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概要編集

1955年(昭和30年)9月24日に北海道南茅部町(現函館市)で生まれる。函館ラ・サール高校卒業後に立教大学に入学し、楽器店で似顔絵のバイト中に弘兼憲史と出会いアシスタントになる。小学館の少年サンデーの新人賞に応募し、コロコロコミック創刊の時の編集者の平山隆にスカウトされ、1979年(昭和54年)に『ケンカばんばん』でデビュー。


漫画の仕事が忙しくなったため大学を中退するが、その後人気下降のため打ち切りに。落ち込んでいた時に新年会で巨匠藤子・F・不二雄と出会い、緊張のあまりに・・・

のむらしんぼ『漫画を描くのが苦しくて、いつになれば楽に描けるようになるか?』

・・・と質問してしまう。それを聞いたF先生は・・・

藤子・F・不二雄『私なんか20数年描いてきていまだに苦しんでいますよ。』

・・・と答えた。F先生から漫画家の厳しさを知ったのであった。


浮かれやすい性格も相成って、気分転換に軽井沢へテニスをしにいった時に一目惚れした女性と結婚し、一男二女の父親となる(しかもデキ婚だった)。

その後『とどろけ!一番』が打ち切りになったことに伴い低空飛行を続けるも、『つるピカハゲ丸』で大ヒットした上にTVアニメ化。ハゲ丸の連載で得た収入で漫画製作会社を設立した。


…しかし、その後はダジャレや下ネタ混じりで良くも悪くも子供向け漫画の存在感はあったものの、全くの鳴かず飛ばずでカミさんには逃げられ、更に銀行などのカードローンで300万もの借金を負うことに。


どん底の最中、担当記者からコロコロ初代編集長・千葉和治の急逝を告げられたのむらは、再起をかけ『コロコロアニキ』でコロコロの歴史を題材にした『コロコロ創刊伝説』を執筆。2017年には「このマンガがすごい!」にもノミネートされた。

コロコロアニキ休刊後はWebに移行して連載中。


無類のゲーム好きでもあり、ゲームラボではマイナーな作品について話したため、記者を驚かせた。スクウェアの『ファイナルファンタジーⅦ』は注目していたが、例によって貧乏だったため発売当時は購入できず、10年後に中古で購入してようやくプレイ出来たようである。ファミコン用ソフトとして発売された『つるピカハゲ丸 めざせ!つるせこの証』(発売:ジャレコ)については本人が登場したが、当の本人は自身が出演していた事を知らなかった。


現在の赤貧生活をネタに『しくじり先生 俺みたいになるな!』などにもゲスト出演した。



作品リスト編集


関連タグ編集

漫画家 北海道 コロコロコミック

弘兼憲史:師匠

ひかわ博一:元弟子

たかや健二:親友。『コロ創』では彼の追悼漫画を寄稿している。


荒川弘 空知英秋 寺沢武一 藤沢とおる・・・北海道出身の少年漫画家

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