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解説編集

週刊少年マガジン』(以下『マガジン』)の黄金期は1966年から1969年と1995年から2002年の2回発生しているとされており、前者の期間を第1次、後者の期間を第2次に分類される。


第1次黄金期は『週刊少年サンデー』(以下『サンデー』)との発行部数合戦に勝利し、第2次は『週刊少年ジャンプ』(以下『ジャンプ』)との発行部数を抜きジャンプ黄金期を終了させたとされている。


ここでは黄金期の後に発生した暗黒期も含め、マガジン歴史を基に第1次と第2次に分けて解説する。


第1次黄金期編集

黄金期までの経過編集

サンデーと同じ1959年3月17日に創刊されたマガジンであったが、手塚治虫藤子不二雄FA)、石ノ森章太郎赤塚不二夫など所謂「トキワ荘」のメンバーは当初サンデーで連載を開始したことからマガジンはサンデーの後塵を拝していた。1963年には『少年キング』が創刊され、こちらもトキワ荘のメンバーを積極的に起用したことからマガジンもトキワ荘のメンバーを起用しようとするが、ここで事件が発生する。


編集長に内田勝が就任したマガジンは1965年に手塚治虫および虫プロと共同でメディアミックスを展開することになり、『W3』の連載が開始された。しかし虫プロは情報管理の問題で連載開始前に設定漏洩があり、その設定をもとにした『宇宙少年ソラン』という作品が先に展開され、さらにマガジン編集部は『宇宙少年ソラン』の連載を決定する。これに対し虫プロは『宇宙少年ソラン』の連載中止を求めたがマガジン編集部は拒否したため、『W3』はマガジン上では6話のみ連載し、その後はサンデーへ移転してしまった。これを俗に言うW3事件であるが、このことで手塚治虫と手切れ状態になったマガジンは劇画路線へシフトすることになり、結果として第1次黄金期に繋がることになる。


第1次黄金期の詳細編集

明日金G-31aにて矢吹と力石

マガジン編集部は手塚に勝てる作品を作るため、小説家として名前が売れ始めていた梶原一騎を原作者に起用し、川崎のぼる作画による『巨人の星』の連載が開始される。するとV9による巨人黄金期もあって瞬く間に売れ、テレビアニメ化されると視聴率は軒並み30%台を記録するなど劇画路線の転換が大成功を収める。この『巨人の星』旋風に乗ったマガジンは『天才バカボン』『ゲゲゲの鬼太郎』『サイボーグ009』などヒット作を次々と誕生させていった。


さらに1968年よりちばてつやによる『あしたのジョー』の連載が開始されるとこちらの社会現象となり、よど号ハイジャック事件の犯人が影響されて「我々はあしたのジョーになる」との声明を出したり、力石徹が作中で逝去するとファンの要望により講談社主催で葬儀が行なわれるなどその影響は凄まじいものであった。こうして盤石な連載陣を抱えたマガジンの発行部数は1970年には150万部まで伸び、サンデーやキングの発行部数を大きく引き離していった。


第1次黄金期の終焉と第1次暗黒期編集

黄金期を迎えたマガジンであったが、1968年にジャンプ、1969年に『週刊少年チャンピオン』が刊行され、少年週刊漫画誌は3大誌から5大誌体制となっていく。マガジン編集部は他4誌とさらなる差をつけるため青年層の取り込みを図るが、起用した漫画家や青年向けを意識しすぎて次第にエログロナンセンスの作品が増えていき、購読層の大多数を占めていた少年層がついていけなくなり、サンデーやジャンプ、チャンピオンに読者を次々と奪われていってしまう。その減り方はすさまじく、1971年には50万部と3分の1まで急落。わずか1年で黄金期が終焉したどころか暗黒期に突入してしまった。


フルターンキャスティング!ひゅ~るるんるん

その後手塚と和解し『三つ目がとおる』の連載が開始されるもピークを過ぎていた手塚で支えることは難しく、水島新司の『野球狂の詩』も同氏がチャンピオンで連載していた『ドカベン』と比較すると弱さが否めない状態であった。この時期も『愛と誠』『釣りキチ三平』などヒット作はあったがマガジンの部数は伸び悩び、同じく低迷していたキングと最下位争いを演ずる状態であった。


