加藤みどり
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かとうみどり
サザエさんの声で有名な日本の女性声優。
所属歴・劇団河⇒東京俳優生活協同組合⇒シグマ・セブン所属⇒フリーランス。
国民的アニメ「サザエさん」のフグ田サザエ役として有名な人物である。1969年の放送初回から現在までレギュラー出演しており、2023年にタラちゃん役の貴家堂子が逝去してからは、全出演者の中で最長の出演期間を誇っている。
- 『サザエさん』のオーディションに軽い気持ちで受けたところ、合格してしまう。抜擢した初代プロデューサーいわく「サザエさんに一番重要な能天気な明るさが素の状態からあった」ことが合格の決め手だったという。
- 放送にあたって、加藤は初代プロデューサーから「アニメは大勢の人が時間をかけ一枚ずつ丁寧に描いて作るのに、もし主役のあなたがよそでチャラチャラ仕事してたらみんながあなたのために働いてくれなくなる」と仕事は出来るだけセーブするよう言われ、この時「この番組は10年以上続けてみせます。あなたにとってどの百本にも勝る大切な一本にしてあげますから、私のいうことを聞きなさい」と熱く説得されたことで、加藤は他のアニメに出演することが一切なくなった。
- 加藤はそれまで『おそ松くん』など少年役をよく演じていたため、第一回放送後は声に苦情が相次ぎショックを受けて降板を申し出るが、初代プロデューサーは「あなたの声は原作者の長谷川町子先生のお墨付き」と説得。この時に聞いた原作者公認ということは、加藤はとって以降も演じ続ける大きな支えになった。
- 役作りでは、こだわりを持たず何も考えない代わりに音響監督の指示にすぐ対応できるようにしており、それが「長く演じれる理由かも」と答えたことがある。また、初期の収録は加藤を主役として立て明るい個性も活かせるよう、周囲を当時のベテラン声優で固め一番新人の加藤をサポートする体制だった。
- 開始から10年ほどはアドリブもいれ自由に演じていたが、ある時「脚本家の方々は一語一語ちゃんと考えて書いているのに、その通りにできないなら声優でも俳優でもない」と自省し台本通り演じるようになった。これは、二代目カツオ役を約30年演じた高橋和枝が加藤のアドリブを受けつつ自分のセリフは一言一句影響されず完璧にこなす高い技術とプロ意識で演じていた影響も大きく、加藤は高橋を尊敬していた。
- 1999年に高橋が死去した時、加藤はショックから「立ち直れない」「(サザエさんの)声優をやめたい」と取り乱してしまう。すると、そんな加藤へタラちゃん役の貴家堂子は平手打ちをして、我に返った加藤を叱咤激励したといい、一部始終を見ていた波平役の永井一郎は後に「アニメではサザエの方がお母さんなのになぁ」と、まるで愛娘の話をする父親のように微笑ましく回想したという。その後、永井は2014年に急逝。直後に行われたアフレコでは、その死が受け入れられず収録中もずっと泣きっぱなしだった3代目カツオ役の冨永みーなに対し、今度は加藤が『泣くな! つられるじゃないか!!』と叱咤激励したという。
- 2019年には放送50周年を迎えたことで50年以上同じアニメの主人公を演じてきた唯一無二の声優であると同時に「同一のアニメ作品のキャラクターを最も長く演じてきた声優」でギネス認定もされている。インタビューでは「後ろを振り返らず、これからも前に進んでいきたい」とコメントし「せっかくだし新たな挑戦もしていけたらいいと思う。カツオの憧れの人とかでアイドル声優の子を起用した新キャラクターを登場させてみるのもいいかも」と笑顔で話した。
- 「なんということでしょう」という名文句でおなじみの『大改造!!劇的ビフォーアフター』のナレーターとしても知られ、2020年まで担当した。
- 2003年の新語・流行語大賞のトップテンに「ビフォーアフター」が選ばれた際は、加藤がこの言葉を代表する人物として授賞式に出席した。
- 声優デビューして間もない頃にラジオ番組のパーソナリティを担当した時、その声が視覚障害者から「明るくかわいらしくて素晴らしい」と絶賛されたことがある。共にパーソナリティを務めていた先輩の若山弦蔵はこのことを聞くと「聴力に鋭敏な目の不自由な方がそう評することは凄いことだ。心して仕事をしなさい」と加藤へ様々なことを教えたといい、加藤は後に「仕事をする人間としての心構えをしっかり教わりました」と人生の分岐点であったと話している。
- 『ゲゲゲの鬼太郎』のEDテーマとして有名な「カランコロンの歌」を歌唱しているのは加藤である。また、加藤は『夕やけ番長』のOPテーマ「夕やけ番長」も歌っている。
- 『ハクション大魔王』と『サザエさん』は放送開始が同じ1969年かつ同じフジテレビの日曜夕方6時台アニメだった為、日曜夕方に「カンちゃん」と「サザエさん」としてよく聞く声だった事にもなる。さらに後年は他局同士だが、上述の劇的ビフォーアフターも日曜日と不思議と日曜日の番組に縁がある人となった。
- 健康なことで知られ、ある時に不調が続いたため病院へ行ったところ、医者から「ただの老化現象」「その声は病人の声じゃない」と笑いながら診断されたことがある。また、マスオさんに似ている実の夫からはよく「声が大きい」と注意されるという。
- 競馬が大好き。テレビ東京で『私と馬』という番組を持っていたほか、日本初の女性競馬レポーターも務めた。ラジオの競馬実況中継にしばしばゲスト出演しており、その際には自身の競馬知識を交えた陽気で愉快なトークを聞くことができる。なお、『ウマ娘』に出演したことはまだない。
- 宮内庁主催の園遊会に招待された時、当時の天皇陛下(上皇陛下)と謁見されお話したエピソードがある。
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