概要
事の発端は、五島勉が1973年に著書『ノストラダムスの大予言』を祥伝社から発行したことに始まる。
この本の中で、フランスの医師で占星術師のノストラダムスが1555年に著した『予言集』の詩のひとつにあった、“1999年7の月、空から恐怖の大王が来るだろう。アンゴルモアの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配するために。”の文章を「1999年7の月に人類が滅亡する」という解釈で掲載したことにより、経済成長の一方で公害問題や冷戦など将来に対する不安を抱えていた当時の日本でベストセラーとなった。
その後、ことあるごとに雑誌などで特集が組まれたり、東宝によって映画化されたり(※)、テレビで特別番組が放送されたり、アニメ漫画の題材になるなどして、オカルトや新興宗教の界隈を筆頭に、本気にする人が増えていく。丁度2000年問題が出てきたこともさらに拍車をかけた。
この予言を信じる者の中には、
「どうせ世界が滅びるんだから、勉強も仕事もしても意味無いじゃん」
と言わんばかりに、享楽的な生活を送る者が現れたり、世界の崩壊を救うとして謎の修行に入る人も現れた。
…そして迎えた「1999年7の月」
8の月になっても、何も起こらなかった…
予言を信じていた者たちは一気に地獄へと突き落とされ、まさしく阿鼻叫喚の地獄絵図の様を呈するのであった。(…合掌)
※ 公開当時は大ヒットしたが、現在は放射能の影響で食人鬼と化した人々や、核戦争後の人類のデザインが原爆症による奇形をデフォルメしたものではないかという指摘がなされ、反人道的・差別的だとして問題視されたこともあり、映像ソフト化は一切行われていない。よって、現在では視聴することが極めて困難である。
その後
信じていた人物たちの期待を大きく裏切ったからか、ノストラダムス自体が語られることはなくなってきた。
そしてこの事件で耐性を得た多く人々は、新たに持ち出された「マヤの予言」を始めとする「2012年の人類滅亡説」に対して冷ややかな目を送ることになる。
余談
- この話を真に受けたとある日本人が1989年に原本を所有するフランスの学者の元を訪れ、自分が救世主として載っているかもしれないと考えて、本の現代語訳の研究を求めた。しかし、学者は日本語に現代語訳するのは極めて困難だと告げ、実際に本の中に自分の存在を見出せず諦めて帰国した。その人物こそ、後に多くの事件を起こしたオウム真理教の教祖・麻原彰晃である。
- 第二次世界大戦中、ドイツ軍はフランス侵略中に『予言集』の一説を書いたビラを撒き、フランスが負けるのは予言された必然と解釈した文章を書き、心理戦を仕掛けていた。
- 財津和夫はノストラダムスの大予言を本気で信じていて、「もし生きていたら1999年9月9日に金閣寺で集まろう」と軽い気持ちで発言した。もちろん当日は本人とく多くのファンが金閣寺に詰めかけた。
- 又吉直樹や小宮浩信も本気で信じていた。両者とも「どうせ滅ぶのだから」と思い又吉は歯医者に行かず、小宮は勉強せずに留年した。