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概要編集

1983年NWAジョージア地区のレスラー兼ブッカーだったオレイ・アンダーソンのブッキングでロード・ウォリアー・ホーク(画像左。日本ではホーク・ウォリアー)とロード・ウォリアー・アニマル(画像右。同アニマル・ウォリアー)によって結成された。


WWEマットに於いてはリージョン・オブ・ドゥーム(Legion of Doom/LODまたはLOD2000)のユニット名でも活動した。

入場テーマ曲はウォリアーズでは『IRON MAN/ブラック・サバス』、LODでは『What A Rush』。


何度かメンバーの追加や変遷がなされており、正式に認定されているメンバーはホークとアニマルの他、ドロズ(ダレン・ドロズドフ)、パワー・ウォリアーハイデンライクの3名がいる。


初来日は1985年3月全日本プロレス

アニマル浜口&キラー・カーン組をあっと言う間に片付けてしまうという衝撃的なデビューを飾る。

以降、「暴走戦士」「超怪力暴走族」の異名でマネージャーのポール・エラリングに伴い全日マットを主戦場とし、当時としては珍しい「秒殺」といえる程の短時間で勝負を決めたり、劣勢に追い込まれそうになると勝敗を度外視して暴走し、やりたい放題でリングを後にすることも珍しくなく、その破天荒さで会場を大いに沸かせた。

ただし、アメリカでのスケジュールが多忙だったため、ウォリアーズおよびLODでの世界最強タッグ決定リーグ戦には参戦していない。(2002年にアニマルが武藤敬司と組んで参戦した)

翌年には新日本プロレスに初参戦。


1992年にアニマルが欠場中にホークがパワー・ウォリアー(佐々木健介)と合体し、「ヘルレイザーズ」を結成。

1996年には、アニマルも加えた「トリプル・ウォリアーズ」を名乗った。


解散・再結成の紆余曲折を経て、日米いずれのリングでも大活躍したが2003年にホークが急死(自宅で引っ越しの作業中に仮眠をしたまま死去)したため、事実上の解散となった。

その後アニマルは、2005年にハイデンライクをパートナーに新生LOD(LOD2005)を結成、WWEタッグ王座を獲得している。


2011年、ホークとアニマル、そして初代マネージャーのポール・エラリングと共にオリジナル・ロード・ウォリアーズとしてWWE殿堂に迎えられた。


2020年9月24日、アニマルが60才で死去したことが報じられた


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タッグチーム タッグ

北斗の拳 ヒャッハー:言うまでもなく。

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