第2次黄金期編集

第2次黄金期までの経過編集

プロは負けるわけにはいかねえんだ!巨摩郡


暗黒期が続いていたマガジンであったが、1978年に三樹創作が編集長になるとこれまでの劇画路線からようやく脱却を始めていく。新人漫画家を次々と起用し、『翔んだカップル』『1・2の三四郎』『コータローまかりとおる!』といったコメディタッチな作品をはじめ『あした天気になあれ』『バリバリ伝説』などヒット作が次々と誕生。発行部数は第1次黄金期の150万部まで回復し、低迷期に入ったサンデーとチャンピオンを抜き暗黒期を脱出することに成功する(なおキングは1982年に休刊となり、以降4大誌体制となる)。しかし1973年から発行部数で首位になっていたジャンプはマガジン以上に伸ばしており、マガジンはこの時発生したジャンプ黄金期の前に為す術がなく、ジャンプと比較されては「二番煎じが多い」「漫画離れができない大人が読む少年誌」と揶揄されていた。


はじめの一歩/ライバルミスター味っ子

それでも1986年に五十嵐隆夫が編集長に着任すると三樹時代にヒットした漫画に加え『はじめの一歩』『名門!第三野球部』といったスポ根漫画、『湘南純愛組!』『特攻の拓』『カメレオン』といった不良漫画、さらには料理漫画として『ミスター味っ子』、医療漫画として『スーパードクターK』が相次いで連載開始するなどジャンルの多様化で読者を増やしていき、メディア展開は抑えつつその機会を窺っていた。


1990年代になるとジャンプの黄金期はピークを迎え、発行部数は600万部と太刀打ちできないレベルになっていたが、マガジンも地道に発行部数を250万部まで伸ばしていた。この時代のジャンプ相手と考えれば十分な大奮闘と言えるが当時のジャンプの圧倒的な部数の前にはマガジンの奮闘は当時過小評価されがちであった。スポーツものや不良物を中心とした誌面カラーも「握れば汗が出る」と揶揄されるほどだった。だが1994年に『幽☆遊☆白書』、1995年に『ドラゴンボール』、1996年に『スラムダンク』と黄金期を支えていたジャンプ三本柱の連載が次々と終了し発行部数が急落。この機会を見逃さなかったマガジンはこのタイミングで積極的にメディア展開を行なうようになる。


第2次黄金期の詳細編集

金田一少年の事件簿【腐向け】鬼塚せんせと店長さん

ジャンプ黄金期との違いはジャンプはテレビアニメを中心としたメディアミックスを展開したのに対し、マガジンは実写テレビドラマを中心としたメディアミックスを展開した点である。元々マガジンは読者層が高い傾向にあったうえ少子化が進行し始めた時期であり、プライムタイムのアニメ枠が次々と廃止されていた時期でもあった(実際ジャンプやアニメに強いと言われていたコロコロコミックも1990年代に入るとプライムタイムでの放送が減少していた)。一方テレビドラマは成年人口がピークを迎え、かつ「視聴率20%以上は当たり前、30%以上の作品も多かった」という時代で、マガジン編集部はそこに着目したのである。但し本来であれば少年誌の作品はアニメ向きであり、テレビドラマに仕上げるのは難しいとされていた。その問題を解決した人物が当時マガジン編集者で原作者の樹林伸で、原作者として『金田一少年の事件簿』や『サイコメトラーEIJI』など予めテレビドラマ向けに仕立て上げ、実際にドラマ化されると大幅な改変もなく放送することができ、さらに軒並み高視聴率を叩き出すヒットメーカーとなった。


