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ハドソン

はどそん

本記事では、かつて存在したゲームメーカー「株式会社ハドソン」について詳述。(曖昧さ回避あり)
目次 [非表示]

「Hudson」のカナ表記。

  • pixivにおいて「ハドソン」のタグの殆どは、かつて存在したゲームメーカーを指して使われており、本記事ではこれを詳述する。
  • 英語圏の名前や各種名称としても使われるが、これらは末尾に個別記事へのリンクを纏める。

概要編集

株式会社ハドソン (英: Hudson Soft Company, Limited) は、かつて存在した老舗ゲームメーカー


1973年5月創業。パソコンソフト開発・パソコンメーカーを経て、ファミリーコンピュータ時代より家庭用ゲーム業界へ参入。数多くのヒット作を生み出す。

2001年にコナミが筆頭株主になり、2005年には子会社化。2012年には吸収合併されハドソンはコナミの一ブランドとなる。

その後、2014年1月のコナミブランド統一をもってハドソンの名は消滅したが、ハドソンが生んだ『ボンバーマン』『桃太郎電鉄』などの人気シリーズは令和となった今もなお新作がリリースされている。


経歴編集

始まりは小さな無線ショップ編集

1973年5月18日に、有限会社ハドソンとして創業。北海道で当初は街の小さなアマチュア無線ショップ『CQハドソン』として創業した。創業者は、脱サラした兄の工藤裕司、まだ学生だった弟の工藤浩である。

ただし、元々はアマチュア無線機ショップでもなかったらしく、鉄道マニア向けの店→それにアマチュア無線が加わる→マイコンショップの様相になる…が正確らしい。

それでも、アマチュア無線ショップまでは、かなり経営が苦しかったらしい。


そんな中、零細も零細な状況下で裕司氏が突然渡米すると言い出し、当時日本円にして200万円もしたアメリカのパソコン「POLY 88」をクレジットカードを何枚も作って購入して帰国する。


趣味からゲーム開発が本業の会社へ編集

渡米も突然、帰国してPCがCQハドソンに持ち込まれるのも突然、店に居座って日がな1日プログラミングに没頭も、突然と突然の三拍子に弟・浩氏は困惑してしまう。浩氏が無線機修理する作業台まで占拠しようとするものだから、遂には、2階の納戸(倉庫)でやってくれと裕司氏は言われてしまう。


この時点ではまだ裕司氏の道楽の一つにすぎなかったが、プログラミングでPCと悪戦苦闘する中でいくつかソフトが作られていき、裕司氏はアメリカ合衆国で肌で感じたソフトウェア産業の到来を予感していた。

そして、ハドソンは当時北海道でも数少ない珍しい、パソコンショップに転身した。


エピソードとして、まだホビーパソコンではゲームメーカーが少なくプログラムは自分で打ち込んでゲームを作るという時代であった。供給媒体はカセットテープの時代で近所でカセットテープを購入してソフトを書き込み、ラベルを貼ってパッケージングと手作業だったにもかかわらずコストが安くローリスクハイリターンだったそうである。基本的に通信販売だった為、評判が評判を呼び袋一杯の全国各地からの現金書留が彼らの元に届くという事が日常茶飯事だったとか。

ただし、当初は販売するパソコンの「おまけ」として付けていた。しかし、当時ハドソンには専用の開発機材としての国内パソコンは無く展示用とお客さんに納品するものしか無かった。その為、開発する場合は時にお客さんに納品するパソコンをこっそり開けて開発に使用して、あとは丁寧に元に戻すなんて事もあったという。


この頃は、先述のように北海道でも珍しいパソコンを扱う店として、当然ながら当時のマイコン少年達が集まってくるようになる。そして後にハドソンの開発陣の中核を担う当時北海道大学工学部の学生だった中本伸一氏がアルバイトとして入り、裕司氏とプログラミング等で意気投合して共同で開発も手掛ける事となる。後に中本氏の若さゆえの開発に対するスキルや開発の早さに裕司氏は、自分が考えていたものを自分より早く組み上げて形にしていくところを目の当たりにして開発から手を引き、営業に専念する事を決めたという。そして、才ある若者を集める事が事業の成長に必要だと確信した。


