概要
通称:俳協。
日本唯一の俳優の生活協同組合であり、日本の声優事務所のルーツ(後述)とも言える事務所。設立精神は「共同互助の精神に基づき、組合員の文化的経済的改善向上を図る」(定款より)。
「声優事務所」ではあるが実写・舞台で活躍する俳優も多い。
声優事務所の始祖
多くの声優事務所が俳協から独立する形で設立されており、代表的なものに青二プロダクション(1969年)、大沢事務所、アーツビジョングループ(以上1984年)、シグマ・セブン(1988年)、アトミックモンキー(2000年)、アクロスエンタテインメント(2008年)がある。これらからさらに独立した事務所も多く、俳協は大半の声優事務所の源流となっている。
異色の芸能事務所・異色の生協
俳協は会社法(旧商法第二編および旧有限会社法)に基づく「会社」ではなく、消費生活協同組合法を根拠法とする「生活協同組合」である(組合員はタレントおよびマネージャー)。
組織形態だけでも異色の存在だが、一般に生協といえば「大学や会社の購買部(共同購買)、もしくは共済(保険に相当)」のイメージが強いだけに、芸能事務所という事業内容も、これまた異色と言えるだろう。
なお、俳協のような「共同購買・共済以外の事業を行う生活協同組合」は他にもあり、内容も都市ガス供給、映画館運営、病院運営、介護、葬祭と手広い。
なお、俳協の生協らしい(?)事業としてはちみつノドスプレーの販売があり、俳協の所属タレントに限らず、声にかかわる業界で広く利用されている。
沿革
俳協の母体となったのは、外国テレビドラマの輸入と日本語版制作を行っていた「太平洋テレビ」である。1950年代後半にアメリカのNBCやイギリスのBBCと提携し、日本テレビ番組史にも名を残す『ララミー牧場』や『ボナンザ』などの日本語版を制作。その過程で俳優マネジメント部門として芸能局を設置し、最盛期には所属タレント約600人を抱える大所帯となった。
しかし1960年1月、労働問題のこじれから所属タレント・マネージャーは労働組合を組織し無期限ストライキに突入。同年5月には「タレント&マネージャークラブTMC」を設立して(程なく生活協同組合の認可を受け現組織名になる)、労働者(この場合はタレントとマネージャー)が使用者の指揮・命令を拒否して、自主的に生産(この場合はタレントマネジメント)を管理する「生産管理闘争」を開始した。
太平洋テレビ争議は、1962年に社長と会社が所得税法違反容疑で強制捜査を受け、これを不服として裁判に入ったことで事実上終息したが、闘争組織だった俳協は解散することなく、芸能事務所として自立した。
1972年に養成部門(現在の俳協ボイスと俳協演劇研究所)を設立。1982年には、それまでの全国公演企画「虹のファミリー劇場」を発展させる形で劇団俳協が発足している。1998年には東京・下落合の俳協ホールをリニューアルして「TACCS1179」を開設、劇団俳協の公演・稽古場としてのほか、小劇団の公演にも貸し出している。
主な所属声優・ナレーター
※2024年10月現時点。
男性
あ行
か行
笠間淳、梶原岳人、金子誠、狩野翔、熊谷健太郎、喜山茂雄、郷田翼、古賀慶太、小柳良寛
さ行
汐谷文康、重松千晴、篠原まさのり、渋谷慧、島田岳洋、清水秀光、諏訪部順一
た行
高橋大輔、内匠靖明、武虎、田中健大、チョー、DJ.ナイク、遠近孝一
な行
は行
ま行
や行
女性
あ行
荒川美穂、杏寺円花、五十嵐由佳、池田昌子、石川綾乃、石川静、伊吹茅紘、上田晴美、梅澤めぐ、榎本奈々、大園朱花子、大原さやか
か行
樫野凪、桂玲子、佳穂成美、川﨑芽衣子、川谷きばな、河村梨恵、菅叶和、衣笠晴香、衣川里佳、木村珠莉、慶長佑香、高坂真琴、小森結梨
さ行
桜木可奈子、櫻弥恵、佐々木智代、ささきのぞみ、咲々木瞳、佐藤利奈、沢田敏子、紫月杏朱彩、翠野まこ、杉本ゆう、直田姫奈、鈴木絵理、清和祐子
た行
太地琴恵、髙橋ミナミ、田口宏子、田澤茉純、種﨑敦美、田野めぐみ、田村奈央、月城日花、冨永みーな
な行
は行
萩原えみこ、橋本芽依、花岩香奈、原嶋あかり、文咲たまみ、星谷美緒
ま行
水篠みう、皆川純子、湊みや、宮崎珠子、宮下早紀、深雪さなえ、むたあきこ、村井かずさ、村中知、百瀬帆南、森下来奈、杜野まこ、守屋亨香、茂呂田かおる
や行
わ行
主な元所属声優・ナレーター
男性
離籍者
※存命者は五十音順、物故者は没年順。
青森伸(⇒シグマ・セブン⇒青二プロダクション)
伊藤栄次(⇒ケッケコーポレーション⇒プランダス⇒ラムー)
伊藤健太郎(⇒ミディアルタ・エンタテインメントワークス⇒アミュレート⇒マウスプロモーション)