もう一つ黄金期を語るうえで欠かせないのは1980年代から隆盛していた不良漫画の存在で、ジャンルの問題でテレビ放送ができないながらもどれも単行本累計発行部数が数千万部クラスの人気作品となっており、五十嵐や樹林をはじめとした編集部ではどうにかしてテレビを巻き込んだメディアミックス化できないか検討がなされた。その結果、ジャンル内の累計発行部数が一番多かった『湘南純愛組!』の連載を終了する代わりに同作の主人公である鬼塚英吉を教師に仕立てた『GTO』の連載を開始。人気作品のキャラクターを継承しつつ不良漫画から脱却したことでテレビドラマ化への足枷がなくなり、さらにテレビドラマも当時の社会に対する不満をぶつけたことで注目され、結果最終回の視聴率が35.7%という驚異的な数字を叩き出すことに成功した。


センシティブな作品無題

このようにテレビドラマが強い傾向があったが、それ以外にもサブカルチャーに着目し、当時まだ黎明期であった萌え文化を取り入れた『ラブひな』や当時は少年誌の穴場とされていたうえ、それまでのマガジンでは珍しかった(実際作者本人も単行本1巻のあとがきで”マガジンらしくない作品”を自負している)王道少年漫画タッチによるファンタジー漫画の『RAVE』の連載を開始。他には『ミスター味っ子』で充実化した料理漫画は『将太の寿司』や『中華一番!』、少年誌では異色ともいえる麻雀漫画の『哲也-雀聖と呼ばれた男-』、ルポルタージュサスペンスを混ぜた『MMR』と様々なジャンルに挑戦し、攻めの姿勢を貫いていた。


そして『金田一少年の事件簿』の漫画連載が開始した1992年時点で約250万部だった発行部数は編集長が野内雅宏に交代した1998年新年号時点で445万部まで伸び、415万部まで落ちていたジャンプをついに追い抜きトップに躍り出ることに成功。まさにマガジン黄金期を謳歌する状況になっていた。


第2次黄金期の終焉編集

しかし1999年7月にノストラダムスの大予言が起きなかったのを見届けて樹林が講談社を退社(ただし原作者としては引き続き関与)すると発行部数は下降に転じ、2000年に『サイコメトラーEIJI』、2001年『金田一少年の事件簿(第1期)』、そして2002年『GTO』の連載が終了。『ONEPIECE』や『NARUTO』で盛り返してきたジャンプに再び抜かれてしまう。さらにこのタイミングで副編集長が大麻所持で逮捕されるという不祥事が起き、編集部のモチベーションが一気に低下してしまう。

星に願いを千雨さん

2003年にCLAMPを引き抜いて『ツバサ-RESERVoir_CHRoNiCLE-』の連載や『ラブひな』からさらにメディアミックスを強化した『魔法先生ネギま!』に、2004年に不定期ながら『金田一少年の事件簿』の連載再開(第2期。2009年より定期連載化)を行ないテコ入れを図ろうとするが下降は止まらず、2004年には『1・2の三四郎』の担当編集であった工富保が編集長になるも、1年で『賭博黙示録カイジ』の担当編集であった森田浩章に交代している。


第2次暗黒期の突入編集

不屈の炎

森田編集長が着任した2005年頃から『魔法先生ネギま!』や『はじめの一歩』といった看板作品の休載が相次ぎ、2000年の『無頼伝涯』の連載以来久々に福本伸行を起用し『賭博覇王伝零』の連載を開始するも、『賭博黙示録カイジ』との平行執筆だったためこちらも休載が相次ぐなど「掲載作品が安定しない」状態となる。酷い時は5作品以上が休載で雑誌が薄くなってしまい、ステルス値上げと揶揄されたこともあった。この穴を埋めていたのが真島ヒロで、『RAVE』から『FAIRYTAIL』へ作品が変わった後も「一挙3話連載」などで休載の穴埋めに貢献していた(ちなみに3話分の原稿は真島が充分な睡眠をとったうえで1週間で描き上げたもので、編集部が無理強いをしたわけではない)。編集部も真島に頼り切りにしていたわけではなく他誌から作品を引き抜くなどで穴を埋めようとしたが、長続きしない短期的ブームに便乗した作品を見切り連載するなど方向性が見えない状況となり、結局休載の多いベテラン漫画家の焼き増し作品に頼り切りの体質から脱却できないままとなった。


