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概要編集

1950年12月24日生まれ、宮城県気仙沼市出身。本名・生島博(読みは同じ)。


法政大学に進学したが、1971年大学紛争を機にカリフォルニア州立大学に編入・卒業する。

帰国後の1976年TBSアナウンサーとして入社。1989年に同社を退職、芸能プロダクション「生島企画室」を立ち上げフリーアナウンサーとなる。

その後「スーパーサッカー」「クイズタイムショック」「おはよう!ナイスデイ」などの司会を歴任。テレビ司会の他にもラジオパーソナリティとして多数の番組に出演した。

現在はTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」のメインパーソナリティを務めるかたわら、東北福祉大学客員教授、ファイナンシャルプランナーなど幅広い分野で活躍している。

生島企画室ではアナウンサー志望の学生の芸能活動マネジメント・アナウンス指導も手掛けており、2020年には佐久間みなみ渡邊渚フジテレビに、紅葉(太田紅葉)が静岡第一テレビにそれぞれアナウンサーとして入局している。(太田は2022年3月でアナウンサーとしては休業)


四人きょうだいの長男で、生島企画室社長の生島隆、スポーツライターの生島淳は実の弟(隆が次弟、淳が末弟)。隆の上に、気仙沼で暮らす妹がいたが、東日本大震災で被災し帰らぬ人となった。震災当日は生島本人も講演のため気仙沼を訪問しており、15時間以上かけて東京に戻ったという。

二児の父である。長男の生島勇輝はタレント・俳優として、次男の生嶋翔はダンサー・俳優として活動している。現在は二人とも生島企画室所属。


「おはよう一直線」ではベテランアナウンサーらしからぬやらかしがあまりに多く、「爆笑問題の日曜サンデー」など他番組でも取り上げられるほどの名物となっている。なお最近は赤江珠緒にキャラを食われ気味の模様。


関連動画編集


関連タグ編集

アナウンサー

優木まおみ朝比奈彩志田音々南里美希松村沙友理 - 生島企画室所属のタレント

ヒロシ(芸人) - 生島が芸名の由来となっている。


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アナウンサー あなうんさー

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