概要
1980年代を中心にミニ四駆漫画『ダッシュ!四駆郎』の執筆及びマシンデザイン(レーサーミニ四駆、スーパーミニ四駆シリーズ)を手がける。
自動車のみでなくバイク、洋楽やミリタリーの造詣も深く、漫画にも反映されている。
元はインダストリアル・デザイナー(特にカーデザイナー)を志しており、この事からホンダの地元ディーラーに勤めていたが、絵への思いを絶ちがたく会社を辞して漫画家の道を目指したという。
外車好きの本人の趣向を基礎としたマシンデザインは多くの子供達を虜にし、1980年代後期にミニ四駆ブーム(第一次ミニ四駆ブーム)を巻き起こした。また当時としては先駆けとも言えるCGを用いた作風を使用していた漫画家でもある。
数年経った1990年代中後期にはこしたてつひろ氏と共に第二次ミニ四駆ブームを牽引してきた漫画家である。
一度『ダッシュ!~』の終盤目前の1992年1月28日に突然倒れ連載を休止させたが、その後奇跡の復活を果たし物語を完結させた。
しかし1995年に再び持病が悪化し、当時チラシで掲載していた『真ダッシュ!四駆郎』が打ち切り、その後同時進行で少年誌で掲載していた『ダッシュボーイ天』も1997年に打ち切られてしまう。
この頃はこした氏の『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』がヒットし、『レッツ&ゴー!!』に登場するフルカウルミニ四駆に需要が傾倒していた時期でもあり、氏の漫画の人気に陰りが見えていたのも打ち切りの原因の可能性がある。
その後漫画家としては事実上の引退状態となり、デザイナー業に徹するようになる。
氏の原作ではないものの少年誌掲載の漫画に登場するマイティミニ四駆シリーズのデザインを1999年まで担当した。
2006年3月23日、心不全(急性心不全)で亡くなった。享年47。訃報発表時は3月24日(324→ミニ四?)に亡くなったと誤解され騒がれていた。
余談だが同年11月には同じく漫画家の石川賢も亡くなっている。
氏の没後、コロコロアニキで四駆郎シリーズを引き継ぐ事になった武井宏之氏の「拝啓 徳田ザウルス先生」によると、1992年に倒れた時は35日もの間意識不明、内20日は危篤状態と生死を彷徨っていたことが発覚し(「ダッシュ!四駆郎」単行本14巻巻末「あとがき」にも書いてある)、その後闘病生活を送りながら執筆活動を継続していたらしい。
また氏の妻の話によると「性格は四駆郎そのもので、見た目は弾九郎」のような人物だったそうな。
連載作品
デザイン(「ダッシュ!四駆郎」シリーズ以外)
「ダッシュ〜」に登場する氏のマシン(レーサーミニ四駆)一覧は該当項目に載っているためそちらを参照。
「ダッシュ〜」シリーズ以外の氏の原作に登場するミニ四駆はスーパーミニ四駆と呼ばれている。晩年はマイティミニ四駆のデザインも手掛けた。
風のレーサー侠
- 自由皇帝(リバティーエンペラー)
- トムゴディスペシャル ※
- 小覇龍(シャオバイロン)
- ビッグバンゴースト
ダッシュボーイ天
- ブーメラン10(テン)
- ブーメランガンマブラックスペシャル
- アストロブーメラン
- ストラトベクター ※スーパーミニ四駆唯一のFMシャーシ(スーパーFM)
- ブラックストーカー
- サンダーブーメランW10
- レイホークガンマ
- タイガーザップ
未来レーサーブイツイン(マイティミニ四駆)
- バリアトロン
- シンクロマスターZ-9
※原作作中では「スパイダー・フロム・マース」と名付けられていたが、元ネタ(リンク先は英語)が絡む大人の事情のため名称を変更。ポスターマンガの外伝では「トムゴディ スペシャル」の名を使用している。
その他出演等
他、コロコロコミックやタミヤRCカーグランプリなどに出演。
関連タグ
樫本学ヴ:学級王ヤマザキ、コロッケ!などの作者。徳田のアシスタントとして活躍していた。
青木たかお:ミニ四ファイターV、爆転シュートベイブレードなどの作者。樫本と共に徳田のアシスタントとして活躍していた。