大友龍三郎(⇒81プロデュース⇒青二プロダクション⇒フリーランス)
木之元亮(⇒フリーランス)
岸尾だいすけ(⇒フリーランス⇒ホリプロ⇒青二プロダクション)
桑原たけし(⇒フリーランス)
近藤孝行(⇒AIRAGENCY⇒フリーランス⇒BLACKSHIP⇒青二プロダクション)
沢木郁也(⇒アーツビジョン)
柴田秀勝(⇒青二プロダクション⇒RME代表取締役会長・所属)
鈴木泰明(⇒フリーランス)
関智一(⇒アトミックモンキー)
武田広(⇒シグマ・セブン⇒武田広ブロード企画設立)
龍田直樹(⇒アーツビジョン⇒青二プロダクション)
垂木勉(⇒ベルベットオフィス⇒ザ・ユニバース代表)
津田健次郎(⇒ミディアルタ・エンタテインメントワークス⇒アミュレート(声優業)/スターダストプロモーション(俳優業)⇒ANDSTIR(アンドステア))
中尾隆聖(⇒81プロデュース)
浪川大輔(⇒アクロスエンタテインメント⇒ステイラック代表)
野島昭生(⇒シグマ・セブン)
橋本晃一(⇒アーツビジョン⇒アクセント⇒賢プロダクション⇒プロダクション・タンク⇒シーブイテック⇒オフィス海風⇒センテナリア)
拡森信吾(現芸名・森しん)(⇒シグマ・セブン)
古谷徹(⇒青二プロダクション)
槇大輔(⇒シグマ・セブン)
政宗一成(⇒シグマ・セブン⇒政宗一成オフィス設立)
森功至(⇒青二プロダクション⇒オフィスもり代表⇒プラスワンカンパニー)
矢薙直樹(⇒フリーマーチ代表)
山寺宏一(⇒アクロスエンタテインメント)
野沢那智(⇒賢プロダクション⇒オフィスPAC設立後、2010年死去)
渡部猛(⇒81プロデュースへ移籍後、2010年死去)
永井一郎(⇒同人舎プロダクション⇒東京アーチストプロ⇒青二プロダクションへ移籍後、2014年死去)
たてかべ和也(⇒オフィス央設立⇒ぷろだくしょんバオバブ⇒ケンユウオフィス取締役兼任後、2015年死去)
丸山詠二(⇒アーツビジョンへ移籍後、2015年死去)
物故者・引退者(没年・最終活動年順)
※俳協に籍を置いたまま死去した人物、あるいは俳協がキャリア最後の所属先だった人物のみ記載。
仲村秀生(1990年代に引退後、2014年死去)
中村正(2019年死去)
岸野一彦(2020年死去)
増岡弘(2020年死去)
小林清志(2022年死去)
清川元夢(2022年死去)
羽柴秀矢(2005年引退)
武居”M”征吾(2009年引退)
女性
離籍者
※存命者は五十音順、物故者は没年順。
伊倉一恵(⇒ぷろだくしょんバオバブ⇒NABEYA⇒青二プロダクション)
石毛佐和(⇒フリーランス⇒ディーカラー⇒フリーランス)
大浦冬華〈現芸名・緒乃冬華〉(⇒アクロスエンタテインメント⇒グリーンノート)
鳳芳野(⇒アーツビジョン⇒シグマ・セブン⇒フリーランス⇒賢プロダクション)
折笠富美子(⇒アトミックモンキー)
加藤みどり(⇒シグマ・セブン⇒フリーランス)
榊原良子(⇒フリーランス⇒コンビネーション⇒フリーランス)
坂本千夏(⇒アーツビジョン)
清水愛(⇒フリーランス)
城咲名津(⇒フリーランス)
鈴木弘子(⇒賢プロダクション)
仙台エリ(⇒ぷろだくしょんバオバブ⇒フリーランス⇒アミュレート⇒フリーランス⇒グリーンノート代表)
高島雅羅(⇒青二プロダクション)
玉川砂記子(⇒シグマ・セブン)
長沢美樹(⇒アトミックモンキー)
中川亜紀子(⇒フリーランス⇒コトリボイス ⇒mitt management)
永野愛(⇒ブックスロープ)
中村知子(⇒賢プロダクション)
野村道子(⇒賢プロダクション)
平野文(⇒ホリプロ⇒アクセント⇒青二プロダクション)
松尾佳子(⇒シグマ・セブン)
松岡洋子(⇒81プロデュース)
村川梨衣(⇒ステイラック)
もものはるな(⇒フリーランス)
吉田小南美(⇒アンジュドール(個人事務所)設立⇒プロダクション・タンク⇒キャトルステラ)
本多知恵子(⇒フリーランス⇒マックミック⇒フリーランス⇒青二プロダクションへ移籍後、2013年死去)
菅谷政子(⇒アーツビジョンへ移籍後、2021年死去)
物故者・引退者(没年・最終活動年順)
※俳協に籍を置いたまま死去した人物、あるいは俳協がキャリア最後の所属先だった人物のみ記載。
来宮良子(2013年死去)
麻生美代子(2018年死去)
貴家堂子(2023年死去)
水野マリコ(2017年引退)
余談
広島のローカル番組「アグレッシブですけど何か?」の企画コーナー
「アポ取り選手権〜ノーギャラで仕込める大物タレントの限界〜」という企画を行った際に
俳協所属で大御所の池田秀一にオファーをかけたが、俳協が
「俳優や団体にメリットがない」という理由で毅然と断った事が有る。