略歴
小学5年生の時に声変わりした際に周りから「親父みたいな声だ」とからかわれ、人前で話すことも歌うことも嫌になっていき引きこもり寸前に追い込まれる。「このままではダメになる」と危機感を抱き、高校卒業後にNHK札幌放送劇団に入団したことが全ての始まりだった。
入団した1950年代当時はラジオが民衆娯楽で、若山は半年でプロとなり多数のラジオドラマに出演したが、転機となったのは25歳で上京して出演したラジオドラマ「忘れ得ぬ人」で、主人公をいじめる役を演じていた時だった。すると新聞で「有望な悪役の新人が現れた」と好評価され一躍時の人となった。
その後、外国テレビ映画の吹き替えの仕事が次々舞い込んでくるようになり、やがてはアニメの出演もするようになる。その傍らTBSラジオにて『おつかれさま5時です』『東京ダイヤル954』で1973年から実に22年間にわたり夕方の看板DJとして長く親しまれた。
2021年5月31日、同月18日に心不全で死去していたことが明らかになった。享年88歳。
人物像
ラジオドラマに出演した当初はその低い声から若くして悪役や老け役を演じることが多かった。吹き替えの仕事の仕事を始めてからは二枚目のヒーロー役を演じるようになり、低温と声の響きを意識して演じた。その声は「マダムキラーボイス」と評判になっていた。
主にショーン・コネリー主演の007シリーズといった二枚目の印象が強いが、悪役を演じることも多い。本人曰く悪役を演じることが圧倒的に面白く、「人間は誰しもがとんでもないものを抱え、何かの拍子にそれが飛び出す可能性を秘めています。自身に潜む悪の要素を引っ張り出して、実際に生きている人物のように表現できれば、ヒーロー以上に魅力的になることもある」という、独特の悪役の美学を持っている。なお、演じるときに最も参考にしたのがアメリカの悪役俳優リチャード・ウィドマーク。彼の冷ややかな笑い方に感動し、映画館に通い詰めたこともあった。
声優業の重鎮たちの殆どが舞台俳優出身であるの対して、最初から舞台俳優の経験がなく声優業を専業としてきた異色の人でもある。そのため同年代出身である山田康雄や納谷悟朗等の舞台俳優が、同じ声の仕事をやっていることに対して一時期嫌悪感を覚えたこともあったそうである。
同時に今の声優業界の現状を憂う1人でもあり、「最近の日本のアニメは海外でも人気があるようですが、役柄をパターン化した声優の演技が気になっています。テレビドラマでも、ルックスで単純に善悪を分けている気がします」と嘆いていた。
また、TBSラジオパーソナリティー時代に親交を得た当時TBSアナウンサーの生島ヒロシは若山没後の回想にて、若山から粋な大人の遊びを教わったことや、自分の声を守るために常にトレーニングはしていたと生前の若山の姿勢を振り返っている。
出典
『リレーおぴにおん 私の悪役論⑪ 声優 若山弦蔵さん』(朝日新聞 2013年11月27日朝刊)
関連項目
個別
ショーン・コネリー - 若山氏がほぼ専任で吹き替えていた俳優。
関連作品:担当キャラクター
暴れん坊将軍:ナレーション
ひょっこりひょうたん島:ガラクータ
のび太の魔界大冒険:大魔王デマオン
ガメラ対宇宙怪獣バイラス:バイラス