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山田康雄

やまだやすお

山田康雄とは、日本の俳優、声優、司会者(故人)。 ルパン三世のイメージを作った張本人であり「元祖・ルパン三世」
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概要

1932年9月10日生、東京都大田区出身。
生前はテアトル・エコーに所属していた。

ルパン三世の声優として夙に有名。声優仲間からは「ヤスベエ」と呼ばれ親しまれていた。
あまりにもルパン三世の印象が強かった為か、嘗てTV番組「クイズダービー」に出演した時、共にゲスト出演した加藤みどりが自身の持ち役を多数披露するのを見て「いいなアタリ役が多い人は。俺なんかルパンくらいしかネタが無いんだよ」と言って会場を沸かせたことがある。

ただし実際はアニメの仕事が比較的少なかっただけで、映画の吹き替えなどでは寧ろルパン三世以外にも多数の当たり役を持っている。これは山田自身がアニメに対してあまり好意的ではなかったためであった。特に少年時代に、アメリカ軍の空襲を受けた世代であったため、70年代アニメブーム時に隆盛していたSFアニメには「正義のためだとか言っているけど、やっていることは要するに戦争」と強い嫌悪感を抱いていた。
山田が声を演じたSFアニメの中で、著名作は「Dr.SLUMP」(現在「ほよよ!宇宙大冒険」とされているタイトル)くらいで、それも敵ボスのDr.マシリト役である。

ルパンとの出会いはなんとアニメ化よりも前に演技について悩んでいた時に、親友の演出家から渡された「漫画アクション」から切り抜かれたルパン三世を読んだ事だという。最初は「いくら馬鹿なこと好きな俺でも漫画?(そんなアドバイスはないだろう)」と鼻で笑って馬鹿にしていた山田だったが、すぐに夢中になっていった。このため、実際にルパン役の仕事が来た際は「やる!」と即答した。

役者としての心構え

芸に対し真摯で厳しい態度を保持していた人物であり、また「『声優業』とは『役者』の仕事の1つである」と言う持論から「声優」と言う職業をひと括りにされることを特に嫌い、自身も呼ばれると皮肉を返すほどだった。

声優という言葉に何ら抵抗を持たずに居る若手には特に厳しく、山田に憧れて声優になったと伝えた所、猛烈に激怒してアフレコが中止になるか否かの大事になったほど。
新人に対して指導の際にも「声優になりたいと思うのならやめなさい。でも、役者になりたいのなら、やってみてもいいかもね」「声優を目指すな、役者を目指せ。演技は全身でするものだ。それでこそ『声優業』も活きてくるんだ」が口癖だったそうである。

テアトル・エコー出身の俳優を始め、多くのレジェンド声優が肝に銘じていることでもある。同様にアニメに対して求めるものも多く、絵が完成していない事を理由にアフレコを中止させるエピソードが存在している。一方でゲスト共演者には細かい気配りを見せており、アフレコを中止させたのもゲストに対する配慮によるものであった事が、後年に明かされた。

しかし声の仕事を軽んじているわけではない。自身も最初にアフレコの仕事を振られた際、若手ながらも舞台で主役を貰うなど軌道に乗ってきた時期で増長していたこともあり、バイト感覚でその仕事を受けた。が、あまりにもNGを出すためにすぐクビになってしまい、これにショックを受けた山田は自身の芝居について振り返り、また稽古を付け直したという。その1年後に得た吹き替えの仕事で山田はクリント・イーストウッドという生涯のはまり役と出会う。

このため業界では「とにかく厳しい人」として通っており、ルパンで長年共演していた井上真樹夫も「仕事に緊張感を求める人」「納谷悟朗さんも怖かったけどあそこまでピリピリしていなかった」と語るほどだった。その一方で、没後十数年経った後も、山田康雄を尊敬する同業者は多い。神谷明は「怖い先輩だったけど必ずその姿勢には意味があった」としており、納谷悟朗らと並んで穴が空くほど二人の芝居を間近で見て研究したと語っている。また、晩年少しだけ交流があり、後年一部吹き替えを引き継ぐこととなった多田野曜平も憧れていたという。

後輩の神谷明はこういった大御所の同業者が肩書きにこだわり姿勢について、「自分達を食わせてくれたのは声の仕事だ」として無用なプライドとして反論を出したことがある。が、その一方でこの「俳優としての土台があるからこそ声優業でも生き、演技力に繋がる」という姿勢自体は否定せず、この厳しい姿勢がその後の自分を支えてくれたとする。