そうした黎明期を経て、ビルを構える程のゲーム会社と成長していくのだった。


80年代の一時期、長崎県にあったソフトハウステクノソフトとの共同開発ブランド「テクノハドソン」があった。


社名は、C62蒸気機関車の車軸配置(4-6-4)であるハドソン形に由来する。創業者の工藤裕司は、熱烈な鉄道ファンで、特にC62形をこよなく愛していた。社長室には常に組立途上の鉄道模型が置かれていたり、本社の入口にC62の部品が飾られていたり、会社の代表電話番号の末尾4桁は4622、郵便番号をC62と見た目が似ている「062」にするため、本社をわざわざ札幌市豊平区に置くというこだわりぶりであった。また中央研究所の屋上には乗用鉄道模型の線路も敷かれており専属のエンジニアが配属、本社大会議室のテーブル中央には鉄道模型のジオラマが置かれ、C62の模型が走っていたという。


企業のシンボルキャラ「ハチ助」はアマチュア無線ショップ「CQハドソン」の時代からのキャラクターで、アマチュア無線のエリア番号が北海道は「8」である事をかけたネーミングらしい。なお、大手ゲームメーカーになってからもアマチュア無線ショップとしての営業もしばらくは継続していたと言われている。


ファミコン初のサードパーティであり、ゲーム大会「キャラバン」を主催し社員の高橋名人がファミコン名人として人気を博すなど、初期の家庭用ゲーム業界の牽引役を担った。スーパーファミコンではボンバーマン桃太郎電鉄等のパーティーゲームが有名だが、PCエンジンでは天外魔境銀河お嬢様伝説ユナなどレッドカンパニー(現:レッド・エンタテインメント)との共同制作でキャラクター色の強い作品も手がける。


技術力は高く、Hu-BASICなどの基本ソフト、PCエンジンハードウェアの共同開発なども行っていた。開発に関わったマリオパーティは人気シリーズとなり、次世代機に入っても開発力を発揮した。また、今でこそ信じられないだろうが任天堂のゲームをパソコンに移植していた頃もあった。(例:スーパーマリオブラザーズスペシャル等)


経営悪化そして、消滅編集

ところが、1998年にメインバンクである、北海道拓殖銀行バブル崩壊の煽りを受けて経営破綻した事を皮切りに資金繰りが悪化。同時期にはPC-FXの失敗でNECホームエレクトロニクスがゲーム事業から撤退してしまう。2001年にコナミが筆頭株主になる。2000年代に入ってからは桃太郎電鉄シリーズに頼りすぎるようになり、経営は徐々に悪化して行った。


2004年には創業者が経営から手を引き、2005年にはコナミグループの一社に組み入れられた。特徴的だった「自由な社風」が無くなったのもこの頃からである。2011年に完全子会社化。そして「コナミデジタルエンタテインメント(KDE)に経営資源を集中し、より一層の連携強化を図る」というコナミの方針に基づき、2012年3月1日をもってコナミデジタルエンタテインメントに吸収合併された。

その後はボンバーマンなどハドソンで発売されたゲームソフトシリーズはハドソンブランドとしてコナミから発売されていたが、新作ソフトは殆ど出されることはなく、2013年末をもってブランド自体が消滅、コナミブランドに統一された。

なお、版権自体は現在もコナミが管理しており、ロボットポンコッツは開発元のレッド・エンタテイメントと共同で保有しているが、大貝獣物語は開発元のバースデイが保有している(ザ・ミラクル オブ ザ・ゾーンの復刻販売の著作権表記にコナミの名前が無かったため)。


ただし、2015年頃になるとついにはハドソンからのスタッフまでもコナミの無茶な要求に耐えかねて空中分解してしまったと、桃太郎シリーズの中心であるさくまあきら氏が明かしている。


末期はパズルゲームを頻繁にリリースしていた。


主なソフト編集

自社作品編集

RPG編集


A・RPG編集


STG編集


ADV編集


FTG編集


SLG編集


アクションゲーム編集


パーティゲーム編集


パズルゲーム編集


スポーツゲーム編集


育成ゲーム編集


外注開発/移植編集


版権タイトル編集


関連動画編集



関連タグ編集

ゲームメーカー レトロゲーム

ファミリーコンピュータ PCエンジン

HUDSONSOFT


ハチ助:マスコットキャラクター


高橋名人 買わなきゃハドソン


テクノソフト:同じくパソコンショップからゲーム会社となった長崎県の企業。こちらも現在は存在せず、セガに権利が移っている。上述にあったように一時期業務提携があった。


外部リンク編集


曖昧さ回避編集


上記以外の用例については、以下の外部リンクを参照。

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