概要
1941年、イギリスにて生を授かる。後に、ケンブリッジ大学で医学を学んでいるとき、後に共にモンティ・パイソンのメンバーとなる、ジョン・クリーズと出会う。クリーズ曰く、最初の印象は「いけ好かない奴」とのこと。
モンティ・パイソンで有名に
クリーズとコンビを組み、『ザ・フロスト・レポート』や『アット・ラスト・ザ・1948・ショー』に参加。
1969年、グレアム、クリーズ、エリック・アイドル、マイケル・ペイリン、テリー・ジョーンズ、テリー・ギリアムと共にモンティ・パイソンを結成。映画では主演を務めた。
作風は、本人の寡黙な性格とは違ってスプラッタでアナーキー、暴力的なものが多かった。また、奇想天外な発想の持ち主で、クリーズが主となって書いたスケッチの脚本に、グレアムが突如として思いついたアイデアを混ぜることで、爆発的面白さになることが多々あったらしい。
有名なのはかの名作「死んだオウム」である。元々はクレームを認めない家電販売員の話として構想されていたスケッチを、面白くないから死んだペットを売りつける話にしようといい出したのはチャップマンだったりする。
私生活
重度のアルコール依存症で、台詞を忘れたり真っ直ぐ立てなかったりでスケッチや映画の撮影に支障をきたすことも多かった。しかし1977年、酔ってけがをしたのを転機に禁酒する。
1970年代に、メンバーは薄々気づいていたものの隠していた、自分がゲイであることをカミングアウト。今でこそゲイやバイセクシャルを公表してる人物は多いが、当時としてはセンセーショナルだった。後に、パートナーである男性と養子二人を迎えている。
1989年、喉頭癌と肺炎により、48歳の若さで死去。最期を看取ったのはパイソンズのメンバーだったジョン・クリーズとマイケル・ペイリン、パートナーのデイビッド・シャーロック、弟のジョンとその妻だった。
テリー・ジョーンズとピーター・クックは同日見舞いに来ていた。人の死に目を見たことのなかったクリーズのショックは大きく、ほかの部屋まで付き添ってもらい休息しなければならない程だったと言われている。亡くなった日の翌日の10月5日は、奇しくも『空飛ぶモンティ・パイソン』が放送されて20年目のことだった。
葬儀は二か月後に行われ、クリーズによって「死んだオウム」をもじった弔辞が読まれ、参列者は笑いあり涙ありとなった。またメンバーや近親者によって「Always Look on the Bright Side of Life」が歌われ、コメディの世界に生きた男を明るく楽しく送る事となった。
そして30周年イベントでは、骨壺入りの遺灰(という体裁)で登場、うっかりギリアムに吹き飛ばされて飛散、メンバーに箒で掃かれてしまいには掃除機で吸われるという扱いを受けた。
2012年、自伝が映画化された。