高橋名人とは、ゲーム名人の1人であり、ファミっ子達の永遠の英雄である。
概要
本名は高橋利幸(たかはし・としゆき)。1959年5月23日生まれの満64歳、北海道札幌市生まれ。
株式会社ドキドキグルーヴワークス代表取締役「名人」、ならびに株式会社MAGES.所属タレント。
2011年5月まで「ハドソン:HUDSONSOFT」に所属しており(コンシューマコンテンツ事業本部宣伝部「名人」職)、伝家の宝刀「16連射」を引っさげてファミコンブームの火付け役となった。
何故か逮捕説(もちろんデマ)が出たり、上記のとおり新旧ともに会社での役職が「名人」だったり、実は歌を出してたりする(しかも上手い)話題に事欠かない人物である。
当然ながら、元々ゲーム名人としてハドソンに入社した訳ではない。
高橋氏自身は、あくまで「当時のハドソンでは比較的ゲームが上手な方であった」ための抜擢であったとのことである。しかしながら、当時の小学生に注目されていた「新しいエンタティメント」であるファミコンの「達人」の登場という「身近なヒーロー」的側面や、当時の低年齢層向け人気雑誌である「コロコロコミック」等による盛り上げ、さらにハドソン自身によるゲーム大会イベント「キャラバン」の開催等が奏功、「高橋名人」は一世風靡し、後に続くファミコンブームや「名人ブーム」の斬り込み役となる。
当時の小学生(特にコロコロコミック読者)にとっては、ゲームの高橋名人とミニ四駆のミニ四ファイターはカリスマ的存在であった。
ちなみにハドソンの名人では「毛利名人」との二大巨頭(というアングル)が組まれた上に、さらに「川田名人」「桜田名人」という高橋名人の弟子という触れ込みで複数の名人が存在した。(ちなみに川田氏と桜田氏は当時のハドソンのスタッフであり開発スタッフ側である)
ファミコンブームが一段落し、ハドソンがファミコンの競合機であるPCエンジンに注力するようになった中で一旦は活動を収束させるものの、2000年代前半のレトロゲームブーム以来再度注目を浴びるようになる。
現在は椿姫彩菜と共に、ニコニコ生放送公式番組の一つであるゲームトーク番組「ゲッチャ!」のパーソナリティを務める。なお、同番組はチャンネルIDとして「1616」が与えられている。
名人はプロゲーマーなのか?
現在世界各地に存在する、プロのゲームプレイヤー(注・コンピュータゲームに限ったものではない)と名人は似て非なるものと考えていいだろう。彼は先述の通りメーカーの広報であった為、ある程度の実力(と自社ゲームの内容の事前情報)は持っていたとはいえ、あくまでも製品のプロモーションを行っていた側である。
映画『GAME KING』はシナリオがある物語で言い方を変えれば『出来レース』である。
しかし、この名人の登場は後に他社の名人や有名なゲーマーの登場やゲーム系タレントの先駆けであったのは否めない。
しかし2017年、しくじり先生で実はゲームが下手であることを告白。会社から突然名人になるように言われ、最初の2分間だけ猛練習していたことや、発売前から練習できたのでうまいように見えたことなどを明かした。スーパーマリオブラザーズで例えると1-3までしか行けないくらいのレベルらしい(あくまもでも例えであり実際にプレイして検証したわけではない)
ただし、このしくじり先生出演そのものを懐疑的に見る者も多く「そもそも高橋氏はネームバリューを生かして長年ゲーム関係の職に就いて今もメディア出演している事のどこがしくじっているのか?」という疑問の声も決して少なくはなかった。
ただし、高橋氏が名人として活躍した時代にプロモーションしていたジャンルは主に当時全盛期だったSTGだった事と、加齢で往年より連射力が落ちているのは事実である。また、子供の方が飲み込みの早さや上達は大人よりも早い為、むしろ当時の子供・若年層の方が高橋氏より上手くなるのは必然だったはずであり視聴者の中には氏の謙遜と見る向きもある。
トリビア
著名人についてはメディア露出が減った段階で死亡説や逮捕説が流れることが少なくないが、高橋氏については露出減ではない別の理由で逮捕説が流れたことがある。実際には一日署長のオファーを受けて警察署を訪問したという事が、巡り巡って逮捕説へと変貌したものと考えられている。一日署長自体は実現しなかった。
逮捕説において「有力な説」に、「16連打の正体はコントローラに仕込んだバネであり、このことによる詐欺罪」というものがある。後に高橋氏はこの噂を聞いて実際にコントローラにバネを仕込んでみたことがあるが、16連打どころかボタンが押せなくなり、散々な結果になったとのこと。そもそもボタンにバネやゴムなどの反発力のあるものが仕込まれているのは当然である。バネやゴムがなければボタンが落ちてしまい常に押した状態になってしまう。