納谷曰く、「あんな普段はチャランポランにしているのに仕事に関してはプロフェッショナル」「シャイだから、仕事に入ってくる時は心底嫌そうに入ってくることもあったが、仕事が始まると絶対トチらない」と、その集中力と技術を称賛していた。

一方で『カリオストロの城』の脚本・監督を務めた宮崎駿に対しては、アフレコの際に宮崎から「今回はこれまでと調子を変えて、例えばクリント・イーストウッドのような抑えた声をお願いしたいのでよろしく」と言われ、長年担当してきたプライドもあった山田は「ルパンはオレに任しときな! 今更ごちゃごちゃ言われたくねーよ。ルパンは俺が決めてるんだ」と悪態をついて拒絶したという。
だが、アフレコ本番前の試写で宮崎のフィルムの出来栄えを見た後、一転して真摯な態度で「先程は大変失礼なこと言いまして申しわけございません。どんな無理な注文でも仰って下さい、何百回でもやり直します」と言ったという。
ただしこの一連について小林清志は記憶にないとしている一方、自分が見ていなかっただけで「山田の性格的にあってもおかしくはない」としていた。
実際、『ルパン三世』映画作品としては、カリオストロの城の評価は必ずしも高くはない。「あれはジブリアニメ」というルパンファンが今でも多い。だが、当の山田は、ほとんど手放しでの絶賛ぶりでお気に入りの1本で、同映画のパンフレットではべタ褒めしていた。

ルパン三世降板騒動

先の『カリオストロの城』で宮崎に悪態をついた姿に作画担当の大塚康生が眉をひそめ、宮崎に「生意気だ、降ろしちまえ」と耳打ちしたこともあったという。

実際、大塚自身が全面監修(実質監督)を務めたOVA(後に東宝配給の劇場用にブローアップ)『風魔一族の陰謀』ではキャスト一新(と言う名のコストカット)にかこつけて山田を本人が知らないうちに降ろしてしまった。ところが、その事情を知らない、新ルパン役(になるはずだった)古川登志夫が「今度ルパンをやらせていただくことになりました」と山田に挨拶に行ってしまい、なにも知らされていなかった山田は激怒してモンキー・パンチに電話、モンキー・パンチも最初は「山田ら4人には了解を得た上で交代してもらいます」と聞かされていたため、今度はモンキー・パンチが東京ムービー新社に抗議の電話を行った。この誰も得しない負の連鎖は最終的に、全方位から問い合わせを受けた東京ムービー新社がプロデューサーが逃げたんで解らん」と押し通して逃げきることとなった。

この影響でモンキー・パンチと山田康雄は生涯わだかまりが解けず、山田の死後にモンキー・パンチはこの騒動についてしっかりと説明できなかったことを酷く嘆き悔やんだ。

同僚との付き合い

増山江威子曰く、ルパンの共演者は収録中に馴れ合うことはなく、それぞれ思い思いに過ごすなど決して仲睦まじい関係性ではなかった。しかし、いざ収録が始まり、目的が一つになるとピタリと決まったという。

恐れられていたエピソードがある一方、仲の良い同業者だった納谷悟朗とは収録後に毎晩のように飲むなどしていたといい、一時期は別荘を買って同棲同然で毎夜主演を開いていたという。他にも酔って「次元大介と話させてやる」と言って、真夜中に小林清志の自宅に電話をかけるなど奔放なエピソードもある。

後にルパンを引き継ぐことになる栗田貫一とはモノマネを通じてプライベートでも付き合いがあり、終いには機嫌の悪い時に「俺はもう疲れたからクリカンにでもやらせとけ」という言葉を残したりもした。これが次のルパン役を決める一つの決め手にもなっているが、本人は「自分が死んだらルパンは終わらせて欲しい」と言い残していたとも言われる。

なお、栗田も当初依頼が来た時は山田の未収録部分だけをやると思っていたが、なんと全部をやる事になり、声の演技の世界に長年苦悩する事となった。

性格

このように人によっては傲慢にも見えるため、現場のスタッフからは辞めさせろと言われる程だった。
しかしこの姿勢はシャイな性格の裏返しであるとも語られており、反発的な態度は待遇の悪い声優業の地位向上を考えてではないか、と神谷明は語っている。
先の通り、表向きはやる気のない口振りや突発的なボイコットなどを行うことはあれど、仕事には一切手を抜かないなど、仕事に対するプライドは人一倍強かった。