無題

メディアミックスでは『シバトラ』や『BLOODY MONDAY』といった樹林原作の作品以外でも『ゴッドハンド輝』『ヤンキー君とメガネちゃん』『ハンマーセッション!』など第2次黄金期以上のペースでテレビドラマ化が行われたが、テレビドラマ業界全体の低迷の影響もあり視聴率は軒並み10%前後とかつての勢いはなく、テレビアニメはテレビドラマ化中心の煽りを受けて長期放送の作品が多かったジャンプ(『ONEPIECE』や『銀魂』など)やサンデー(『名探偵コナン』や『MAJOR』など)と比較して1~2クール(3~6ヶ月)の短期放送ばかりとなり、「ジャンプやサンデーと比べてマガジンは最近ヒット作がない」という印象が強くなってしまった(2010年代後半以降でこそ円盤化やネット配信がしやすい1~2クールアニメが主流になっているが、当時は1~2クールで終了すると打ち切りのイメージが強かった)。


このように誌面でもメディアミックスでも迷走してしまった結果、2013年には発行部数は130万部と2001年の380万部から12年で約3分の1(約250万部減)まで急落。10万部減とほぼ横ばいどころか増えた時期もあったジャンプはもとより100万部減ながらも瞬間的に増えた時期もあったサンデーと比較しても減り方が大きく、第2次暗黒期を迎えてしまったといえる惨状になってしまった。


第2次からの戦略転換と現在編集

聲の形大罪ログ

2013年に編集長が菅原喜一郎になると第2期黄金期から在籍していたベテラン漫画家の多くをバイバイマガジン(活動をマガジンから離れて他誌に移ることの俗称)させ(『はじめの一歩』の作者である森川ジョージは残ったが2021年まで電子版に掲載しないなどこれまでの厚遇が一変している)、同時にメディアミックスの方針を転換。菅原編集長着任中のテレビドラマ化は『山田くんと7人の魔女』と『アゲイン!!』のみに留まったのに対し、『聲の形』、『七つの大罪』、『ダイヤのA』『ベイビーステップ』などテレビアニメ化を積極的に行なった。特に『聲の形』は映画が大ヒットするなど転換が成功した例となり、以降のメディア戦略に大きな影響を与えることになった。一方で発行部数の低下は止まらず、2016年には100万部を切っている。


【東卍】壱番隊捏造漫画五等分の花嫁

2017年には新人時代に樹林の指導を受けていた栗田宏俊が編集長に着任。『FAIRYTAIL』や『エリアの騎士』、そして黄金期の象徴で最後まで樹林原作として残っていた『金田一少年の事件簿』を終了させるなど連載陣の大幅刷新を実施。マガジンが得意とする不良漫画を現代風にアレンジしてメディアミックスにも対応した『東京卍リベンジャーズ』や「マガジンはメインヒロインの人気が出ない」と言われてきた都市伝説を覆すラブコメ作品『五等分の花嫁』の大ヒットはじめ、『不滅のあなたへ』『EDENSZERO』『炎炎ノ消防隊』『ブルーロック』『彼女、お借りします』など久々に各ジャンルでヒットする作品が登場。作品ベースで見た場合2003年頃から続いた第2次暗黒期からは脱却したと評される結果になった。しかし雑誌自体は出版業界全体を襲っている雑誌離れに抗うことができず、2021年には50万部、2023年には黄金期の10分の1以下で1965年頃の水準である35万部を切る状況になっている。


第2次黄金期の評価編集

第2次黄金期の最大の功績は「少年誌の作品でも実写ドラマ化が成功することが実証された」ことである。それまでは少年誌の作品はアニメ専門でテレビドラマ化しても受けないという風潮で、ジャンプも実写化には消極的であったが、マガジン黄金期後は『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『ROOKIES』のテレビドラマ化や『るろうに剣心』『銀魂』の実写映画化など積極的な実写を使ったメディア展開を行なうようになった。


