株式会社DDTプロレスリングとノア・グローバルエンタテインメント(プロレスリング・ノア)の代表取締役社長。(2020年9月1日から統合され『株式会社CyberFight』社長。)
プロフィール
概要
子供時代は毎日放送の技術部に勤める父に連れられ職場に行っていた。その頃からその裏にある制作現場に憧れるようになる。一方でプロレス中継も見るようになり、将来はプロレスラーになるという夢を持つ。
高校時代に先輩も同期もプロレス好きで固まった柔道部に入部、顧問の目を盗んで柔道場での練習はプロレス技ばかりしていた。実際に柔道の昇段試験で高木はバックドロップを決めて一本勝ちしたことも。
大学は駒澤大学に進んだが、学生プロレス部が無かったためプロレス観戦を熱心に行い、一時期サンボも習った。3年の時には「テレビ番組研究会」に入会、スタジオ観覧者やエキストラを派遣する内に「自分たちでイベントを開催したい」と主張する者たちが出てきて自身も在学中に芝浦で手がけたイベントで3,000人の集客に成功する。
その時は既にどのディスコに行ってもVIPルームに通され、大手テレビ局のプロデューサーや芸能関係者から一目置かれる存在に。
しかし大学を休学し、アメリカを短期間流浪した後も「やめたくない」と大学を留年していた頃横浜市鶴見区の屋台村・ヨンドンで定期的に行われていた屋台村プロレスの広報スタッフとしてプロレスに携わる。
1994年3月に大学を卒業、同年8月に元国際プロレス所属の鶴見五郎が主催する『IWA格闘志塾』に入門、屋台村プロレスに参加。
12月31日の鴨井長太郎との試合でデビューを果たしている。(ただし屋台村プロレスは正式な記録を取っていないため、正式デビューは翌1995年2月16日のPWC渋谷大会におけるトラブルシューター・コウチ(現:高智政光)とされている)
1996年にPWCへ移籍するも、すぐにフリーとなる。この年、第41回衆議院議員総選挙に神奈川県第9区から自由連合公認で立候補するも落選。
1997年にDDTプロレスリングの旗揚げに参加、以降エースとして団体を盛り上げる。
2006年1月29日に社長争奪ロイヤルランブルを制し、DDTの社長に就任。
2015年5月5日、WRESTLE-1の最高経営責任者に就任。(2017年4月1日まで在任、現在は相談役)
2017年にDDTがサイバーエージェントに買収されたが社長職は留任。
2020年1月29日、プロレスリング・ノアを運営するノア・グローバルエンタテインメントがサイバーエージェントに買収、社長に高木が就任した。
2020年9月1日、経営統合により『株式会社CyberFight』社長就任。
得意技
旋回式スタナー
テキサスクローズライン
サンシローズライン
マッケンロー…背後から相手の足首を狙ったラリアット。元祖は新日本プロレスの中西学。
クローズライン・フロム・ヘヴン
三四郎スタナー
三四郎スタナー2000(ダブルアームフェイスバスター)
三四郎ボトム
三四郎ダスト
三四ロック
スピコリドライバー…基本的にデスバレーボムと同型だが、入り方に独自のバリエーションがある。
シットダウンひまわりボム…最近のフィニッシュムーヴ。肩車した相手を180度旋回させてからシットダウン式パワーボムで叩きつける。2AWの旭志織のHIMAWARI BOMBをシットダウン式に改良した技。
等。