また、声優業の待遇改善に向けて影で動いていたといい、特に再放送時のギャラも出すことを認めさせたことは大きい。このことを周囲にはまったく気づかせず、神谷明も「照れ屋だからまったく知らせてくれなかった。影で自分達後輩を守ろうとしていた」と語る。このことから神谷は「我々、山田さんの後輩の声優は、山田さんが切り開いてくれた道を辿っている」とまで、その功績を讃えている。

ルパンとしての最後

1993年になると体調を崩すようになり、同年に放送されたTVSP「ルパン三世 ルパン暗殺指令」では前半こそ「立ってやるのがアフレコであり、それで倒れたら本望」とまで語っていたが、後半の収録からは車椅子に座った状態で収録を行った。この時すでに、山田は自分の寿命がもう長くはないことを察していたのか、ルパン三世の音楽担当だった大野雄二に「もう一つアルバムを出したい。早くしないと俺死んじゃうよ?」といつもの調子で語っていたという。
そして1995年2月17日、脳出血によって倒れ意識不明となり、その1ヶ月後の3月19日にそのまま死去。享年は62と、他のルパンでの共演キャストと比較するとかなり早死であった。
しかし当時は、この翌日に東京都で発生した「地下鉄サリン事件」の方が大きく取りざたされていた影響から、山田の死は余り大きくは報道されず、数日も経ってから彼の死を知って愕然としたファンも少なくなかったらしい。

この死を受けて共演者は誰もが「ルパンは終わった」と思ったという。モンキー・パンチに至っては「終わってもいいやと思った。全然違う人にやってもらってもイメージが違うものになってしまう」とまで話していた。しかしルパンのモノマネをやるとして有名で、生前から何かと交流のあった栗田貫一がピンチヒッターとして入り、そのままルパンを引き継いで演じることとなった。

出演作

アニメーション作品

ルパン三世(初代)『ルパン三世』*1アンドロー梅田宇宙の騎士テッカマン』*2日の本盛野球狂の詩
3代目
初めての梅田
版権四つ
ズッコアンデルセン物語Dr.マシリト『劇場版Dr.スランプコブラ『PCエンジン版 コブラ』
う・ふ・ふ~♪
Dr.マシリト
コブラ


うさタン@星の子チョビン
うらなり@坊っちゃん
ジョー@山ねずみロッキーチャック
ジム@ハックルベリィの物語
ドン松五郎@我輩は犬である ドン松五郎の生活

人形劇

つねきちブンブンたいむ』(画像左)
ブンブンたいむ


吹き替え

クリント・イーストウッド*3ジャン=ポール・ベルモンド*4グレアム・チャップマン(モンティパイソン)*5
泣けるぜ…。
手ブロ/飛行訓練
カーミット(マペッツ)
カエルのカーミット


みんなのうた「まるで世界」

司会

お笑いスター誕生!!

*1 劇場作品『くたばれ!ノストラダムス』の予告編までの担当。後任は栗田貫一(同作の本編以降、全てのメディア作品で担当)。
*2 没後にリリースされたゲーム作品『タツノコファイト』では、野沢那智が代演。
*3 没後、山田が吹き替えていた洋画のテレビ版の欠落シーンの追加収録における代役は多田野曜平。新作の吹き替えは小林清志瑳川哲朗、野沢那智が複数の作品を担当。2019年に日本で公開された『運び屋』では多田野が初めて新作主演映画の吹き替えを担当。
*4 没後は、主に羽佐間道夫が担当。
*5 後任は安原義人(ゲーム作品『モンティ・パイソンのHoly Grail』、映画作品『人生狂騒曲』)⇒多田野曜平(映画作品『モンティ・パイソン ある嘘つきの物語 グレアム・チャップマン自伝』)。

関連タグ

声優 俳優
ルパン三世 クリント・イーストウッド
9月10日 3月19日 
地下鉄サリン事件

栗田貫一 納谷悟朗 小林清志 野沢那智


外部リンク

Wikipedia
ヤマダルパン

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