また、黎明期のジャンルに積極的に作品を送って成功を収めたことで他社を含めて選択肢が広がり、これまで見向きもされなかったジャンルが活性化されたとされている。推理漫画は『名探偵コナン』が国民的アニメ化し、萌え漫画についても青年向け、さらには中高年向けだった出版社が相次いで参入するなどマガジン黄金期が一種の転換期になったものが多い。ちなみに萌え漫画の火付け役を担った『ラブひな』の作者赤松健二次創作に寛容な態度をとるなど、萌え漫画のさらなる発展に寄与する活動を行なっている。


黄金期の問題点編集

黄金期が2度迎えているマガジンであるが、いずれもジャンプ黄金期と比べて短期で終了し、さらに間もなく暗黒期を迎え、その暗黒期がジャンプ世代交代期(ジャンプ暗黒期とも)と比較しても長期化している。これはよくも悪くも編集部主導の体質が影響しているとされている。


第1次黄金期の前のW3事件もサンデーやキングで手塚作品を先に連載されたことからマガジンでも連載に漕ぎつけたもののその後の対応ミスで手塚作品が連載できなくなったり、特定の読者層を取り込もうとするも編集部の判断ミスで既存の読者層が離れてしまったばかりか「黄金期ではうまくいったから」と既存のベテラン漫画家頼りで新人漫画家を育てなかったことが原因とされている。第2次ではさらに顕著で、得意不得意関係なく編集部が決めたテーマで連載を開始させたり、連載中は漫画家に過干渉を行なったりとむしろ束縛を強めた結果作者の士気を下げる結果となり、ベテランの休載が相次いだり新人漫画家が相次いでバイバイマガジンする事態に陥ってしまった。


また、先述の栗田編集長がチャンピオン編集長との対談で「講談社は昔から二番煎じが多い社風」と評している通りマガジン(に限らず講談社全体の問題であるが)は昔からブームの後追いやヒット作の焼き増しが多いとされている。第1次では他誌で連載していた漫画家にマガジンでも連載して欲しいと頼んで連載してもらうも読者からすれば「似たような作品の後追い」と捉えられてしまい、第2次では過去の大ヒット作品を現代風にしたリメイク作品テレビ局の単発ドラマの番宣に幹部が影響されて鶴の一声で始めた作品など二番煎じが悪い方向に出た作品が多かった。


ジャンプでは編集部の切り替えが早く、過去に捉われず漫画家の好きなようにやらせた結果ヒット作が再び出てくるのに対し、マガジンではたとえ暗黒期であるうと編集長が交代しない限り方針は変更されず、結果黄金期という過去の栄光が忘れられずますます悪化するという負のスパイラルに陥りやすい状態となってしまい、黄金期の存在が暗黒期の長期化を招くという皮肉な結果となってしまった。


但し第1次暗黒期編集長の宮原照夫は担当編集者は『巨人の星』『あしたのジョー』の発起人で、マガジン編集長退任後は『月刊少年マガジン』『週刊ヤングマガジン』の初代編集長になっており、第2次暗黒期編集長の森田浩章も元々は育成に定評があり、退任後は出世街道を進み専務取締役になっている。このことから当時の編集長の責任ということは早計で、編集部もとより講談社の社風が影響していると思われる。


黄金期に連載されていた作品編集

※ピク百に記事がある作品を記載する。

第1次黄金期の作品編集


第2次黄金期の作品編集


関連タグ編集

週刊少年マガジン 少年マガジン

氷河期世代 ゆとり世代:マガジン黄金期がリアルタイムだった世代。オウム真理教事件やアジア通貨危機など社会情勢の不安定さを肌で感じた世代である。


月刊コロコロコミック…第2次黄金期と同じ時期にこちらもポケモンブームや爆走兄弟レッツ&ゴー!!によるミニ四駆2次ブームにより過去最高の200万部を記録するなど黄金期を迎えていた。

横浜ベイスターズ:1998年の日本一を中心とした全盛期が第2次黄金期と重なり、TBSに売却された頃に第2次黄金期が終焉、その後ベイスターズ暗黒時代が第2次暗黒期と重なり、DeNAに売却されて横浜DeNAベイスターズになった時期が第2次黄金期からの方針転換とほぼ重なるなど好不調の波がシンクロしている。

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