『人生は3つ数えてちょうどいい』
概要
1974年レフェリングデビュー
渕正信と並ぶ全日本プロレスの生き証人で同団体の旗揚げ間もない頃からアルバイトとしてリング設営スタッフに加わり、元々持っていた軽快かつ俊敏な動きをジャイアント馬場が評価したことでレフェリーに推薦された。
リングアナの和田へのコールのあとに観客席から発する「キョーヘー!!」の大コールが起きるのがお約束。
1990年代以降、三沢光晴ら四天王を中心とした激しい(王道)プロレス(大技の応酬やカウント2.9の攻防戦など息つく暇もない展開が多くなった)がメインとなった試合を本格的に担当するようになり『フォールした選手の上を飛び越えた直後3カウントを数える』『選手に飛ばされリングから転落しそうな状況になっても、トップロープとセカンドロープをつかんでくるっと一回転して戻ってくる』など大きなアクションで表現。
レスラーの反則攻撃には厳格に注意を促し、反抗的な態度をとるレスラーも、逆に和田の敢然とした抗議に負けてしまうケースが多く、まさにその姿は『全日本の良心』といえよう(但し鈴木みのるなど注意されても全く悪びれない一部のレスラーもいる)。
2000年代以降は他団体でも試合を裁くようになり、自身のレフェリングを後世に伝えるための活動も精力的に行っている。