城達也
じょうたつや
日本の男性俳優、声優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属し、在籍中は専務理事を務めた。(1931年12月13日~1995年2月25日)
当初は俳優としてデビューしたが、後にその美声を生かして声優業に転向。
FM東海→FM東京→TOKYO FMの音楽番組『JET STREAM』の初代パーソナリティで知られ1967年から1994年までの27年間、7387回務め、城の代名詞的番組であった。
1994年2月に食道癌に罹っていることが発覚した後も治療のかたわら『JET STREAM』の放送を続けたが、「自分の納得できる声が出せない」と同年12月30日の放送を最後にパーソナリティを降板。その後間もない翌1995年2月25日に死去した。63歳没。
また、約3週間後の3月19日には同じく俳優・声優の山田康雄も亡くなっており、ベテラン声優の相次ぐ訃報は日本中に衝撃を与えた。
また、『JET STREAM』の収録に臨むときは、「夜間飛行のお供をするパイロット」という舞台設定に入り込むために、必ずスーツを着てスタジオの照明を暗くして臨んでいた他、機長としてのイメージを壊されないようにテレビ出演は一切断り続けるなど、仕事に対して大変真摯なプロ意識を持っていたという。没後、2008年に第2回声優アワード特別功労賞を追贈された。
ある人物との対談で、「城さんほどの良いお声をお持ちの方だと、タバコは吸われないんでしょうね」と言われ、すかさずタバコを取り出し、深々と吸い込んで笑顔を見せて相手を戸惑わせたという。「これ(タバコ)がないと落ち着かない」と自認するほどのタバコ好きだった。
また、「JET STREAM」での、番組終わりの挨拶は
「ではまた明日、午前零時に(金曜日は“ではまた来週、この時間に”)お会い致しましょう」
で締めていたが、前述の1994年12月30日の最後の挨拶は、いつもと違っていた。
「今夜でお別れでございます。長い間本当に、ありがとうございました。
またいつの日か、夢も遥かな空の旅でお会いいたしましょう。
そして、来年(1995年)1月2日からは、装いも新たなジェットストリームが旅立ちます。
夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは、
遠ざかるにつれ次第に星の瞬きと区別がつかなくなります。
お送りしておりますこの音楽が、
美しくあなたの夢に溶け込んでゆきますように。
では皆さま、さようなら。 よいお年をお迎えください。」
と、普段言わない「さようなら」と言っており、その後前述にもあるように間もなく翌1995年2月25日に逝去したため、正に城のラスト・メッセージとなってしまった。
ナレーター
人形劇
その他
徹子の部屋(1990年5月11日放送分)※数少ない顔出し出演。