野球狂の詩
やきゅうきょうのうた
プロ野球セ・リーグに所属する球団東京メッツの、50歳を超えたよれよれ投手、岩田鉄五郎以下、愛すべき「野球狂たち」を主人公とした連作。
1972年~1976年まで『週刊少年マガジン』に不定期連載(のちに連載)され、週刊連載となった1975~1976年の、いわゆる水原勇気編をもっていったん完結。
1978年に読み切り作品「勇気と甚久寿編」(『野球狂の詩外伝』のタイトルで文庫版に初めて収録)を掲載。その後は『白球の詩』『ブル』『ストッパー』『大甲子園』などの、東京メッツと岩田鉄五郎が登場する作品が描かれていく。
1997年に『野球狂の詩 平成編』として『ミスターマガジン』にて復活。以後『野球狂の詩2000』『新・野球狂の詩』とタイトルを変え、『ミスターマガジン』⇒『週刊モーニング』⇒『別冊モーニング』(2004年から)と移籍しながら連載。年4回のみの掲載となるが雑誌そのものが存続しなかったこともあり、明確な最終回を迎えないまま連載が終了する。
2005年の秋には秋田書店・講談社の合同企画で『野球狂の詩VSドカベン』が『週刊モーニング』にて9週間に渡り掲載された(同様に『ドカベンVS野球狂の詩』が週刊少年チャンピオンにて連載されている)。
『ドカベン ドリームトーナメント編』ではメッツの選手が「新潟ドルフィンズ」「阪神タイガース」「広島東洋カープ」「福岡ソフトバンクホークス」に分かれて入団する。
※演に関しては映画版、テレビドラマ版の順で表記。
テレビアニメ
1977年末に単発のスペシャル番組として、水原勇気の入団騒動を描いた第1話が、フジテレビ系列局(ただし新潟総合テレビとテレビ大分除く)の金曜日20:00-20:54枠(当時は『金曜ファミリーアワー』内)で放送され、好評につき翌年の1978年5月-9月にかけて、毎月1回のスペシャル番組として第2-6話までの継続放送が決定。同年11月に第7話から毎週1回・月曜20:00-20:54枠(ただし岡山放送とテレビ山口は放送日時差し替え、秋田テレビや新潟総合テレビとかテレビ大分にテレビ宮崎やら鹿児島テレビでは放送自体なし。その一方で日本テレビ系列局・TBS系列局・テレビ朝日系列局いずれも約1局ずつでも放送)でのレギュラー放送へ昇格、1979年3月まで放送された。全25話。
コメント
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すべて見る我慢してみた日(しかし瞬時にやる
言わずもがな、痴人の愛です、お願いします。 後年、 「じつはね、おまえのなまえはこの、英司が考えてくれたんだよ、」 「ほんとう!?たまみ、とっても気に入ってるのよ!ねこちゃんみたいにかわいいおなまえで、だあいすき。」 おじさまありがとう〜〜、と無邪気に抱きついてくる幼女珠美に、遠いむかしに、きみのお父上との睦言の中で出たことだとは口が裂けても言えない英司。1,869文字pixiv小説作品時間制限付きの天国旅行
まだ21とか22歳くらいのスポーツ新聞記者山井さんと、メッツの4番の国立が、珍しく昼間からデートする話。イチャイチャ会話しながら、お互い「好きだなあ~」とノロケてるだけ。5,111文字pixiv小説作品悪酔いした国立をお姫様だっこした話
毎度毎度すみません、 さいしょ、国立さんの言ってゆく花の名前を同じ時期に咲いてるはずない花にしよう、と思っていて、それというのも、わたしの一連の駄文散文は、今現在もうふたり離ればなれになってしまったのを、山井さんが昔のこと思い返しているのかも、、というイメージが漠然としてありまして、だので、山井さんの記憶、思い、言い間違い、など生じてきて、しかし興味もない花の名前知っているということは、藤の花咲く季節以外も、春夏秋冬とおして、もしくは、何年かのあいだ、ふたり歩いて、国立さんに教えてもらったことがあったのだ、ということを現したかったんですけれども、わけわからんくなるのでやめました。 あと、翌朝ふたり風呂に入って欲しかったのですけど、70年代後半の下宿屋は共同便所で風呂無しだろうとて思いて、それもやめました、年代的にタクシーでタバコは吸わせています、食事場面は斜陽のイメージで。 ただ終始いちゃついているだけの話です、、2,926文字pixiv小説作品- mzsm作品でコピペ
mzsm作品でコピペ6
ブクマ、評価をありがとうございます! 本当に「何でも許せる方向け」です…。 去年の年末に水島作品を読み始めました…。にわかです…。すみません…。 しかも、水島作品を全部読んでません…。6,517文字pixiv小説作品