プロフィール
略歴
1940年12月25日、本郷区(現在は文京区)で誕生。米軍の空襲が始まり調布村(現在は青梅市)に疎開する。
1959年、東京都立農林高等学校(青梅市)を卒業後、国鉄に就職。プロレスラー力道山に憧れてボディビルに打ち込んでいた。
1966年、友人が出場したボディビルコンテストを見に行き、会場で国際プロレスにスカウトされた。
1967年、日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビュー。
1968年、国際プロレスのテレビ放映開始と同時にマスクを脱ぎ、リングネームをストロング小林へと改称した。
その後も「IWA(国際レスリング協会)」のシングルヘビー級を25回、のべ2年半にわたって防衛するなど次々と活躍した。
1974年にはアントニオ猪木と対戦したが敗退。(猪木の首だけで小林の全体重を支えた「伝説のジャーマン」で有名な試合)後に国際プロレスから退団した。
1975年5月に新日本プロレスに正式入団。坂口征二とのダッグなどで新日本正規軍の要として活躍したが、カナディアン・バックブリーカーなど腰に負担の掛かる技を多用していたため腰痛を発症してしまい当時中堅だった長州力の台頭を許す。1981年から長期欠場となり、1984年8月に正式に引退した。この時にスキンヘッドになっている。
引退後は芸能界に転身し、1982年に出演した映画「伊賀忍法帖」の役名金剛坊から、芸名をストロング金剛とした。
スーパー戦隊シリーズ「超電子バイオマン」や、TBS「風雲!たけし城」などに登場し、茶の間にも受け入れられやすい愛嬌のあるスキンヘッドのヒール役で親しまれた。
1995年4月に母親の突然死がきっかけで芸能活動を縮小し、表舞台に姿を見せる機会は減っていった。
2003年に芸名をストロング金剛からストロング小林に戻したが表だって出ていない。
2017年に腰椎損傷の重傷を負い、その影響から下半身麻痺になっていたという。
2021年11月には肺膿瘍を患い入院。12月31日に81歳で亡くなった。