有名な名言として「ゲームは1日1時間」というものがある。あるゲーム大会イベントで即興で発言したものであり、ゲーム開発企業の営業としてあるまじき発言としてハドソン内で当初問題になったという。もっとも、当時のビデオゲームは現代ほど市民権を得てはおらず、ゲームプレイにおいて親子の衝突は少なくなかったため、一種の折衷案として「1日1時間」は非常に優秀であった。
よくゲームのやり過ぎを戒める言葉として使われるが、当時の雑誌のインタビューには「ゲームに集中できるのはせいぜい1時間で、長々とやっても上達もしないしハイスコアなど出ない(当時はシューティングゲーム全盛期だった)から、短い時間の間に集中し、余った時間を有効に使おう」という意図であったと述べられている。
この『ゲームは1日1時間』には実は続きがあり、『ゲームは1日1時間。外で遊ぼう元気良く。僕らの仕事はもちろん勉強。成績上がればゲームも楽しい。僕らは未来の社会人。』が本来の全文である。
なお、自社から『桃太郎伝説』が発売された際は、数時間ぶっ通しで遊んだという記事もある。
マンガ「高橋名人物語」やゲーム「高橋名人の冒険島」の影響で、ナスが苦手で牛乳が好物であると思われているが、ナスは実際には「食感や、こすりあわせた音が苦手」なだけであり、食材としては好物であるとのこと。逆に牛乳は体質的に飲めないとのことである(いわゆる乳糖不耐症と思われる)。この「ナスが苦手」という誤解から、当時の子どもがナスを食べなくなったという苦情が寄せられたこともあるとのこと。
他にも、マンガ「高橋名人物語」にはフィクションが多数描写されているが、コロコロコミック自体の読者層が低年齢層であったことから事実として捉える読者が少なくなかった。ただし、出生時に臍帯が首に巻き付いていたというエピソードは事実であるとのこと。
歌唱力も高く、自身がキャラクターとして登場するアニメ「Bugってハニー」のオープニング・エンディングテーマを歌いあげる等、複数の楽曲を発表している。近年でも2010年1月27日に「高橋名人伝説-魂の16連射-」を発表、往年の歌唱力が今なお健在であることを見せつけた。
名人ブームの最中では、「毛利名人」(毛利公信氏)との対比が特に注目され、「力の高橋・技の毛利」と評価された。毛利氏との対決を描いた映画「GAME KING 高橋名人vs毛利名人」作中では、16連打でスイカを両断するという荒業を披露している。
2006年9月6日、秋篠宮文仁親王に長男が誕生した際、「喜びにわく街の声」の一人としてテレビ東京の街頭インタビューに偶然出演。高橋氏を知るファンは、高橋氏がサラリと映し出された映像に騒然となり、当日のハドソンにはこの件に関する問い合わせや取材依頼が殺到したという。なお、テレビ東京のスタッフは実際に放映されるまで高橋氏であることには気付かなかったとのことであり、これは「テレ東伝説」の一つに数えられている。
2011年5月23日、長年勤めたハドソンを5月いっぱいで退社することを発表。6月1日より、「ゲッチャ!」の配信元であるゲッチャ・コミュニケーション株式会社に移籍することとなった(移籍先がゲッチャであることは6月1日当日発表された)。「高橋名人」は商標としてはハドソンが所有しているため、ハドソン離籍後はこの名前を名乗れなくなるのではないかと懸念されたが、ハドソンより離籍後もこの名前を使用することを許諾され、またゲッチャにおいても「名人」職ポストを用意されたため、6月以降も「高橋名人」として活動することが出来るとのこと。なお、ハドソンのサーバにて運営されていた公式ブログ「16連射のつぶやき」は、2011年6月1日からアメブロに移籍している。その後、ゲッチャ・コミュニケーション株式会社がMAGES.に買収されたため、同時にMAGES.に移籍した。
長年独身を貫いていた(ブーム当時の「コロコロコミック」の特集でも「ファミコン、パソコンなどコンと付くものは何でも得意だが、唯一結婚だけはできない」と書かれていた)が、2011年12月9日、「ゲッチャ!」内にて結婚したことを発表した。急遽結婚特番となった同番組内では、名人から奥方へ「死ぬまで付き合って欲しい」というラブコールが送られている。
関連イラスト
関連動画
16連打でスイカ割り(「GAME KING 高橋名人vs毛利名人」より)
街頭インタビューに偶然出演(「街の人は──」の3人目)
こんな作品のPVにも出演!?(デジボク地球防衛軍)
外部リンク
公式ブログ『16連射のつぶやき』
Twitter『高橋名人@meijin_16shot』