームの下請け会社EIMを設立。


1994年に株式会社WARPを設立し社長に就任。

翌1995年に、3DOで『Dの食卓』をリリース。ミリオンセラーを記録するヒット作となる。

当時のWARPは「企業というよりもバンド」のノリだったらしく、ゲームソフトの売れ行きが好調でも経営は苦しかったと自伝で語っている。


2000年に社名をスーパーワープに変更し、更に翌2001年にフロムイエロートゥオレンジに社名変更している。

この頃からヒット作に恵まれなくなり、ゲーム事業から離れてIT関連の仕事に注力していたが、

2008年8月25日にiOSアプリゲームnewtonica』をリリースしゲーム事業に復帰する。

翌2009年に自ら企画を担当した『きみとぼくと立体。』がWiiウェアで配信されている。


2013年2月20日、高血圧性心不全のため東京都内の自宅で死去した。

逸話

  • 幼少期から学力は高かったが、同時にイタズラ好きで中学の内申点はかなり悪かったらしい。(著書「ゲーム」より)
  • 中学2年のときに教師の薦めで脚本や戯曲を沢山読んでいた。そのときに哲学書も薦められ、デカルトの「方法序説」に衝撃を受ける。(著書「ゲーム」より)
  • 中学では吹奏楽部に入部、高校ではアマチュアのオーケストラに入団していた。(著書「ゲーム」より)
  • WARP在籍時は社長であるにもかかわらず電話対応を買って出ていたらしく、クレームの対応もしていた。(鈴木みそ「おとなのしくみ 2巻」より)
  • メディアによく出演しており、その理由は「作り手の顔が見えることは重要」と語っている。(鈴木みそ「おとなのしくみ 2巻」より)
  • 風のリグレットに低評価をつけたファミ通クロスレビューに文句を言い、ファミ通と揉めたことで浜村通信との対談の場が設けられることになった。(鈴木みそ「おとなのしくみ 2巻」より)

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