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概要

コロコロアニキ』で連載中ののむらしんぼによる自伝漫画。


自身の半生とコロコロコミックに青春を掛けた男たち(たまに女たち)の熱い魂を振り返る漫画であり、コロコロの歴史書ともいえる漫画である。帯には「しんぼ先生の借金返済にご協力お願いします!」などと切実すぎるメッセージが記されている。

時にコロコロで作品を持っていた作家が「(連載時の回想ではなく)現在の姿で」ゲスト出演するのも見どころのひとつ。

単行本化に伴い、のむらのTV出演なども増えた。そしてこのマンガがすごい!のコロコロ漫画初ノミネートでオトコ編で1位を獲得好評を得ている。


『コロコロアニキ』休刊後は『コロコロオンライン』に移行し不定期掲載枠となった。現在は6巻まで刊行中。


あらすじ

月刊コロコロコミック、それは1977年4月15日に創刊された「小学生男子のための漫画雑誌」であり、現在まで続く子供たちのバイブルである。


のむらしんぼ、かつてコロコロで一世風靡した漫画家、

しかし度重なる借金、うまくいかない漫画の仕事、そして妻の離婚で苦しい毎日を送っていた。

そんなしんぼにある一報が届く、コロコロ初代編集長『千葉和治』、しんぼにとっての大きな存在の訃報である。

頭に浮かぶ千葉さんと歩いていた漫画道、そして彼ともに歩いた仲間たちを。

しんぼは筆を動かす、空から見守る千葉さんに『創刊伝説』を見せるために・・・・。


この作品は、コロコロの創刊前夜から現在まで、40年以上に渡りコロコロひとすじの漫画家・のむらしんぼが描く、コロコロを創った漫画家や編集者、その他さまざまな関係者の真実の物語である!!



登場人物

コロコロの漫画家たち

のむらしんぼ

この漫画の作者にして主人公。代表作はとどろけ!一番とアニメ化もされたつるピカハゲ丸。

コロコロ創刊時、平山と千葉に「君は才能がある!」とさんざんに持ち上げられてコロコロでの執筆を決めたが、もちろんそんなものは作家を確保したかった彼らのリップサービスにすぎず、そんなものはカケラもなかった。しかし、その現実を目の当たりにしても努力だけは忘れず『コロコロ』にかじりついてきた。

現在は低迷しており、『アニキ』での本作の執筆で再起を目指す。『コロコロ』作家や編集たちからは「しんぼが描くなら」と協力を約束されており、その努力は決して無駄ではなかった事を示した。


すがやみつる

ゲームセンターあらしの作者。元・石ノ森章太郎のアシスタントでもある。


あさいもとゆき

ファミコンロッキーの作者。元・すがやみつるのアシスタントでもある。アシスタントのかたわらで魔法の天使クリィミーマミ薄い本を作り糊口を凌いでいたが、その事で、すがやに認められファミコンロッキーの作者へと推挙される。


小林よしのり

おぼっちゃまくんの作者。

週刊少年ジャンプ東大一直線をヒットさせ、既にサンデー以外の全ての週刊少年誌(休刊した少年キング含む)で連載を経験し、名の知れていたなかコロコロ編集部の熱烈オファーを受け、コロコロに電撃加入。当初はコロコロを「所詮はジャンプ以下の子ども向け」とナメ切っていたが、シビアなアンケート結果に打ちのめされて一念発起。反骨魂を燃やして立ち上がり、その後86年スタートのおぼっちゃまくんで茶魔語ブームという社会現象を巻き起こす。


ひかわ博一

星のカービィデデデでプププなものがたりの作者。のむらしんぼの元アシスタント。通称:ピカリン。真面目に漫画に取り組む(時に真面目すぎる)青年であったが、ゆえにかいつしか、その真面目の歯車を噛み狂わせていってしまう。


コロコロ編集部

平山隆

初代編集長千葉とともに二人三脚でコロコロを立ち上げた創設メンバー。

創刊時には『少年サンデー』編集部に協力を求めて土下座までしたが当時のサンデー編集部員たちからは「今は劇画ラブコメみたいな大人の漫画の時代。今さらガキ相手に時代遅れの漫画雑誌を作って何になるのか」と鼻で嗤われた。それでも作家を都合して欲しいとプライドをかなぐり捨ててすがり付き、ついにサンデー編集部から「時代遅れのガキ漫画しか描けない落伍者どもが描いたボツ原稿の山」を厄介払い同然に押し付けられる。そして、このボツ原稿の山に目を通しながら「もともと漫画は子どもたちのためのものだったはずじゃないか(自分たちだってそういう漫画を読んで育ってきたじゃないか)」と涙した。そして、このボツ原稿の山を「宝石の原石の山」とみなし「本当に子どもたちのために漫画を描いてくれる人」を探すことを決意した。

コロコロが安定する頃には、子供たちの夢中になるホビーに目を光らせ、漫画に取り入れてゆく。のむらのデビュー後は初代担当者となり、時に厳しく、時に優しく彼に接する。87年に『コロコロ』3代目編集長となる。


千葉和治

コロコロ初代編集長。同誌創刊の発案者でもあり、平山と2人だけで創刊企画を立ち上げた。のむらの大恩人の1人。『七転八倒七転八起』から「子どもはよく転び、そして起き上がって強くなる」と着想して「コロコロコミック」と名付けた。少年サンデーからボツ原稿の山を押し付けられて心の折れかけた平山に、これらが「宝石の原石」である事を諭し「自分たちも石コロみたいな編集者だけど、サンデーが石コロだと歯牙にもかけない漫画家たちを集めて磨き、子どもたちが転(コロ)がって笑ってくれる面白い雑誌を作ろう」と決意を示した。本作第1話で担当から電話越しでのむらに逝去した事を告げられる。


福島征英

コロコロ2代目編集長。コロコロ配属以前はてれびくんの編集部に所属していた。

2年以内にコロコロを100万部にするという配属時の宣言通り、87年4月号にてコロコロ史上初の100万部を達成。その後はコロコロ編集長を退き、新雑誌ぴょんぴょんを創刊させた。


黒川和彦

ミニ四駆一次ブームの立役者のひとり。のちにコロコロ4代目編集長となる。


平山隆

とどろけ!一番』連載終了後からの低迷期までのむらを担当した編集者。

受け身型ののむらは彼の提案に依存する危険なパターンを構築し、発表作は悉く不人気に終わってしまう。

コロコロの売れ行きが下り坂の中、スナックの客の会話から読者層の傾向を読み取り「シンプルな漫画」が求められている事を思いつき、コロコロ初の4コマ連載漫画を企画する。

全国の同人サークルや大学の漫画研究会から新人発掘の為に行脚するも少年ジャンプに先越され徒労に終わろうとする中、漫画家の卵から「九州のタケツグ」を紹介される。その男が後のMoo.念平だった。


本橋道昭

通称トライ本橋。コロコロに配属されたばかりの中央大学ラグビー部出身の編集者。のむらとの初対面ではラグビーの試合で負った負傷による包帯姿だった。

のむらのつるセコ生活が漫画のネタになる事から、セコさをテーマとした漫画を提案する。


取り上げられたテーマ


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